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ジョン・アタナソフ

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ジョン・ヴィンセント・アタナソフ(John Vincent Atanasoff、Джон Винсент Атанасов1903年10月4日 - 1995年6月15日)は、ブルガリア人の家系に生まれたアメリカ人物理学者1973年ハネウェルスペリーランド特許に関する裁判で、アタナソフは電気式自動デジタルコンピュータ発明者とされた。彼が開発したのは特殊用途のアタナソフ&ベリー・コンピュータである。

目次

学生時代まで

電気技師の子としてニューヨーク州ハミルトン町で生まれたアタナソフは、フロリダ州 ブリュースター(Brewster) で育った。9歳のとき、彼は計算尺の使い方を覚え、すぐに対数も勉強し、2年で高校を卒業。1925年、アタナソフはフロリダ大学を優秀な成績で卒業し、電気工学の学士号を得た。

その後、アイオワ州立大学に進学し、1926年数学の修士号を取得した。1930年ウィスコンシン州立大学理論物理学の博士号を取得した。学位論文のテーマは The Dielectric Constant of Helium(ヘリウムの誘電率)であった。卒業後、アタナソフはアイオワ州立大学で数学と物理学の助教授の職を得た。

コンピュータ開発

学位論文執筆当時、彼が利用可能な道具であった機械式計算機(モンロー計算機)の扱いにくさに辟易させられたアタナソフは、複雑な方程式をより高速で解く方法を模索していた。アイオワ州立大学でアタナソフは、科学計算へのモンロー計算機とIBMタビュレータの応用を研究した。1936年、彼は表面幾何の解析のためのアナログコンピュータを開発した。アナログ式では機械としての正確さが計算結果に直接影響するため、彼はデジタル式の解決策を考えるようになる。

アタナソフ&ベリー・コンピュータ(ABC) は1937年から1938年にかけての冬に着想を得たものである。1939年9月、650ドルの資金を得て、彼の指導していた院生クリフォード・ベリーの協力の下、ABCの試作品が同年11月に完成した。

ABC に盛り込まれた主なアイデアは、二進記数法ブール論理によって29次線形連立方程式を解くというものであった。ABC にはCPUはないが、真空管などの電子部品を使って高速化するよう設計されていた。また、コンデンサによるメモリを備えていて、原理的には今日のDRAMメモリと同じである。

知的財産権問題

モークリーとの出会い

アタナソフは1940年12月、フィラデルフィアで開かれたアメリカ科学振興協会ジョン・モークリーと出会った。モークリーはそのとき、彼の開発した Harmonic Analyzer の実演を行った。これは気象データを解析するアナログコンピュータである。アタナソフはモークリーに ABC のことを教え、見にくるよう招待した。また、フィラデルフィアへの旅行の際、アタナソフとベリーはワシントン特許事務所を訪れ、彼らの研究が目新しいものかどうかの調査を依頼した。1941年1月5日、Des Moines Register 紙は ABC を 300 個以上の真空管を使って「複雑な方程式を解く電気式計算機械」として紹介した。

1941年6月、モークリーはアタナソフのもとを訪れ、ABC を見学した。4日間の滞在中、モークリーはアタナソフの家に寝泊りし、ABC について話し合い、動かしてみて、アタナソフの書いた設計書類をつぶさに見た。このときまでモークリーはデジタルコンピュータを提案したことはない。1942年9月、アタナソフはアイオワ州立大学を離れ、ワシントンD.C.にある海軍の研究所(Naval Ordnance Laboratory)の音響部門の主任として働くことになった。彼は ABC の特許出願をアイオワ州立大学の事務官に任せたが、それは実行されなかったのである。

1943年、モークリーは何度かワシントンD.C.のアタナソフの元を訪れて、アタナソフの計算理論について話し合った。しかし、モークリーは自身がコンピュータ開発プロジェクトに関わっていることを1944年の初めまで明かさなかった(Mollenhoff、P.62-66)。ジョン・モークリーとジョン・エッカートは世界初の汎用電子式コンピュータENIACを1943年から1946年にかけて開発したが、約20年後になって「誰がコンピュータを発明したのか?」という法的問題が発生することとなった。

1945年、アメリカ海軍ジョン・フォン・ノイマンの助言により独自に大規模コンピュータを製作することを決定した。アタナソフはそのプロジェクトの責任者とされ、彼はスタッフ選考のためにENIACでの作業詳細を教えて欲しいとモークリーに頼んだ。しかし、アタナソフは同時に原子爆弾実験のモニタリング用音響システムの設計の責任者でもあった。後者の優先度が高かったため、1946年6月のビキニ環礁での実験から彼が戻ったころ、再度フォン・ノイマンの助言があり、海軍のコンピュータ計画は進展がないとして中止された。

特許紛争

モークリーとエッカートは1947年に「汎用電子式コンピュータ」の特許を申請し、1964年に特許を取得した。特許権は1951年にレミントンランド社に売却されていた(後のスペリーランド)。同社はロイヤリティ支払いを同業他社に請求するための子会社を作った。

1967年5月26日ハネウェル社はスペリーランド社を訴え、ENIAC特許の無効性を主張した。当時としては最も長くかかり高くついた裁判は1971年6月1日に始まり、77人の証人、80の宣誓証言書、30,000 の証拠品をかけ、1972年3月13日に結審した。ここでアタナソフのマシンが先例として重要となった。

この件は1973年10月19日、ENIAC が ABC から多くのアイデアを取り入れているとして、特許無効が決定された。判事は次のように明確に述べている。「エッカートとモークリーは自らが自動電気式デジタルコンピュータを発明したのではなく、ジョン・アタナソフの開発物からそれを取り入れたのである」

スペリーはこの判断に異を唱えなかった。この判断の翌日、いわゆる「土曜日の夜の虐殺」が起きたため、特許問題は隅に押しやられ、ほとんど報道されなかったのである。法的には ABC が最初のコンピュータとされたものの、その後も ENIAC が世界初のコンピュータといわれ続けたため、アタナソフの勝利は不完全なものとなった。

戦後

第二次世界大戦後もアタナソフは政府機関に残り、爆発物を遠隔から検出するための特殊な地震計気圧計を開発した。1952年、彼は Ordnance Engineering Corporation を設立。1956年、同社をエアロジェット社に売却して、自身はその大西洋地区担当重役となった。ABC は単なる思い出となった。1954年まで彼は彼のアイデアが借用されたことを知らなかった。

1961年、アタナソフは新たな会社 Cybernetics Incorporated を設立。彼は、急速に成長するコンピュータ企業同士の法廷闘争に徐々に引きずり込まれていった。特許問題が解決すると、アイオワ州立大学はアタナソフを讃えるようになり、その後もいくつかの賞を受賞した。1995年、死去。ジョン・モークリーもジョン・エッカートもそして彼らの家族も、決してアタナソフからの指導があったことを認めなかった。

栄誉

アタナソフの父イワンは1889年、13歳のときにブルガリアから移住した。1970年、アタナソフはブルガリアの科学アカデミーから招待され、ブルガリア人民共和国政府から勲章を授与された。彼はブルガリアが彼の業績を認めた初めての国であることに感謝し、ブルガリアの家系であることをいつも強調するようになった。

1981年、アタナソフはIEEEから Computer Pioneer Medal を授与された。アイオワ州立大学にはアタナソフ・ホールと名づけられた計算機科学部門の建物がある。アイオワ州立大学はまた、MITの Project Athena の実装プロジェクトを Project Vincent と名づけた。

1990年ジョージ・H・W・ブッシュ大統領はアタナソフにアメリカ国家技術賞を授与した。彼は他にも以下のような様々な賞を受賞している:

  • アメリカ海軍 Distinguished Service Award (1945年)
  • 表彰: アメリカ地震学会(1947年)
  • 表彰: 海軍兵器局提督(1947年)
  • コスモスクラブ会員(1947年)
  • Order of Cyril and Methodius (1970年)
  • 名誉学位: フロリダ大学(1974年)
  • 名誉会員: Society for Computer Medicine (1974年)
  • アイオワ州の発明家の殿堂入り(1978年)
  • アイオワ州政府の科学賞(1985年)
  • ブルガリアからの叙勲(1985年)
  • Computing Appreciation Award, EDUCOM (1985年)
  • Holley Medal, アメリカ機械工学会(1985年)
  • Coors American Ingenuity Award (1986年)
  • 名誉学位: ウィスコンシン大学(1987年)

南極海サウス・シェトランド諸島にあるリビングストン島には Atanasoff Nunatak と呼ばれる峰がある。これはジョン・ヴィンセント・アタナソフにちなんで名づけられた。

関連項目

外部リンクと参考文献

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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