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アポロ12号(アポロ12ごう、Apollo 12)はアポロ計画における第6番目の有人飛行ミッション、第2番目の月着陸ミッションである。
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アポロ12号の発射当時、基地周辺の天候は不順であった。地上スタッフの中には中止を勧告する者もいたが、管制官は打ち上げを決行した。発射から十数秒後、上空を覆っていた雷雲から発生した雷がサターンV 型ロケットの機体を直撃し、電流はロケットの排気ガスを伝わって地表に放出された。この事故により、司令船の装置の電源が落ち、管制室は数秒間にわたって司令船からのテレメトリを受信できなくなった。すぐにテレメトリの受信は回復したものの、データ化けが生じて間違った情報しか得られない状態になっていた。管制室の電気・環境・消耗品担当官 (EECOM) のジョン・アーロンは、テレメトリデータの不具合はロケットの信号制御装置 (SCE) の故障によるものと考えた。信号制御装置は宇宙船の電力供給を制御しており、落雷などで宇宙船の電気系統に異常が発生すると自動的に回路を遮断するようになっているためである [2]。
このことを考え、アーロンは乗員に「SCE を補助モードにせよ」、すなわち信号制御装置のスイッチを補助セット側へ入れるように伝えた。この指示は少し不明瞭だったため、飛行監督官、交信担当官、ミッション司令のいずれも具体的な操作をすぐには思い出すことができなかった。しかし月着陸船操縦士のアラン・ビーンは打上げ1年前の訓練でちょうどこれと同じ事象を想定した訓練を経験していたため、SCE のスイッチが自分の操作パネルにあることを覚えていた。このジョン・アーロンの迅速な判断とアラン・ビーンの記憶によってデータを復旧することができた(復帰できなかった場合にはミッションは中止モードに移行することになっていた)。テレメトリの回復とともに乗員は地球周回待機軌道に入り、月へ向かうための第3段 (S-IVB) 再点火を行なう前に宇宙船の全ての機能を回復・点検することができた。
アポロ12号の S-IVB は元々、月着陸船分離後は残りの推進剤を放出して太陽周回軌道に投入する予定になっていた。しかし第3段点火時にアレッジ・モータが予定より長時間燃焼したため、S-IVB のタンクに残っている燃料を放出しても地球-月系を脱出できるほどのエネルギーは得られず、結局第3段は1969年11月18日に月を通過した後で地球を周回する準安定軌道に留まることになった。その後1971年に太陽周回軌道に入ったが、約31年後の2002年に再び地球周回軌道に戻ってきた。この第3段は2002年9月3日にアマチュア天文家のビル・ヤングによって発見され、人工天体であることが判明する前に暫定的に J002E3 と命名された。
アポロ12号は以前に何機かの無人探査機ミッション(ルナ5号、サーベイヤー3号、レンジャー7号)が訪れた嵐の大洋の中のある地域に着陸した。国際天文学連合はこのことにちなんでこの付近を既知の海と命名した。これにちなんで月面地図ではアポロ12号の着陸地点は既知の海基地 (Statio Cognitium) と記されている(コンラッドとビーンは着陸地点に正式な名前は付けなかったが、コンラッドは目的の着陸点を「ピートの駐車場 (Pete's Parking Lot)」と呼んでいた)。
アポロ11号以来2度目となる12号の月面着陸は目標への高精度の着陸を目指す試験となった。月面への降下はコンラッドが手動で数回修正したのみで自動で行なわれた。アポロ11号では指定された目標地点から大きくずれて呆れるほど不正確な着陸となってしまったが、アポロ12号は11月19日に目標地点にピンポイントで着陸することに成功した。着陸した場所は1967年4月にサーベイヤー3号が着陸した地点から歩いて行けるほど近い距離(200m 以内)だった。
コンラッドは実際には月着陸船イントレピッドを予定していた「ピートの駐車場」よりも580フィートほど手前に着陸させた。これは着陸の最終段階で予定地点が予想よりも凹凸が多いように見えたためである。当初の着陸予定地点はサーベイヤー3号から約1,180フィート離れた地点だった。これだけ距離を置いた理由は、イントレピッドの降下中のエンジン噴射によって月の砂が巻き上げられてサーベイヤー3号に降りかかるのを防ぐためだった。実際の着陸地点はサーベイヤー3号から600フィートの地点となったため、サーベイヤーにはうっすらと塵が積もって少し日焼けしたような色になった。
アポロ12号では、月面からのテレビ映像の画質を向上させるために(11号のような白黒カメラではなく)カラーカメラが持ち込まれた。だが、不幸にもビーンがこのカメラをセットする際に月着陸船近くへ運んでいた時、カメラをうっかり太陽に直接向けてしまい、ビジコン管を壊してしまった。このため、12号ミッションのテレビ放送は着陸後すぐに終了してしまうこととなった。
コンラッドとビーンは分析用として地球へ持ち帰るためにサーベイヤー3号から部品を取り外し、4時間弱の船外活動を2回行なった。彼らは月の岩石を採集し、月の地震や太陽風の強度、磁場などを計測する観測装置を設置し、測定結果を地球に持ち帰った(ビーンは撮影済みのフィルムを誤って数本月面に忘れてきてしまった)。一方、月周回軌道上の司令機械船ヤンキー・クリッパーに残ったゴードンは月面の多波長写真撮影を行なった。
イントレピッドの下降ステージに取り付けられた銘板は他のアポロミッションの銘板とは異なり、地球の絵が描かれておらず、表面の質感も異なっていた(12号以外のミッションの銘板は光沢仕上げされたステンレス板に黒で文字が書かれていたが、12号の銘板だけはつや消し仕上げの背景で文字部分が光沢仕上げになっている)。
コンラッドとビーンが月軌道上でゴードンと再び合流した後、イントレピッドの上昇ステージは(予定通り)月面に落下させられた。この上昇ステージは1969年11月20日に月面の南緯3.94度、西経21.20度の地点に衝突した。飛行士達が月面に設置した地震計にはこの衝突による震動が1時間以上にわたって記録された。
飛行士達は月軌道上にもう1日滞在して写真撮影を行い、月滞在時間は合計で31時間半となった。
アポロ12号の司令船と乗員は空母 USS ホーネットによって無事に回収された。この空母は現在はカリフォルニア州アラメダで博物館として一般に公開されている。12号の司令船はバージニア州ハンプトンのバージニア航空宇宙センターに展示されている。
"Whoopie! Man, that may have been a small one for Neil, but that's a long one for me."(ヤッホー、これはニールにとっては小さな一歩だったかもしれないけど俺にとっては長い一歩だぜ)Pete Conrad (コンラッド船長が初めて月面に降り立った時の言葉。自分がニール・アームストロングより身長が低いことも含めたジョーク)
アポロ12号のミッション・パッチには乗員達が海軍出身である背景が反映されている。このパッチには1700年代の快速帆船 (clipper ship) が月に到着する姿が描かれている。その周囲には APOLLO XII というミッション名と乗員3人の名前が金色の背景に青の字で書かれ、青の縁取りで囲まれている。青と金は海軍の伝統的なシンボルカラーである。またパッチには四つの星が描かれている。これらの星のうち三つはこのミッションの3人の飛行士を表し、もう一つはクリフトン・ウィリアムズを表している。ウィリアムズは1967年10月5日に T-38 練習機を操縦中、機体の故障により墜落死した。彼はアポロ9号となる予定のミッションの予備乗員に任命されており、予定ではさらにアポロ12号の月着陸船パイロットとなる可能性が高かった。
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