ドローニング・モード・ランド (ノルウェー語: Dronning Maud Land, 英語名のクイーン・モード・ランド Queen Maud Land とも) は、南極の地域名。東経44度38分から西経20度の範囲を指す。この土地の名称はノルウェーのモード王妃を記念してロアール・アムンセンによって名付けられた。
この領域は1939年1月14日にノルウェーによって領有が主張されており、ノルウェーはここを自国の「属領」とみなしている。ノルウェーは、この他にピョートル1世島についても領有権を主張している。ただし、同国の主張は国際的には認められていない。また、ノルウェーも締約している南極条約によって、南極地域における領土主権、請求権は凍結されている。
面積はおよそ250万平方kmにおよぶ広大な南極氷床で、西経20度より西はイギリス領南極地域(およびアルゼンチン領南極地域)、東経44度38分より東はオーストラリア南極領土となっている。他国の南極領土が南極点を頂点とし南緯60度線などを外周とする扇型であるのに対し、ノルウェーは公的には南限と北限を定めていない。これが南極に対する領土権主張を図にしたときにノルウェー領部分だけ形が異なる理由である。
ノルウェーのドローニング・モード・ランドに対する主張は、オーストラリア、フランス、ニュージーランド、イギリスが承認した時期がある[1] 。一方、ノルウェーの領有宣言の直後、ドローニング・モード・ランドの一部をノイシュヴァーベンラント(ニュー・スウェイビア)と名付けて領有を模索していたナチス・ドイツが反発し、直後にドイツも南極領土を主張するに至った。第二次世界大戦中はドイツ軍の船がこの海域に出没しノルウェーの捕鯨船を拿捕するなどしている。
目次 |
ドローニング・モード・ランドの海岸地帯は5つの地域に分けられている。それぞれの地域は内陸のどの範囲まで広がっているかは定まっていないが、南極点までの扇形の範囲にまで延長する可能性はある。西から順に次のようになる。
| No. | 地域 | 面積(km²) | 西限 | 東限 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | プリンセス・マーサ・コースト Princess Martha Coast Kronprinsesse Märtha Kyst |
970,000 | 020°00' W | 005°00' E | ||
| 2 | プリンセス・アストリッド・コースト Princess Astrid Coast Prinsesse Astrid Kyst |
580,000 | 005°00' E | 020°00' E | ||
| 3 | プリンセス・ラグンヒルド・コースト Princess Ragnhild Coast Prinsesse Ragnhild Kyst |
540,000 | 020°00' E | 034°00' E | ||
| 4 | プリンス・ハラルド・コースト Prince Harald Coast Prins Harald Kyst |
230,000 | 034°00' E | 040°00' E | ||
| 5 | プリンス・オラフ・コースト Prince Olav Coast Kronprins Olav Kyst |
180,000 | 040°00' E | 044°38' E | ||
| 6 | 南極高原 ホーコン7世高原 Kong Haakon VII Vidde |
南極高原は6番目の地域とされる。 北の境界は定まっておらず、 その面積は第1地域から第5地域に含む |
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| ドローニング・モード・ランド Dronning Maud Land |
2,500,000 | 020°00' W | 044°38' E | |||
この地域を最初に訪れたのは、1930年に南極の地図作成のために一帯を探検した飛行家・極地探検家のヒャルマー・リーセル=ラルセン(Hjalmar Riiser-Larsen)だった。ロアール・アムンセンはこれ以前にノルウェーのモード王妃を記念して、東経37度から東経50度までの範囲にドローニング・モード・ランドと名付けており、さらに南極点を取り巻く高原地帯に、ノルウェー王ホーコン7世を記念してホーコン7世高原と名付けていた。リーセル=ラルセンの飛行と探検により判明した海岸線はドローニング・モード・ランドに組み込まれ、後にノルウェーが領有を宣言することになった。
ノルウェーは恒久基地であるトロール基地(Troll research station、72°00′43.5″S 2°31′56″E)、および夏季のみの基地であるトール基地(Tor research station、71°53′20″S 05°09′30″E)の二つの南極観測基地を所有しており、いずれもドローニング・モード・ランドにある。
ドローニング・モード・ランドにはノルウェー以外にも、南アフリカ、ロシア、日本(昭和基地、みずほ基地、ドームふじ基地、あすか基地)、ドイツ、ベルギー、スウェーデン、フィンランド、インドの基地がある。
| 1832年 | イギリスの探検家ジョン・ビスコー(John Biscoe)、南極半島の突端部グレアムランドを望見したと主張。 |
| 1893年 | ノルウェーの捕鯨船船長・探検家のカール・アントン・ラーセン(Carl Anton Larsen)、グレアムランドのいくつかの地形を発見し、フォイン・コースト(Foyn Coast)、キング・オスカー・ランド(King Oscar Land)、ヤーソン山(Mount Jason)、ロバートソン島(Robertson Island)と命名。 |
| 1895年1月24日 | ノルウェーの南極探検家カールステン・ボルヒグレヴィンク(Carsten Borchgrevink、南極大陸のヴィクトリアランド北東端のアデア岬(Cape Adare)に上陸。彼はこれを人類初の南極大陸上陸としている。3年後の1898年、彼はイギリス隊を率い、初の南極大陸冬季探検(サザンクロス探検)を行った。 |
| 1911年12月14日 | ロアール・アムンセン率いるノルウェー南極点探検隊の5名、人類初となる南極点到達。 |
| 1930年 | ヒャルマー・リーセル=ラルセン(Hjalmar Riiser-Larsen)、ロアール・アムンセンがドローニング・モード・ランドと名付けた南極大陸の地域を飛行機で探査する。 |
| 1927年-1937年 | ラース・クリステンセン(Lars Christensen)、1927年に南極海のブーベ島に上陸しノルウェー領としたほか、1937年までの間、探検隊を組織してドローニング・モード・ランドを探査する。 |
| 1939年1月14日 | ノルウェー政府、ドローニング・モード・ランドを東経45度から20度の範囲と定義したうえで、その領有権を主張。 |
| 1939年 –1945年5月23日 |
ナチス・ドイツの南極探検家、アルフレート・リッチャー(Alfred Ritscher)、ドイツ第3次南極探検隊を率いてドローニング・モード・ランドに上陸、東経20度から西経10度までの範囲をノイシュヴァーベンラントと名付けてドイツ領と宣言。第二次世界大戦での無条件降伏で無効とされるまで主張を続ける。 |
| 1941年1月13日 | ドイツ軍、ドローニング・モード・ランド北方沿岸で操業中のノルウェーの捕鯨母船を拿捕。翌日には捕鯨船11隻と母船3隻を拿捕。ドイツ海軍はケルゲレン島の港を連合国軍の船舶攻撃のために使用する。 |
| 1948年 | ノルウェー極地研究所(Norwegian Polar Institute)、ドローニング・モード・ランドの行政を任される。 |
| 1957年 | ノルウェー政府、ドローニング・モード・ランドを属領とし、ノルウェーの主権の及ぶ範囲とする。 |
| 1961年6月23日 | 南極条約、発効。各国の領有権主張は凍結。 |
| 2005年 | ソニア王妃、ドローニング・モード・ランドを公式訪問し、通年基地であるトロール基地の開所を宣言。 |
| 2008年 | ノルウェー首相イェンス・ストルテンベルク、ドローニング・モード・ランドを公式訪問し、三つの山に対して命名する。 |
Alpinist Magazine Climbing Notes-First Ascents in Queen Maud Land