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ピーター・ウォー

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ピーター・ウォー(Peter Warr、1938年6月15日 - )は、イギリス出身のレーシングドライバー、レーシングチームのマネージャー。第1回日本グランプリ優勝者に名を残す。

フォーミュラ1(F1)に出走した経験はないが、1963年に当時市販車ベースの改造車で行われていた(F1とは別競技である)第1回日本グランプリにロータス23で出走し優勝するなど、ドライバーとして活躍した。現役引退後はF1のウルフチーム監督などを経て、同じくF1のロータスチームのマネージャーとしても活躍した。近年はマネージャ業のほうがよく知られている。

経歴

1958年、当時ペルシャに赴任していた両親の元に生まれる。学生時代は英国で過ごし、その後1956年から1958年まで英国陸軍に入隊(英国の徴兵制度最後の世代である)。1958年の除隊後、ロータスに入社。セールスマネージャーでありながらレース活動も行い、1963年鈴鹿サーキットで行われた第1回日本グランプリにロータス23で出走し優勝する。1966年、ロータス本社がロンドン近郊のハートフォードシャー・チェスハントからノーフォークに移転することを決めたときに、「田舎に引っ越す」ことを躊躇してロータスを辞するとともにレースからも引退、ロンドンにて模型屋(スロットカー・レーシングの店)を営む[1]1969年、前任者(アンドリュー・ファーガスン)が辞することから誘いを受け、ロータスのチームマネージャとして復帰。1976年末にロータスを離れ、ウルフチームのチームマネージャに就任する。ウルフチームは1979年に解散し、チームを買収したフィッティパルディ・チームのマネージャを1981年まで勤めるが、同年11月にロータスに復帰する。1982年コーリン・チャップマンが急逝すると、チームマネージャーとしてチームを指揮する。1989年にチームのフレッド・ブッシェルがデロリアン疑惑で逮捕されると、シーズン途中に辞任してチームを離れる。

人物

ロータスのチームマネージャとしては、トールマンから引き抜いたアイルトン・セナを擁して活躍しホンダエンジンを獲得、中嶋悟を起用したりした一方で、ホンダエンジンを失った1989年には持ち込んだ車のレギュレーション違反を逃れるために予選セッション中にリヤウイングを鋸で切り落とすなどの失態も見られ、評価が分かれるところである。1987年にピーター・ライトが開発したアクティブサスペンションロータス・99Tに登載して実戦投入した件についても、「英断」と評価する向きがある一方で「当時のコンピュータ性能ではまだ時期尚早だった」と評価するジャーナリストも多い。

また1987年には、当時全車にダミーウェイトが載せられるわけではないためハンディになると知りつつ中継用車載カメラを中嶋悟車に搭載するなど、前衛的な、悪く言えば大味なマネージメントを行うマネージャであった。尚、当時の車載カメラは大型で空力的にも不利であり、重量と併せてラップタイムにして1秒近くロスすることになったとも言われており、「ルーキードライバーには酷である」とカメラを取り外すようセナがウォーにかけあったが、既に契約していた為に外せなかったと言われている。

ピーター・ウォーは、中嶋悟が当時ロータスチームのスポンサーであったJPSが冠スポンサーをつとめる1982年JPSトロフィーで優勝した時の賞典である、イギリスのドニントン・パークで行われたロータスF1カーテストドライブの際のマネージャであった。また、前記の通り1987年に中嶋悟がロータスでF1デビューする際のマネージャでもあり、中嶋悟との接点は意外と濃い。

ナイジェル・マンセルとは折り合いが悪く、彼がロータスを離れる際「彼はグランプリで優勝することはないだろう」とコメントしている。マンセルは、その後ウィリアムズに移籍して初優勝を果たしている。[2]

2009年4月には改装された鈴鹿サーキットのリニューアルオープン記念イベントに招かれ、ロータス23の同型車でサーキット内のデモ走行を行った[3][4]

脚注

  1. ^ この模型店には後にタミヤの社長となる田宮俊作が訪英の際に立ち寄り親交を深めた。タミヤは後のロータスチーム存続の危機の際にスポンサーを買って出ている。
  2. ^ 全開 マンセル自伝(1996年、 二玄社)ISBN 4544040523
  3. ^ 鈴鹿サーキット・オープニングデーで第1回日本GPを再現 - Car Watch・2009年3月25日
  4. ^ 新装鈴鹿サーキットでオープニングデー 往年のF1疾走 - asahi.com・2009年4月12日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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