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シーツ善政

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シーツ善政 とは、1949年から1950年にかけて琉球列島米国軍政府の軍政長官であったジョセフ・R・シーツ陸軍少将による施政をいう。シーツの在任期間は約一年間に過ぎなかったが、彼の在任中に沖縄の戦後復興は軌道に乗り始め、住民の信望を集めた。

概要

シーツ着任時点の沖縄は、島民自らが「忘れられた島」と自嘲するほど経済復興の見通しが立たず、インフレが亢進し、駐留アメリカ軍の士気は低下し犯罪が多発、那覇市内の大半を含む島内の多くの場所が軍用地として接収され、建築・居住が許可されないという混迷状態が続き、占領行政は行き詰まりを見せていた。

シーツは「自らが(第二十四軍団砲兵指揮官として沖縄戦に参加して)破壊した沖縄を自らの手で再建復興するのだ」と宣言し、数々の政策を実行に移した。その内容は、

  • 復興資金として、ガリオア(占領地域救済基金)・エロア(経済復興援助資金)を導入、経済援助を本格化
  • B円の対ドル為替レートを1ドル360円から120円に改訂。物資輸入を促進[1]
  • 那覇を琉球の首都とすると宣言、建築・居住制限を緩和
  • 乱立した基地施設を整理統合し、残す基地を集中的に機能強化
  • 社会福祉の充実
  • 住民自治の強化
  • 駐留米兵の待遇改善と綱紀粛正

など、多岐にわたっている。

特に政治体制の面では、琉球・奄美・宮古・群島の各民政府を設立し、その知事・議員を公選とした他、琉球列島米国軍政府を解消し、米国民政府(通称USCAR・ユースカー)を設立するなど、自由化を推進した。

シーツ自身も地元の小中学生と積極的に交流の機会を持ち、駐留米兵には「アメリカの外交官のつもりで沖縄島民に接せよ」と訓示するなど、占領地沖縄の統治の安定化に向けて努力した。

「シーツ善政」は、中華人民共和国の成立、朝鮮戦争勃発直前の緊迫した国際情勢を反映し、アメリカにとって沖縄の軍事基地としての戦略的重要性が高まり、本国の沖縄統治方針が単なる軍事占領から恒久的な統治へと変わったことから実現したもので、沖縄住民の幸福が主目的であったとは必ずしも言えないし、その後の政策転換によって民政府は再度、主席任命制の琉球政府に再改組されるなど、善政の成果が帳消しになった部分もあるが、シーツ自身の人柄や琉球復興への熱意もあって、善政は当時の沖縄住民のほとんどに好意的に受け入れられた。1950年末に病を得たシーツが退役し、帰国する際には、留任運動が起こったほどであった。

参考文献

  • 「写真集 沖縄戦後史」[1]
  • 「マセマティック放浪記」ある沖縄の想い出(8)首里城址守礼の門に立つ[2]
  • 沖縄県立総合教育センター 琉球文化アーカイブのホームページ [3]

脚注

  1. ^ B円為替レートの改定は沖縄の経済を輸入依存型とし、その産業の発展を阻害する結果となったという指摘がある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Text is available under GNU Free Documentation License.
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ジョセフ・R・シーツ
ジョセフ・ロバート・シーツ(Josef Robert Sheetz、1895年 - 1992年)は、第二次世界大戦及び アメリカによる沖縄統治時代に活躍したアメリカ合衆国の陸軍軍人。特に1949年から1950年にかけて琉球列島米国軍政府の軍政長官在任中の施政はシーツ善政と称され、在任中に沖縄の戦後復興を進展させた。
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