| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 市場情報 | 非上場
|
| 略称 | サントリーHD |
| 本社所在地 | 日本 〒530-8203 大阪府大阪市北区堂島浜二丁目1番40号 |
| 設立 | 2009年2月16日 (持株会社制移行は4月1日) |
| 業種 | 食料品 |
| 事業内容 | グループ会社の管理・経営支援 |
| 代表者 | 佐治信忠(取締役社長) |
| 資本金 | 700億円(2009年4月1日現在) |
| 発行済株式総数 | 6億8713万6196株 (2008年12月31日現在) |
| 売上高 | 連結:1兆5129億60百万円 単独:8621億86百万円 (2008年12月期) |
| 純利益 | 連結:320億67百万円 単独:238億15百万円 (2008年12月期) |
| 純資産 | 連結:4218億30百万円 単独:3781億74百万円 (2008年12月31日現在) |
| 総資産 | 連結:1兆1461億52百万円 単独:9220億88百万円 (2008年12月31日現在) |
| 従業員数 | 連結:2万1845名 単独:4402名 (2008年12月31日現在) |
| 決算期 | 12月31日 |
| 主要株主 | 寿不動産(株) 89.33% サントリー持株会 4.51% (株)三菱東京UFJ銀行 1.00% (2007年6月30日現在) |
| 主要子会社 | #関連企業・団体を参照 |
| 関係する人物 | 創業者鳥井信治郎 2代目社長佐治敬三 3代目社長鳥井信一郎 竹鶴政孝 |
| 外部リンク | http://www.suntory.co.jp/ |
| 特記事項:現法人は、株式移転で新設された持株会社。上記は、旧法人サントリー株式会社の2008年度実績。旧法人(設立時、株式会社寿屋)の設立は、1921年12月1日。 | |
サントリーホールディングス株式会社は、日本の洋酒、ビール、清涼飲料水の製造・販売等を行う総合企業グループ。
かつてはサントリー株式会社を中心とするグループであったが、2009年4月1日に株式移転で持株会社を新設して、持株会社制に移行。事業会社を分離している。
目次 |
1899年2月に、創業者の鳥井信治郎が、葡萄酒の製造販売を目的とした鳥井商店を創業。これを母体として、1921年12月1日に株式会社壽屋(寿屋)を設立。サントリーの名が初めて現れたのは、商品名からである。1929年4月、初めて発売したウイスキーに創業者鳥井信治郎が「サントリー」と名付けた。これは当時発売していた赤玉ポートワインの「赤玉」を太陽に見立ててサン(SUN)とし、これに鳥井の姓をつけて「SUN」「鳥井」、「サントリー」とした、ということになっている。「鳥井さん」を逆さにしてサントリーとしたという説も広まっているが、これは誤りである。1963年3月に、ビール発売を期して新天地に向かう思いを込めて[1]、商品名であったサントリーを社名にも用いて、サントリー株式会社に商号変更した。
事業の主要な部分はアルコール飲料だが、1980年代以降清涼飲料においても一定の地位を築いた。
メインバンクは三和銀行→UFJ銀行→三菱東京UFJ銀行であり、旧三和グループ系の三水会及びみどり会にも加盟している一方、三井グループの広報を務める団体・三井広報委員会にも加盟しているため三井系の企業とみなされることもあるが、同じ関西系企業の住友グループとの繋がりも非常に強い。事実、多くの住友系企業のビル内部にはアサヒ飲料とサントリーの2社の自動販売機が設置されている。間違ってもキリンビバレッジの自動販売機は設置されていない。また、住友系と目されているダイキン工業との繋がりも非常に強固である。特にサントリー及びダイキン工業の先代経営者、佐治敬三と山田稔とは個人的にも非常に親しい関係であった。山田稔の子息がサントリーに入社している事からもその事が伺える。
東証1部や大証1部、ニューヨーク証券取引所の上場企業と誤解されることがあるが、証券取引所非上場企業であり、株式の約9割を創業家の資産管理会社である寿不動産が所有している。非上場の理由として「酒の醸造には時間がかかり、短期的な利益を要求される株式公開に馴染まない」、「株主に商品の味を左右されたくないから」または「直接的な利益に結びつかない文化事業のリストラを要求されるため」と言われている。佐治信忠は結果として「ビール事業が軌道に乗ったのも非公開だったから」と話している。唯一子会社のダイナックが東京証券取引所第2部に上場している。社長は鳥井姓と佐治姓を名乗っているが、佐治姓は創業者鳥井信治郎の長男・吉太郎が早世のため、二男・佐治敬三が姻族の佐治家を承継した後に同社社長に就任したことによる。また、非上場企業の中では同じ三和系の日本生命保険が主要株主に入っていることでも知られている。サントリー名誉会長・鳥井道夫の妻が日本生命の社長・会長を務めた弘世現の娘準子である。このため、日本生命との繋がりも強固であり、共同で提供を行うテレビ番組もある。
サントリーは前途の通り、非上場企業である。そのため、サントリー自身は株主の状況などを公式サイトなどで特に公開していない。一般に公開されている主要株主は以下の通りである(2009年2月)。
過去には大阪に本社(大阪オフィス)を置いて主要業務をおこなっていたが、1980年代後半からマーケティングや営業面での業績向上を目的として、登記上本店と本社機能の一部(ウイスキーのテイスティングやブレンドなどに関する事案はいわば機密事案であるため、山崎蒸溜所が近い大阪でおこなわれる)だけを大阪に残し、機能の中枢は東京に移転した。東京支社は中央区日本橋から、東京メトロ・赤坂見附駅の近くにあった元赤坂で国道246号沿いの通称サントリービルへと移り変わり、東京ミッドタウンへ移動する前のサントリー美術館もここに所在していた。後にサントリー東京社屋は2005年1月に竣工[2]した、ゆりかもめ・お台場海浜公園駅そばにあるにサントリーワールドヘッドクォーターズ移転し、実質的に本社業務が執られていた。
2009年2月16日に、サントリーホールディングス株式会社を株式移転で設立[3]。
同年4月1日に、サントリー株式会社が吸収分割と新設分割を行い、コーポレート部門を持株会社に吸収させると同時に、サントリーの各カンパニーや事業部を既存子会社への吸収させるか子会社の新設により独立させて、サントリー酒類株式会社(酒類事業会社・旧サントリー株式会社)、サントリーワインインターナショナル株式会社(ワイン事業会社)、サントリー食品株式会社(飲料・食品事業会社)、サントリーウエルネス株式会社(健康食品事業会社)、サントリービジネスエキスパート株式会社(ビジネスサポート会社)として、持株会社傘下の完全子会社とし、純粋持株会社制に移行した。事業会社の多くはサントリーワールドヘッドクォーターズ(東京都港区台場2丁目3番3号)が登記上も本社となっている。
現在、グループの主要業務はサントリーワールドヘッドクォーターズで行われ、サントリーホールディングスがグループ全体の経営戦略の策定・推進、およびコーポレート機能を担当し[4]、その方針に沿ってグループ企業が事業活動を展開している[5]。
2010年時点にて、グループの主要会社で本社が大阪にあるのはサントリーホールディングスだけで[6]、酒類関連企業(サントリー酒類、サントリービア&スピリッツ)や飲料・食品関連企業(サントリー食品、サントリーフーズ)の中核会社は東京に本社を移転[6]したが、サントリーホールディングスの関西財界への影響力は2010年代初旬においても強く残っており[6]、課税等を含めて在阪有力企業の一つとして数えられている。
現在のコーポレート・スローガンは「水と生きる」。過去には「人と自然と響き会う」ということで「響」の文字をモチーフにしたロゴマークと提供クレジットも存在した。なお、響のマークは現在もサントリーのウイスキー瓶に付く蓋の部分にあしらわれている。さらに以前の提供番組でのクレジットの読みは「世界の名酒 サントリー」であった。
人口減少に伴う国内市場の縮小を睨み、近年では海外事業の強化のための企業買収が活発になっている。
京都府との府境に近い大阪府三島郡島本町に山崎蒸溜所、南アルプス・山梨県北杜市に白州蒸溜所を持ち、日本初の本格的なウイスキー「ホワイト」(発売当初の名は「白札」、1929年出荷開始)や、「サントリー角瓶」(発売当初の名は「十二年もの」、1937年出荷開始)をはじめ、「トリスウイスキー」(1946年出荷開始、1960年代「トリスを飲んでハワイへ行こう!!」が流行語に)、「サントリーローヤル」(1960年出荷開始)、「山崎」、「響」などを製造販売している。ウイスキー製造業者としては日本最大手である(2005年現在)。ウイスキー製造立ち上げ時の山崎工場長は後のニッカ創業者竹鶴政孝である。竹鶴は鳥井信治郎の長男・吉太郎の帝王教育も引き受けている。
日本のウイスキーメーカーとしては初めて本格的にロシア市場へ参入し、2006年10月からはロシアの輸入販売代理店「VELD21社」を通して、ロシア市場で本格的にウイスキーの販売を開始[12]。
1928年に横浜市鶴見区の日英醸造(商標名「カスケードビール」)を買収して「新カスケードビール」を製造販売した。1930年に前首相・田中義一の愛称に因んで「オラガビール」と改称し、低価格競争を仕掛けたが、大手各社の反撃に遭い、1934年にビール事業からの撤退を余儀なくされる。
1963年、武蔵野ビール工場でサントリービールを製造、大手三社が寡占状態のビール業界に再進出した。後に佐治敬三はビール業界に再進出した当時の経緯について、「洋酒が絶好調で作れば何ぼでも売れる状態。そんなことでは(=努力しなくても売れることに慣れれば)会社がやがて傾く。だからビールに再進出した」と語っている[13][14]。1967年に「純生」を発売、この時「生ビールの定義」や「純生」の商標登録を巡って他のビール会社との間で論争が展開されたが、サントリーの主張が認められる形で終結した(詳細は「生ビール#歴史」を参照)。1980年代末からのドライ戦争の只中に、麦芽100%ビール「モルツ」を発売し、以降同社の主力ビールとなる。CMでも、1980年代にペンギン(パピプペンギンズ)のアニメCM、1990年にプロ野球OBで作られた球団「MALT'S」のCMで多く話題を提供する。1994年には格安の輸入ビールに対抗する手段として、日本で長年休眠状態になっており(当時)税率が大幅に安く定められていた酒類の発泡酒を再認識し、麦芽使用量を発泡酒の定義内に収め低価格化した商品「ホップス」を発売[15][16]。当初は「節税ビール」と呼ばれたこともあったが、価格の安さと味がビールと小異であったことからヒット商品になり、他社も追随して発泡酒に参入した[16]。
2004年10月にサントリーは社内カンパニー制を導入しているが、ビール事業は40年間赤字続きであるため、利益率の高いRTD(Ready To Drink、低アルコール飲料)事業を含むビール・RTDカンパニーとすることでビール事業のカンパニーの収支をトントンにするという方策が取られた[17](2005年9月1日付でビール・RTDカンパニーとワイン&スピリッツカンパニーは統合され、酒類カンパニーになっている[18])。2005年から、全てのビールを天然水仕込に変更。同2005年、「ザ・プレミアム・モルツ」がビールとして日本初のモンドセレクション最高金賞を受賞し、サッポロの「ヱビスビール」を中心とするプレミアムビール市場に一石を投じた。2006-2007年にも、モンドセレクション最高金賞を連続受賞(3年連続最高金賞受賞により「ハイ・クオリティ・トロフィー」を授与されている)。2007年、新ジャンル(第三のビール)である「金麦」を発売。
「ザ・プレミアム・モルツ」「金麦」「ジョッキ生」の好調が追い風となり、2008年上半期には、ビールへの参入を行って初めて日本での課税出荷量の業界シェアの第3位を確保[19][20][21]。また1963年から45年目にしてビール事業が初の黒字となる見通しになった[22]。2009年2月3日の2008年12月期連結決算発表により、ビール事業が初の黒字に転じたと発表、過去最高益も更新することになった[23]。
2009年7月24日にイオンとセブン&アイ・ホールディングス向けに、プライベートブランドの新ジャンルを発売。イオンへは「トップバリュ 麦の薫り」を、セブン&アイHDへは「セブンプレミアム THE BREW ノドごしスッキリ」の名称で発売。(「トップバリュ麦の薫り」は2009年12月に生産終了[24]。)
2009年の日本におけるビール類出荷量シェアで引き続き第3位を維持[25]。2010年2月9日の2009年12月期連結決算発表により、ビール類事業が2年連続の黒字を確保と発表、過去最高益も2年連続で更新した[26]。
群馬県邑楽郡千代田町(利根川ビール工場)、東京都府中市(武蔵野ビール工場)、京都府長岡京市(京都ビール工場)、熊本県上益城郡嘉島町(九州熊本工場)の4箇所。武蔵野ビール工場では新しいビールの開発も行われており、工場見学が可能である。なお、松任谷由実の代表曲「中央フリーウェイ」の歌詞に出てくる『ビール工場』とは同工場のことである。
山梨県甲斐市(登美の丘ワイナリー)と長野県塩尻市(塩尻ワイナリー)にワイナリーがある。このうち、登美の丘ワイナリーは事前予約制の工場見学ができる。塩尻ワイナリーは見学不可。 また各国のワインの輸入・販売を行うとともに、荒廃していたボルドーの名門シャトーであるラグランジュを買収し立て直す[27]など、中長期的な活動も積極的に行っている。これらのワイン事業の多くはサントリーのワイン事業部を継承した完全子会社であるサントリーワインインターナショナル株式会社が行っている。
「サントリーエード」「ウーロン茶」「NCAA」「伊右衛門」「なっちゃんシリーズ」に代表される清涼飲料水も製造販売し、日本有数の飲料会社となる。現在清涼飲料水販売部門の大半は子会社のサントリーフーズ(東京)に移管している。
詳細は「スターバックス#関連商品」を参照
主にセサミン(ゴマ由来の成分)や黒酢を使用したサプリメント商品を提供。また、これに関連したテレビ通販番組をいくつか持っている。DHAを使用したサプリメント商品など種類が増えている(後述)。
外食産業は、居酒屋「響」「膳丸」「鳥どり」・レストラン「パパミラノ」(上場子会社ダイナックによる運営)や、「ファーストキッチン」「サブウェイ」、カフェの「プロント」といった各種飲食店を東京や大阪などに展開している。これらの店舗で取り扱われるビールをはじめとする酒類は舶来品を除いて専らサントリー製品である。
中食事業にも参入を示し、2008年1月17日には、トンカツ惣菜店の「まい泉」を展開する井筒まい泉株式会社[30]の買収を発表した[31][32]。
1989年、サフィニア販売で進出。2002年にサントリー本体から事業を分割。子会社のサントリーフラワーズが引き継いでいる。世界初の青いバラ開発などが有名。
詳細は「サントリーフラワーズ」を参照
元社長・佐治敬三が文化活動に深い理解を示していたこともあり、日本屈指の音楽ホールとして知られるサントリーホールや、薩摩切子・江戸切子・エミール・ガレといったガラス工芸のコレクションで知られるサントリー美術館、近現代美術の収集で知られるサントリーミュージアム、音楽賞、文化財団などの社会・文化活動に熱心な企業としても知られている。Jリーグのオフィシャルスポンサー(1993~95年は前期ステージをサントリー・シリーズとして開催)を行っていることでもある。
詳細は「東北熊襲発言」を参照
※清涼飲料水については、サントリーフーズを参照。
「発泡酒」も参照
「第三のビール」も参照
「ビールテイスト飲料」も参照
国産のほか、フランス産のコニャックやアルマニャックといった高級ブランデー、スペイン産ブランデー、またカルヴァドスやグラッパといった輸入のブランデー系蒸留酒も販売している。ここでは、国産のサントリーブランドのブランデーのみを挙げる。
※清涼飲料水については、サントリーフーズを参照。
「ビールテイスト飲料」も参照
(一部ブランド名のみ)
(一部ブランド名のみ)
※このほか1980年代には、200ml缶で発売されたワイン「キサラ」なども存在したが、1年足らずで発売中止になっている。その他、200ml缶で発売され、田原俊彦がCMに出演した「サントリーシードル」といった製品も発売されていた。
創業者の鳥井信治郎も広告が好きだった。[36]また開高健、山口瞳、柳原良平もサントリーの宣伝部に所属していた(前述の3名は後に独立し、サン・アドへ移行して、広告の企画立案ならびに、当時サントリーから発売されていたPR誌「洋酒天国」の編集を手掛ける)。戦前には片岡敏郎の手による赤玉ポートワインの広告が有名となり、戦後はテレビの普及とともにテレビCMの広告を次々と打ち出した。主な広告として「トリスを飲んでHAWAIIへ行こう!」や、京都の街を子犬が歩く姿を撮影したトリス、サミー・デイヴィスJr.のスキャットや、カンヌ国際広告祭でグランプリを受賞したサントリーホワイト、アルチュール・ランボーやアントニオ・ガウディやグスタフ・マーラーを題材にしたサントリーローヤル、アニメのペンギンが松田聖子の「SWEET MEMORIES」を歌ったサントリー缶ビール、椎名誠(彼とサントリーの結びつきは非常に強い)と猫が出演したサントリー生ビール、近年では長塚京三と田中裕子が出演していた新オールドなどの広告がある。
一部のCMについては白州蒸溜所内に併設された白州ウイスキー博物館のビデオ・ライブラリーや、電通本社にあるアド・ミュージアム東京で視聴が可能である。
また、毎年4月1日には各新聞社の広告欄に『新社会人おめでとう』という、伊集院静が書いたコラムが掲載される事でも有名である。
主に日本国内について記載。●は60秒以上のスポンサー、その他は30秒。
アルコール
ソフトドリンク
キャンペーン
※2004年をもって終了。
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