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ジロ・デ・イタリア

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ジロ・デ・イタリア
概要
開催時期 5月-6月
開催地域 イタリア
英語名 Tour of Italy
地域名 Giro d'Italia(
Tour d'Italie(
愛称 ジロ
分野 ロードレース
カテゴリー グランツール
形態 ステージレース
主催者 RCSスポルト
歴史
初回開催年 1909年
開催回数 91回(2008年)
初代優勝者 ルイジ・ガンナ
最多優勝者 5回:
アルフレッド・ビンダ
ファウスト・コッピ
エディ・メルクス
直近優勝者 デニス・メンショフ(2009年)
  

ジロ・デ・イタリア(Giro d'Italia)とは毎年5月にイタリア全土を舞台にして行われる自転車プロロードレースである。1909年から開催されている。主催はイタリアのスポーツ紙ガゼッタ・デロ・スポルト』等を発行するメディアグループ・RCSの関連会社であるRCSスポーツ社。

「ジロ・デ・イタリア」という呼び方は日本特有のもので、イタリア語の正確な発音は「ジーロ・ディターリア」である。この頃はイタリア語が知られるようになり「ジーロ・ディターリア」または「ジロ・ディ・イタリア」という表記も見られるようになってきた。[1]。通称は「ジロ」。

目次

概要

毎年5月に約3週間かけて行われるステージレースで、コースは毎年新たに設定される。「イタリアを一周する」という表現がされることもあるが各ステージは地理的には連続していないことも多く、サルデーニャ島シチリア島など島でのステージもある。ステージ数は通常21。平坦ステージ、山岳ステージ、タイムトライアルステージ(個人、チーム)と多彩なステージ設定がされている。

総合成績1位の選手には「マリア・ローザ」と呼ばれるピンク色のジャージが与えられるほかスプリント賞、山岳賞、新人賞といった各賞の対象者も特別なジャージを着用する。

賞金総額は年によって上下するが、2004年の場合で約133万ユーロ。配分は各ステージ25位までの勝者に支払われる金額が合計47万4000ユーロ。総合優勝者15万ユーロやインテルジロ賞13万ユーロなど各賞の合計が62万3000ユーロ。チームへの賞金が合計23万3000ユーロとなっている。

特徴

ツール・ド・フランスに比べ勾配の厳しい坂を登る山岳ステージが多いため[2]、上りを得意とするクライマーが活躍する機会が多い。1990年クラウディオ・キアプッチ1995年トニー・ロミンゲル1998年マリアーノ・ピッコリ2003年ジルベルト・シモーニ2009年ダニーロ・ディルーカのように厳しい山岳コースが設定された年は山岳賞はおろかスプリント賞すらクライマーやオールラウンダーが獲得してしまうこともある。また平坦ステージであってもゴール直前だけ上り坂であったり、ゴールまで1kmを切ったところに急カーブが登場するなど危険かつ癖のあるコースレイアウトがしばしば採用される。

また5月のアルプス山脈ドロミーティ)及びアペニン山脈はまだ雪の中であり、選手は坂だけでなく厳しい寒さや悪天候とも戦うことになる[3]。そのためイタリア人からは「ツール・ド・フランスが世界最大のレースなら、ジロ・デ・イタリアは世界最高のレース」と評される。

イタリア人選手の多くがこのレースをシーズン中の最大目標としており、歴代優勝者に占めるイタリア人の割合も多いことはもとより1997年以降2007年までの総合優勝者はすべてイタリア人だった。国際化が著しく、優勝者の国籍も多様になる傾向があるロードレースの世界においてこれは非常に珍しいケースである。

歴史

第1回大会は1909年に行われミラノから出発し、合計走行距離は2,408kmだった。8区間で争われ、優勝選手の平均走行時速27.26kmだった。1915年から1918年までは第一次世界大戦により中断されている。

1933年は17ステージ・合計3,343kmで行われ、この時はアルフレッド・ビンダが通算5回目となる優勝を飾っている。

1941年から1945年までは第二次世界大戦により再び中断。1947年は19ステージ・合計3,843kmで行われ、この時はファウスト・コッピが2回目の優勝を果たした。以後もコッピの活躍は続き、1953年には史上2人めの5回目の優勝を達成している。

1970年代前半はエディ・メルクスの独擅場となり、1972年から1974年には3連覇を達成。1974年は史上3人目となる5回目の優勝に加えてツール・ド・フランスと世界自転車選手権プロロードレースも制覇しており、史上初のトリプルクラウン達成を遂げた。

1980年代前半はベルナール・イノーが3回の優勝を遂げている。また1987年の優勝者ステファン・ロッシュは史上2人目のトリプルクラウン達成者となった。

1990年代に活躍した選手としてはミゲル・インドゥラインマルコ・パンターニがあげられインドゥラインは1992年1993年、パンターニは1998年にツール・ド・フランスでも優勝してダブルツールを達成している。

2004年は合計走行距離3,423.9km、20区間で行われ参加選手169名のうち140名が完走した。総合優勝は22歳の新人ダミアーノ・クネゴジルベルト・シモーニのアシストとして働く予定だった彼がステージ4勝をあげて総合優勝するとは誰も予想しておらず、大きなニュースとなった。

2005年パオロ・サヴォルデッリとシモーニの争いとなり、終盤シモーニが猛追するも結局サヴォルデッリが2002年以来2度目の優勝を飾った。2006年イヴァン・バッソが他を寄せ付けない強さで、2007年ダニーロ・ディルーカが堅実なレース運びで総合優勝を遂げている。2008年は前年度のツール・ド・フランスを制したアルベルト・コンタドールがイタリア人以外では12年ぶりの総合優勝者となった。2009年デニス・メンショフがダニーロ・ディルーカとの熾烈な争いを制して優勝した。

各賞とリーダージャージ

数種の賞が設定されており、リーダージャージと呼ばれる各賞に応じた色別のジャージがある。前日のステージ終了時点で各賞の成績第1位の選手がそのジャージを着用する権利を手にいれる。

マリア・ローザ

ピンク色のジャージ「マリア・ローザ」は総合成績1位の選手に与えられる。各ステージの所要時間を加算し、合計所要時間が最も少ない選手が「マリア・ローザ」着用の権利を得る。最終ステージの終了時点で「マリア・ローザ」着用の権利をもっている選手がジロの総合優勝者となる。色の由来はレース主催者のガゼッタ・デッロ・スポルトの紙面がピンクであるため。

マリア・ロッソ・パッショーネ

赤色のジャージ「マリア・ロッソ・パッショーネ」(「情熱の赤」の意)は「ポイント賞」に対して与えられる。各ステージのゴール、およびステージ途中の中間スプリント地点の通過順位に応じてスプリントポイントが加算されスプリントポイント1位の選手が「マリア・ロッソ・パッショーネ」着用の権利を得る。ツール・ド・フランスと異なり平地ステージも山岳ステージもゴール地点で与えられるポイントは同じ上に前述の通りスプリンターが活躍しづらいコース設定がされることも多く、山岳ステージを上位でゴールする総合成績上位のクライマーやオールラウンダーがこのジャージを獲得してしまうことも珍しくない[4][5]1966年に初登場。2009年までは「マリア・チクラミーノ」と呼ばれるシクラメン色のジャージであった。2010年のジャージスポンサーはフランスガラス繊維メーカーサンゴバン

マリア・ヴェルデ

緑色のジャージ「マリア・ヴェルデ」は「山岳賞」に対して与えられる。登り坂の勾配と長さに応じて点数が設定された[6]山岳ポイント地点の通過順位に応じて山岳ポイントが加算され、山岳ポイント1位の選手が「マリア・ヴェルデ」着用の権利を得る。1933年に初登場。

マリア・ビアンカ

白のジャージ「マリア・ビアンカ」は「新人賞」に対して与えられる。年齢25歳以下の選手が対象となり各ステージの所要時間を加算し、合計所要時間が最も少なかった選手が「マリア・ビアンカ」着用の権利を得る。

1976年に初登場。1994年以来消滅していたが、2007年に復活した。

マリア・ネラ

黒のジャージ「マリア・ネラ」はかつて総合成績最下位の選手に与えられた。1946年に初登場し悪趣味、屈辱的などの理由で1952年には廃止されたが1993年にはレース中盤でダリオ・マリウッツォがジョークで着用して登場、2008年にジャージではなく黒いゼッケン「ヌメーロ・ネロ」という形で復活した。同様のものに、ツール・ド・フランスにおける「ランタンルージュ」がある。ちなみに1951年にマリア・ネラを獲得したジョヴァンニ・ピナレッロの興したバイクメーカーピナレロから、同名の黒いジャージが発売されている。

そのほかの賞

特別なジャージはないが、コース中間に設定された地点の通過順位によるポイントを加算し、合計所要ポイントの最も多い選手には「個人総合中間スプリント賞」が与えられる(2008年の名称は、エキスポミラノ2015賞)。長距離をこなした後のスプリントや山岳コースでは勝ち目の無いトラックレース出身のスプリンターが狙ってくることが多い。

他にも総合成績・山岳・スプリントなどすべての賞で上位にいる選手に与えられる「敢闘賞(複合賞)」、ファウスト・コッピの名を冠した賞でその年の最大標高の山岳を1位で通過した選手に与えられる「チマ・コッピ賞」などその年ごとにさまざまな賞が設定される。また獲得ポイントの総合トップのチームに与えられる「スーパーチーム賞」、進路妨害や危険行為、ドーピングなどの不正行為がもっとも少ないチームに与えられる「フェアプレー賞」などチームを対象にした賞も設定される。

ちなみに中間スプリント賞と同様なものとしてかつては「インテルジロ賞」が存在し、こちらは順位によるポイントではなくその地点の通過時間の合計で争われていた。レース前半の展開を活性化させるために1989年から設けられ、序盤からの逃げを得意とするスピードマンなどが狙ってくることが多かった。トップの選手は「マリア・アッズーラ」と呼ばれる青いジャージを着用していたが、2006年にからは特別なジャージは廃止された。この年は複合賞の「マリア・ブル」として青いジャージが残ったが、2007年から姿を消している。

歴代総合優勝者

開催期間 総合優勝者
1 1909年5月13日30日 ルイジ・ガンナ
2 1910年5月18日6月5日 カルロ・ガレッティ
3 1911年5月15日6月6日 カルロ・ガレッティ
4 1912年5月19日6月2日 カルロ・ガレッティ
ジョバンニ・ミチェレット
エベラルド・パヴェシ
(アタラ)
5 1913年5月6日22日 カルロ・オリアーニ
6 1914年5月24日6月7日 アルフォンソ・カルツォラーリ
7 1919年5月21日6月8日 コスタンテ・ジラルデンゴ
8 1920年5月23日~6月6日 ガエターノ・ベローニ
9 1921年5月25日6月12日 ジョバンニ・ブルネーロ
10 1922年5月24日6月11日 ジョバンニ・ブルネーロ
11 1923年5月23日~6月10日 コスタンテ・ジラルデンゴ
12 1924年5月10日6月1日 ジュゼッペ・エンリッチ
13 1925年5月16日~6月7日 アルフレッド・ビンダ
14 1926年5月15日~6月6日 ジョバンニ・ブルネーロ
15 1927年5月15日~6月6日 アルフレッド・ビンダ
16 1928年5月12日6月3日 アルフレッド・ビンダ
17 1929年5月19日~6月9日 アルフレッド・ビンダ
18 1930年5月17日~6月8日 ルイジ・マルキシオ
19 1931年5月10日~31日 フランチェスコ・カミュッソ
20 1932年5月14日6月5日 アントニオ・ペゼンティ
21 1933年6月6日~28日 アルフレッド・ビンダ
22 1934年5月19日~6月10日 レアルコ・グエラ
23 1935年5月18日~6月9日 バスコ・ベルガマスキ
24 1936年5月16日~6月7日 ジーノ・バルタリ
25 1937年5月8日~30日 ジーノ・バルタリ
26 1938年5月7日6月2日 ジョバンニ・パレッティ
27 1939年4月28日~5月18日 ジョバンニ・パレッティ
28 1940年5月17日~6月9日 ファウスト・コッピ
29 1946年6月15日7月7日 ジーノ・バルタリ
30 1947年5月24日~6月15日 ファウスト・コッピ
31 1948年5月15日~6月6日 フィオレンツォ・マーニ
32 1949年5月21日~6月12日 ファウスト・コッピ
33 1950年5月24日~6月13日 ユーゴ・コプレ
34 1951年5月19日~6月10日 フィオレンツォ・マーニ
35 1952年5月17日~6月8日 ファウスト・コッピ
36 1953年5月12日~6月2日 ファウスト・コッピ
37 1954年5月21日~6月13日 カルロ・クレリッチ
38 1955年5月14日~6月15日 フィオレンツォ・マーニ
39 1956年5月19日~6月10日 シャルリー・ゴール
40 1957年5月18日~6月9日 ガストネ・ネンチーニ
41 1958年5月18日~6月8日 エルコーレ・バルディーニ
42 1959年5月16日~6月7日 シャルリー・ゴール
43 1960年5月19日~6月9日 ジャック・アンクティル
44 1961年5月20日~6月11日 アルナルド・パンピアンコ
45 1962年5月19日~6月9日 フランコ・パルマミオン
46 1963年5月19日~6月9日 フランコ・パルマミオン
47 1964年5月16日~6月7日 ジャック・アンクティル
48 1965年5月15日~6月6日 ビットリオ・アドルニ
49 1966年5月16日~6月9日 ジャンニ・モッタ
50 1967年5月20日~6月11日 フェリーチェ・ジモンディ
51 1968年5月21日~6月12日 エディ・メルクス
52 1969年5月16日~6月8日 フェリーチェ・ジモンディ
53 1970年5月18日~6月7日 エディ・メルクス
54 1971年5月20日~6月10日 ゴスタ・ペーテルソン
55 1972年5月21日~6月11日 エディ・メルクス
56 1973年5月18日~6月9日 エディ・メルクス
57 1974年5月16日~6月9日 エディ・メルクス
58 1975年5月17日~6月7日 ファウスト・ベルトリオ
59 1976年5月21日~6月9日 フェリーチェ・ジモンディ
60 1977年5月20日~6月12日 ミッチェル・ポランティエール
61 1978年5月7日~28日 ヨハン・ゲミュンク
62 1979年5月17日~6月6日 ジュゼッペ・サローニ
63 1980年5月15日~6月7日 ベルナール・イノー
64 1981年5月13日~6月7日 ジョバンニ・バッタリン
65 1982年5月13日~6月6日 ベルナール・イノー
66 1983年5月12日~6月5日 ジュゼッペ・サローニ
67 1984年5月17日~6月10日 フランチェスコ・モゼール
68 1985年5月16日~6月9日 ベルナール・イノー
69 1986年5月12日~6月2日 ロベルト・ヴィセンティーニ
70 1987年5月21日~6月13日 ステファン・ロッシュ
71 1988年5月23日~6月12日 アンドリュー・ハンプステン
72 1989年5月21日~6月11日 ローラン・フィニョン
73 1990年5月21日~6月11日 ジャンニ・ブーニョ
74 1991年5月26日6月16日 フランコ・キオッチョーリ
75 1992年5月24日~6月14日 ミゲル・インドゥライン
76 1993年5月23日~6月13日 ミゲル・インドゥライン
77 1994年5月22日~6月12日 エフゲニー・ベルツィン
78 1995年5月13日~6月4日 トニー・ロミンゲル
79 1996年5月18日~6月9日 パヴェル・トンコフ
80 1997年5月17日~6月8日 イヴァン・ゴッティ
81 1998年5月17日~6月7日 マルコ・パンターニ
82 1999年5月15日~6月6日 イヴァン・ゴッティ
83 2000年5月13日~6月4日 ステファーノ・ガルゼッリ
84 2001年5月19日~6月10日 ジルベルト・シモーニ
85 2002年5月11日~6月2日 パオロ・サヴォルデッリ
86 2003年5月10日~6月1日 ジルベルト・シモーニ
87 2004年5月8日~30日 ダミアーノ・クネゴ
88 2005年5月7日~29日 パオロ・サヴォルデッリ
89 2006年5月6日~28日 イヴァン・バッソ
90 2007年5月12日~6月3日 ダニーロ・ディルーカ
91 2008年5月10日6月1日 アルベルト・コンタドール
92 2009年5月9日~31日 デニス・メンショフ
  • 第4回のみ総合優勝はチームに与えられた。

日本人選手

日本での放送

日本では2002年よりJ SPORTSにて全ステージの中継が行われている。2006年から生中継が実現した。

脚注

  1. ^ 「d'Italia(ディターリア)」は「di(所有の前置詞) + Italia(イタリア)」の結合形であり、イタリア語にde(デ)という前置詞はない。だが、それでは「イタリア」が不明瞭になるためか、日本ではスペイン語表記のGiro de Italiaに比較的近い表記を用いたようだが、スペイン語では「ヒロ・デ・イタリア」と発音する。
  2. ^ 2007年は第17ステージで距離10km、平均斜度11.9%、最大斜度22%というゾランコン山への登り坂が設定された。これはツール・ド・フランスで有名なラルプ・デュエズと比較して距離こそやや短いものの平均斜度は1.5倍、最大斜度は約2倍となっている。
  3. ^ 1956年にはモンテ・ボンドーネで猛吹雪が発生し40人以上がリタイア。1988年にはガビア峠で吹雪となり、ゴールした選手が次々に倒れる事態となった。また1995年にはアグネロ峠で雪崩が発生、先行するキャラバン隊が巻き込まれコースが短縮になるなどの事件が発生している。
  4. ^ インテルジロ賞が行われていた頃は中間スプリント地点が存在せず、ゴール地点のポイントのみでスプリント賞が争われた為この傾向がさらに強かった。
  5. ^ 2009年に至っては、ポイント賞の上位3人の顔ぶれがマリア・ローザ争いの上位3人と全く同じだった。さらに4位のステファノ・ガルゼッリもマリア・ヴェルデを獲得しており、純粋なスプリンターといえる選手でトップ10に入ったのは5位のアレッサンドロ・ペタッキと8位のアラン・デイヴィスくらいだった。
  6. ^ かつては同一カテゴリーの山には同じポイントが配分されていたが、純粋なクライマーでないにもかかわらず序盤から飛び出してコース前半の山岳ポイントを狙う逃げ屋対策として近年ではコースの最後に置かれた山岳ポイントに限り倍の点数が与えられるなどの補正が行われることがある。

外部リンク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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