| WRCでの経歴 | |
|---|---|
| 国籍 | フィンランド |
| 活動時期 | 1974 - 1998,2003 |
| 所属チーム | フォード、オペル、プジョー、スバル、BMW、三菱 |
| 出走回数 | 101 |
| チャンピオン回数 | 1(1981) |
| 優勝回数 | 10 |
| 表彰台回数 | 27 |
| ステージ勝利数 | 527 |
| 通算獲得ポイント | 518 |
| 初戦 | 1974 1000湖ラリー |
| 初勝利 | 1980 アクロポリスラリー |
| 最終勝利 | 1985 スウェディッシュラリー |
| 最終戦 | 2003 ラリー・フィンランド |
アリ・バタネン(Ari Vatanen, 1952年4月27日 - )は、フィンランド出身のラリードライバー、欧州議会議員。
フィンランド東部のトゥーポヴァーラで生まれる。1970年にプロラリードライバーとしてデビューし、いくつかのラリーで優勝した後、プライベーターフォード在籍時の1981年に世界ラリー選手権 (WRC) で並居るワークス勢を退けドライバーズタイトルを獲得。が、当時は敬遠されていた激しいドライビングスタイルからトップチームから声がかからず暫く低迷する。長いトンネルを抜けプジョーへ加入すると今までの鬱憤を晴らすかの如く1985年の選手権でトップを快走。しかしアルゼンチンラリーでクラッシュ、瀕死の重傷を負いラリーへの復帰には18ヶ月かかった(その間にプジョーはWRCから撤退している)。復帰直後の1987年には、ダカール・ラリーで優勝するという快挙を成し遂げると、その後1989年と1990年も優勝、1991年にはシトロエンに移りそこでも優勝している。
WRCへの復帰には、1987年以後スバル、フォード、BMWなどでスポット参戦の後、1988年~1990年には三菱チームのレギュラードライバーとなった。さらに1992年と1993年にプロドライブが運営するスバル・ワールドラリーチームの一員となり、1993年の1000湖ラリー(現在のラリー・フィンランド)ではスバル・インプレッサのデビュー戦を2位フィニッシュするなど全盛期にも劣らない活躍を見せた。その後フォードに移籍し1998年までレギュラードライバーとして活躍した。
1993年にフランスへ移住し、この頃から政治に興味を持ち始めた。1999年にはフランスに居住しているにもかかわらず、フィンランドの議席として欧州議会フィンランド代表議員に選ばれた。2004年には、フィンランド代表ではなくフランス代表として議員再選している。
政治家となったバタネンだが、彼のモータースポーツに対する情熱は失われていなかった。2003年には日産からダカールラリーに参加、総合7位の成績を収める。この年WRCラリー・フィンランドでもプジョーで総合11位を獲得。2004年と2005年も、日産のドライバーとして参加している。2007年にはフォルクスワーゲンからダカール・ラリーに参加したが、途中でリタイアしている。
2009年7月10日、同年10月の国際自動車連盟(FIA)会長選挙への出馬を表明。当時FIA会長だったマックス・モズレーが推すジャン・トッドと激しい選挙戦を展開した。バタネンはモズレーのスキャンダルを嫌うアメリカ自動車協会(AAA)・日本自動車連盟(JAF)・ドイツ自動車連盟(ADAC)などから支持を得たものの、選挙では結局トッドに敗れた。
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![]() 05:15 | pikespeak アリ・バタネン |
再生回数:486回評価: 提供:You Tube | |
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![]() 05:15 | パイクスピーク 強烈ドリフト |
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