| アニメージュ Animage |
|
|---|---|
| 愛称・略称 | AM |
| ジャンル | アニメ雑誌 |
| 刊行頻度 | 月刊(10日発売) |
| 発売国 | 日本 |
| 言語 | 日本語 |
| 出版社 | 徳間書店 |
| 編集長 | 松下俊也 |
| 刊行期間 | 1978年5月26日 - |
| 発行部数 | 6.6万[1]部(2008年10月1日 - 2009年9月30日 日本雑誌協会調べ) |
| レーベル | アニメージュコミックス・アニメージュ文庫 |
| ウェブサイト | 月刊アニメージュ【公式サイト】 |
『アニメージュ』(Animage)は徳間書店から1978年5月26日に創刊された月刊アニメ雑誌である。毎月10日発売。略称はAM。
現存するアニメ雑誌では最古参にあたる。いわゆるアニメ雑誌三強(御三家)、10日売りアニメ雑誌の1誌である。
目次 |
幼年向けのテレビ情報誌『テレビランド』の徳間書店児童少年編集部はかねてより新雑誌の発売を構想。ブームに当てこんだテレビランド増刊『ロマンアルバム・宇宙戦艦ヤマト』が40万部を記録。これが決め手となり、月刊のアニメ雑誌を創刊する許可が下りた。創刊編集長の尾形英夫の命名により、「animation」と「image」をミックスした「アニメージュ」に誌名が決定。「別冊テレビランド」という位置づけで刊行が開始された。高級感を出すために価格は580円とあえて高めに設定したが、創刊号の1978年7月号は7万部を完売し、たちまち25万部にまで成長したという。
1980年代までの同誌は編集方針の1つにクリエイターにスポットライトを当てることがあった。アニメ雑誌ではいち早くメディアミックス展開を仕掛け、押井守のビデオアニメ『天使のたまご』、安彦良和の映画『アリオン』の製作をバックアップしていた。しかし、何と言っても、一部のマニアのみに知られる存在だった宮崎駿の特集を誌面でいち早く組んだことが特筆されるだろう。その後、宮崎駿に漫画『風の谷のナウシカ』を連載させ、これがスタジオジブリ設立に繋がっていった。スタジオジブリ代表取締役の鈴木敏夫はこの時の担当編集者で、徳間書店第2編集局を統括するようになった尾形英夫創刊編集長に替わって、実務を取り仕切っていたという。
1980年1月号から月間アニメ番組放送情報コーナー「TVアニメーションワールド」で、各番組ごとにスタッフからの裏話やコメントが掲載されていたが、2001年から廃止されて、各話のあらすじが掲載されるだけになっている。
専門チャンネルのファミリー劇場では『月刊アニメージュTV』が月1回更新で放映されている。
アニメグランプリは1979年から始まった読者の人気投票によって決まるアニメーションの賞である。第1回の発表は1980年2月号で行われた。1980年は上半期と下半期に分けて行われたため、発表は第2回は1980年10月号で、第3回は1981年6月号で行われた。それ以降、毎年6月号で発表が行われる。アニメ作品以外にも声優、アニメソングも受賞の対象としている。現在は誌面で結果発表を行うのみだが、当時の編集長・尾形英夫が「世間も注目する大舞台でやってみたい」という思いから、第3回からは日本武道館で大々的に表彰式と声優・歌手によるイベントを実施し、第10回まで行われた。なお、第10回をもってイベントを中断した理由は、昭和天皇の病状悪化による自粛である(10回目という節目で区切りを付けたともいわれている)。
これに対抗する形で、1983年から競合誌の『アニメディア』『ジ・アニメ』『マイ・アニメ』『月刊OUT』『アニメック』が手塚治虫を担ぎ出し、「日本アニメ大賞」を制定、同時にイベント「日本アニメフェスティバル」を実施して、毎年4月に表彰を行っていた。日本アニメ大賞側はアニメグランプリと統合の意向を持っていたが、かなわずに1990年の第7回を最後に終了している。
1980年に創刊された漫画レーベル。アニメージュ本誌や(旧)リュウなどの増刊・別冊に掲載された漫画の単行本を発行するために創刊。後にアンソロジー雑誌もこのレーベルから発行された。リュウの休刊などにより漫画作品の発行点数は減少しているが、ジブリ作品のフィルムコミックなどは現在もこのレーベルから発行されている。
1982年に創刊された文庫レーベル、略称はAM文庫。主にアニメのノベライズ版が多く[2]、アニメ系の脚本家を採用していた。小説以外にもアニメスタッフの富野由悠季や森康二の自伝などのノンフィクション、高畑勲監督の映像技法解説本、アニメ映画『風の谷のナウシカ』の絵コンテ本などを多彩なジャンルをカバーしていた。しかし、ライバルであるスニーカー文庫や電撃文庫に押される形で衰退し、1998年を最後に実質刊行を停止して2000年にはよりSF色の強い徳間デュアル文庫に事実上の衣替えをした。
2009年7月からリニューアルして再起動。復刊と新刊を中心に再び刊行されている。
特定のテーマやジャンルについての特集号。発行形態は、売上やニーズに応じて1冊のみのものから定期刊行されるものまで様々。特に売上が見込めるもの等は、別の雑誌として独立して刊行される場合もある[3]。
詳細は「リュウ (雑誌)」を参照
アニメージュ編集部は多くの人材を輩出している。設立に深く関わるスタジオジブリにはプロデューサーの鈴木敏夫、高橋望。角川書店『ガンダムエース』編集長の古林英明などである。また、第5代編集長である渡邊隆史は角川書店の招聘によってアニメージュ編集長を辞してライバル誌である『ニュータイプ』の編集長に就任した。後に評論家・漫画原作者となる大塚英志は「テレビランド」のカット描きを経て、アニメージュ編集部の契約編集者となり、アニメージュの別冊として出された漫画雑誌の編集に携わった。
創刊当初の編集部は『週刊アサヒ芸能』出身者が多く、アニメの情報には疎いため、大学生のアニメファンを編集部に出入りさせ、アニメファンの嗜好や情報をリアルタイムで吸い上げていたため後にプロとなる者がファン時代あるいはセミプロ時代に編集に参加しており、特集記事や企画の多くはその成果である。池田憲章、徳木吉春、原口正宏、町田知之、中村学、大沼弘幸、小黒祐一郎らは現在でも業界で活躍している。バンダイの「橋本名人」として知られたスクウェア・エニックス執行役員の橋本真司、キングレコード常務取締役の大月俊倫も学生時代にアルバイトで働いていた。また、現在は脚本家を務める吉野弘幸も、同誌のライターを高校教師から転職して務めていた時期があった。
80年代にはラジオで、90年代からは普及が始まったCS放送による情報番組を放送
ラジオ日本、文化放送で放送。帯番組で各曜日毎に声優がペアで担当
ラジオ大阪で放送。パーソナリティーは水島裕、アシスタントは太田貴子(前期)、鹿取洋子(後期)
文化放送にて1997年10月~1998年3月に放送、パーソナリティーは飯塚雅弓
文化放送にて1998年4月~2001年3月に放送、パーソナリティーは飯塚雅弓
文化放送、パーソナリティーは草地章江
文化放送、パーソナリティーは長崎萌
詳細は「インターネットラジオ 檜山修之のあにめじ湯」を参照
![]() 01:23 | アニメージュ 小清水亜美 浅川悠 名塚佳織 かないみか |
再生回数:27,448回評価: 提供:You Tube | |
![]() |
![]() 04:41 | 堀江由衣 - DVDボイスアニメージュ グラビア撮影 |
再生回数:90,387回評価: 提供:You Tube | |
![]() |
![]() 05:29 | 月刊アニメージュtv_vol.21_アニジェクトX_挑戦する石田彰 |
再生回数:45,328回評価: 提供:You Tube | |
![]() |
![]() 01:53 | 月刊アニメージュTV #10 「神無月の巫女」 |
再生回数:23,717回評価: 提供:You Tube | |
![]() |
![]() 01:50 | アニメ☆ダンスpv てつくずおきばVer.【ハレ晴れユカイ】 |
再生回数:17,606回評価: 提供:You Tube | |
![]() |