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フォルクスワーゲン

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フォルクスワーゲン
Volkswagen AG
Volkswagen Passenger Cars
種類 株式会社
本社所在地 ドイツ
ニーダーザクセン州 ヴォルフスブルク
設立 1938年
業種 輸送用機器
事業内容 自動車製造
代表者 マーティン・ヴィンターコーンCEO
売上高 739億ユーロ(2007年)[1]
営業利益 194億ユーロ(2007年)[2]
外部リンク フォルクスワーゲン公式ページ
  






フォルクスワーゲンVolkswagen AG )とは、ドイツ最大手の自動車メーカーである。傘下の企業を合わせてフォルクスワーゲングループを構成する。

目次

概要

フォルクスワーゲンは、8つの自動車ブランド、19ヶ国に44工場を所有する多国籍企業である。 世界でのグループの販売台数は、2008年現在ではトヨタ自動車ゼネラル・モーターズに次ぐ、ヨーロッパで最大の第3位の規模を持つ。[3]

傘下ブランド

2002年から、グループの乗用車ビジネスは、フォルクスワーゲンブランドおよびアウディブランドの2系列となっている。

2008年時点では、本国ドイツの他、メキシコブラジル中国などに生産拠点を置き、VWと同格位置づけの会社としてアウディが存在するほか、フォルクスワーゲン傘下のグループ企業としてシュコダ(チェコ)・セアト(スペイン)・ベントレー(イギリス)、及びアウディ傘下のランボルギーニなどのブランドを抱える多国籍企業となっている。

また、近年では、高級SUVであるトゥアレグや高級セダンフェートンなどを発売し、社名そのものの大衆車メーカーから、高級車も手がけるブランドへと変貌を図っている。

2008年8月現在、フォルクスワーゲンは日本において最も新車販売台数の多い輸入車ブランドとなっている。

株主

2005年9月、創業時から関係の深いポルシェはフォルクスワーゲンAGの株式20%を取得し、筆頭株主となった。

2009年1月現在、ポルシェの持ち株比率は50.76%となっており、同社による子会社化が完了している。また、今後は、複数の金融機関から追加取得できる権利も含めると、75%まで買い増す方針が伝えられているが、 フォルクスワーゲン社はこれに抵抗している[4]

2009年に入るとポルシェは資金繰りに行き詰まってしまい、2011年半ばを目処に、逆にフォルクスワーゲンがポルシェを買収する形で経営統合する方針であることが明らかとなった。

2009年10月には持ち株会社であるポルシェ・オートモービル・ホールディング社の保有するポルシェ社の株式の49.9%を取得した。 尚。ポルシェ・オートモービル・ホールディング社の株式は市場売買可能なものの、議決権のある株式の90%以上を一族が保有している。

フォルクスワーゲンの世界展開

日本での事業展開

1953年よりヤナセにより輸入が行われたが、当初から右ハンドル仕様を導入するなど日本の法規にローカライズしたモデルを輸入したことにより、輸入車のトップシェアを維持していった。1983年にフォルクスワーゲン社の直接の子会社フォルクスワーゲン株式会社が設立され、1989年にはフォルクスワーゲン アウディ 日本 株式会社となり系列の販売店をオープンし、より直接的な販売にも乗り出す。しかも1991年にトヨタがVW車の販売を始めると表明するとヤナセとの関係が悪化し、ヤナセは『値引き合戦が激しくなり、ブランドイメージが保てなくなる』として1992年12月をもってVWの輸入、販売を取りやめた。

その後は地場資本の「ファーレン店」とトヨタ系の「DUO店」で販売を行い、かつてVWのインポーターであったヤナセも2005年に「ヤナセヴィークルワールド」を立ち上げ、VW車の販売を再開した。

詳細は「フォルクスワーゲン グループ ジャパン」を参照

2009年12月にはスズキとの包括的提携を発表した[5]。VW側はスズキの発行済株式の19.9%を取得する一方で、スズキ側もVW株を「VWがスズキ株式の取得に投じた金額の2分の1を限度として」取得するほか、ハイブリッド車等の開発でも提携する[6]

中国での事業展開

中国では、業界1、2位を争う大手の上海汽車第一汽車双方と生産・販売協定を行っている。フォルクスワーゲンは中国において国外の自動車メーカーで最初に合弁企業を設立した会社である。また部品工場も保有する。

中国での商標は、「フォルクスワーゲン=人々の車」から「大衆」で、現地表記では「大众」となる。また、「众(衆)」の字はVWのロゴマークとよく似ている。

2008年に開催された北京オリンピックの(中国国内でのみ権利のある)ローカルスポンサー(公式パートナー)となっている。

北米での事業展開

1949年アメリカ合衆国に輸出が開始されて以来、恐竜にも例えられた国産車への対抗馬として、かつては代表的な大衆車であったが、1970年代後半に開始されたラビット(Rabbit:初代ゴルフの現地名)現地生産での失策(運転感覚や車種のキャラクターを一般的アメリカ車に近づけすぎた)と、同時期の日本車の好評によるシェアの伸長以降、長期低落状態に陥り、アメリカにおける市場シェアが2007年で2%以下まで下落している。品質・信頼性に関する問題に加え、「割高で、つまらない自動車」と捉えられていることが原因とされる。[7]

2006年には、販売不振だった高級乗用車・フェートンの販売を中止した一方、イメージ挽回をかけて、先代GTI(北米では独立した車名となっている)の広告でMTVの人気番組Pimp My Rideをパロディにしたキャンペーンを行ったり、最近では基幹車種(ニュービートル、ラビット(五代目ゴルフの現地名)、ジェッタ)の特売キャンペーンを展開している。

2008年7月15日に、フォルクスワーゲンはテネシー州チャタヌーガ市で自動車組立工場を建設すると発表した。特に北アメリカのために設計される車を、現地で2011年前半に生産を始める予定である[8]

保有ブランド

8つのブランド全体を指す場合、ドイツ語でフォルクスヴァーゲン・コンツェルン(Volkswagen-Konzern)、英語でフォルクスワーゲン・グループという表現をフォルクスワーゲン社自らがよく使用している。

乗用車ビジネス(2部門) - 両部門の独自性は強い。

商用車ビジネス部門

  • 商用車ブランド(Volkswagen Commercial Vehcles Company) - トラック、バス、バン、キャンピングカーを含む。

車種一覧

現在、日本国内で販売されているフォルクスワーゲン車

フォルクスワーゲングループ・ジャパンが総輸入元となり、国内販売ディーラーにはフォルクスワーゲングループ・ジャパンが展開している「Volkswagen」店「ファーレン」店と、販売提携先のトヨタ自動車のディーラーが手がけている「DUO」店がある。取り扱い車種に違いはない。

ポロGTI
クロスポロ(ポロをベースとしたSUV仕様)
  • シロッコ - ゴルフI、II、Ⅵをベースとするクーペ。

日本未投入モデル

  • Golf Citi
  • Brasilia
  • Dasher
  • Gol
  • Fox
  • Parati
  • Kombi
  • Rabbit Picup
  • Saveiro
  • Caddy Life
  • Multivan
  • Taro
  • Phaeton
  • SP2




かつて日本で販売されたモデル

年表

  • 1945年 - ナチス降伏によりドイツは連合軍の管理下におかれる。KdF 市は「ヴォルフスブルク」市と改名。アイヴァン・ハーストをリーダーとするイギリス軍の管理下で新生フォルクスワーゲン工場として、はじめてフォルクスワーゲンを生産する。イギリス占領軍政府から2万台の生産を受注、この年にはキューベルワーゲンも生産された。KdF車は「フォルクスワーゲン・タイプ1」に車名を変更する。
  • 1948年1月 - イギリス軍からハインリッヒ・ノルトホフがフォルクスワーゲン社長に任命される。
  • 1949年 - アメリカ合衆国にタイプ1を初輸出。その後の最重要な輸出先となる。カルマン社よりタイプ1をベースとしたカブリオレ発売。以後カブリオレは、フォルクスワーゲンの主要モデルに定番的に設定される。
  • 1950年 - 初の商用車、タイプ2(初代トランスポーター)発表。汎用性の高さから大成功を収める。タイプ1が10万台目のラインオフ。
  • 1952年 - ノルトホフ社長が米国経由で日本を訪れ、4台のタイプ1が持ちこまれる。記録に残る日本最古のフォルクスワーゲン。
  • 1953年 - ヤナセが108台のフォルクスワーゲンを輸入、翌年輸入販売権を獲得。日本への本格的なフォルクスワーゲン輸入がはじまる。
  • 1955年 - カルマンギアを発表。タイプ1をベースとしてイタリア・ギア社のデザインしたボディをカルマン社で架装したスポーティクーペ。アメリカ市場で人気を博する。
  • 1957年 - タイプ1、200万台目のラインオフ。
  • 1961年 - タイプ3発表。3ボックスタイプの機能的なボディを備え、タイプ1より上位のモデルと位置付けられたが、大きな成功を収めるには至らなかった。
  • 1960年 - 独フォルクスワーゲン社は有限会社(Volkswagenwerk GmbH)から株式会社(Volkswagen AG)に変更。
  • 1966年 - タイプ3にファストバックを追加。
  • 1968年 - タイプ2モデルチェンジ、2代目となる。通称レイトバス。VWの乗用車分野で最後の空冷系列となるタイプ4(411)が発表されたが、これも商業的には失敗作であった。
  • 1969年 - 初の水冷・前輪駆動モデル、NSUより開発されたK70を新工場、ザルツギッター工場で生産開始。ロータリーエンジン車Ro80のレシプロエンジン化車で、大きな実績を収めるには至らなかった。
  • 1970年 - VW181発表。
  • 1972年 - 1500万7034台目のタイプ1がラインオフ、T型フォードの記録を更新。
  • 1973年 - 初代パサート発表。タイプ4がモデルチェンジ、412に。
  • 1974年 - 初代ゴルフ発表。カルマン社生産により初代シロッコが発表。カルマンギア生産中止(累計44万5295台)。
  • 1976年 - 生産開始から31ヶ月目で100万台目のゴルフがラインオフ。
  • 1977年 - ダービー(ポロの2ドアセダン)発表。
  • 1978年 - 欧州でのタイプ1生産中止。白と黒のみの最終生産型はヤナセでは「グローリー・ビートル」と名付け、船上で完売。そのまま納車されたので店頭に並ぶことはなかった。
  • 1979年 - ジェッタ(初代)発表。3代目カラベル(乗用)/トランスポーター(商用)(北米名Vanagon)。
  • 1980年 - 高速燃費試験車ARVWが、時速362 kmを記録し、ディーゼルエンジン車の世界最高速度記録を樹立。エンジンスペックは、直列6気筒 2386 cc ターボつき 175 hp ( 130.5 kW )。
  • 1981年 - パサート、シロッコ(共に2代目)発表。
  • 1982年 - 2代目ポロ、発表。
  • 1983年 - 2代目ゴルフ、発表。7月フォルクスワーゲンWerk AGの出先機関としてフォルクスワーゲン株式会社設立。
  • 1984年 - 2代目ジェッタ、発表。日産自動車と提携、サンタナ(2代目パサート)生産開始。
  • 1988年 - コラード発表。
  • 1989年 - 3代目パサート、発表。欧州版トヨタハイラックスOEMでVW TARO発表。8月フォルクスワーゲン アウディ 日本株式会社(略称:VAN)設立。
  • 1990年 - 欧州でVWバスの4代目カラベル/トランスポーター発表
  • 1991年 - 3代目ゴルフとヴェント、発表。日本や欧州ではジェッタ一旦廃止
  • 1992年 - トヨタがVW・Audi車販売店鋪DUOをオープン
  • 1993年 - 北米仕様カラベルとしてユーロバンEuroVan発表
  • 1994年 - 日本仕様カラベルとしてヴァナゴンVanagon発表
  • 1995年 - 3代目ポロ、発表。
  • 1996年 - 4代目パサート、発表。
  • 1997年 - 4代目ゴルフとボーラ、発表。ヴェント廃止
  • 1998年 - ニュービートル北米発表。翌年にヨーロッパでも発売される。9月、第二次大戦中の強制労働に対する補償を開始。ドレスデン・グローサーガルテン新工場が稼動開始。
  • 2001年 - ドレスデン新工場とロジスティックセンターを結ぶ路面電車による貨物列車"CarGoTram(カーゴトラム)"が、ドレスデン交通企業体との連携協力の下で運用開始。
  • 2002年 - 4代目ポロ、発表。
  • 2003年 - ドレスデン新工場からフェートン、発表。ポルシェとの共同開発SUVトゥアレグ、発表。9月メキシコプエブラ工場での旧ビートル(現地名セダン)生産、遂に終止。累計生産台数は、2150万台を超える。
  • 2004年 - 5代目ゴルフとニュービートルカブリオレ、発表。アラブ首長国連邦アブダビ首長国が同社株式の13%を取得。ゴルフ・ゴルフ トゥーランがCOTYインポート=カー=オブ=ザ=イヤー受賞。
  • 2005年 - ジェッタ・ゴルフプラス・5代目パサート、発表。ポルシェが同社株式の20%取得。フェートン、北米地域での販売中止を決定。エオス(Eos)をフランクフルトIAAショーで発表。エコレーサーを東京モーターショーで発表。日本での単独ブランド累計輸入100万台突破。記念式典が豊橋インポートセンターで開催。
  • 2009年 - スズキ (企業)との包括的業務資本提携を発表。

歴史

会社の誕生

旧フォルクスワーゲン製造会社は第二次世界大戦前にナチス政権の国策企業として設立された。フォルクスワーゲン社自身による年表でも1937年設立となっているが、会社としては第二次世界大戦終戦後のイギリス軍管理下で改組されたもので、工場と製品設計のみを継承した形となっている。

ヒトラーの国民車計画とその頓挫

アドルフ・ヒトラーが1934年のベルリンモーターショウで提唱した国民車(フォルクスワーゲン)計画に従い、著名な自動車設計者であるフェルディナント・ポルシェによって、進歩的なメカニズムを備えた流線型のリアエンジン小型車が開発された。後のフォルクスワーゲン・タイプ1となる車である。1936年に最初の試作車を完成、1938年に発表された。

当初ヒトラーはこの車を「フォルクスワーゲン(国民車)」と称していたが、最終的に1938年に、「KdF-Wagen(歓喜力行団の車)」と命名した。歓喜力行団とは、ドイツ労働戦線の一部局で労働者の余暇活動を活性化させる組織を指し、文字通り「ナチス政権下の国民車」としての意義を強調するものであった。

生産のために1937年5月28日フォルクスワーゲン準備会社(Gesellschaft zur Vorbereitung des Deutschen Volkswagens GmbH )が創立され、1938年9月16日フォルクスワーゲン製造会社(Volkswagenwerk GmbH )と名称変更。この国民車の大量生産を期し、歓喜力行団の車を生産する街 (Stadt des KdF-Wagens )までもが新しく建設された。

しかし1939年9月に第二次世界大戦が始まるとフォルクスワーゲン製造会社は軍需生産に移行、歓喜力行団の車をベースにしたキューベルワーゲン等の軍用車両を生産、民需のフォルクスワーゲンを生産することはなかった。フォルクスワーゲンを購入するために労働者は余暇活動組織「歓喜力行団」を通じて積立金を支払っていたのであるが、民需生産の中止により実際の納車はなされなかった。

戦時中のフォルクスワーゲン製造会社の生産ラインにはポーランド、ウクライナ、ロシア、ベラルーシ、イスラエル、オランダ、フランス、オーストリアなど、近隣諸国からの約2万人の強制労働者や戦争捕虜、のちにはアウシュヴィッツ収容所の収容者が送り込まれ、過酷な労働を強いられ死に至る者もいた[9]

設計者であるフェルディナンド・ポルシェキューベルワーゲンシュビムワーゲン以外にティーガー戦車を含めた軍用車輌開発に従事していた。そのような情勢でフォルクスワーゲン計画は立ち消えた形になったのである。

戦後の大躍進

第二次世界大戦の欧州戦がドイツの降伏によって終結すると、ドイツ全土は連合軍の占領下におかれた。KdF工場はソ連に接収され、やがて撤去されようとしていたが、重要性に気づいたイギリス軍が最終的に管理下においた。工場所在地の「KdF市」というナチスじみた地名も、近くにある城の名前に因んでヴォルフスブルクと改名された。

フォルクスワーゲンにとっての幸運は、理解あるイギリス軍少佐のアイヴァン・ハースト(Ivan Hirst 1916年-2000年)が工場管理者となったことであった。ハーストはKdF車の将来性と、ドイツ人労働者の高い資質を見抜き、リーダーシップを取って、戦禍によって廃墟同然となった工場を復興させた。その結果、1945年中にはフォルクスワーゲン社が改組され、KdFも「フォルクスワーゲン・タイプ1」に車名を変更して生産を再開したのである。

さらにハーストは占領軍の管理者という立場でありながら、品質管理や販売網・サービス網整備にまで意を払い、フォルクスワーゲンの礎を築いた。1947年からはオランダを皮切りに輸出も開始している。

フォルクスワーゲン車は、戦後のアメリカ、イギリスの主要自動車メーカーからも調査の対象となったが、その進歩性・合理性を、保守的なデトロイトや英国の技術者たちは理解できなかった。英国メーカー各社の調査団は検討の結果「評価に値しない車」としてこれを看過した。フォード・モーター社トップであったヘンリー・フォード2世は、1948年末の連合国側関係者による検討会議で「フォルクスワーゲンは無価値と判断する」旨発言してこれを放擲する意見を表明し、連合国関係者はフォード2世の意見に同意した。このため、他国に設計・設備を収奪されるような事態に至らず、フォルクスワーゲンはドイツの民族系企業としての発展を約束されたのである。

これに先立つ1948年1月、戦前にドイツ最大の自動車メーカー・オペルの幹部であったハインリッヒ・ノルトホフが、ハーストの後を受けて経営に携わるフォルクスワーゲン社長に任命された。就任にあたり、ノルトホフは工場の労働者に自身の信念を語っている。

  • 『未来は過去と決別するときに始まる』

爾来、辣腕のノルトホフに率いられたフォルクスワーゲン社は、ヒトラーの数少ない「正の遺産」である「タイプ1」を中心に、その言葉の通り戦後の社業を拡大して行くことになった。

主力モデルである「タイプ1」は、その耐久性と経済性、そして優れたアフターサービス体制で世界の市場から圧倒的な支持を得ることに成功した。「ビートル」の愛称で広く親しまれたこの古風な流線型車は、アメリカをはじめ全世界に大量輸出され、貴重な外貨を獲得して西ドイツの戦後復興に貢献した。2003年のメキシコ工場における生産終了時点までに生産された台数は2,152万台以上に上り、モデルチェンジなしでの1車種としては未曾有の量産記録となっている。おそらく四輪自動車で、今後もこれを破る記録は現れないであろう。

フォルクスワーゲンはタイプ1の設計をベースとした派生車種を多く送り出したが、中でも1950年に発表したキャブオーバー・ワンボックス車の「タイプ2」は、貨客搭載力と乗り心地を両立させた優秀な汎用車として大人気を博した。

1960年までは西ドイツ政府の国営であったが、民営化にあたり「フォルクスワーゲン法」という特別な法律が制定された。この法律により、投資家はどんなに株を買っても議決権の20%までしか保有できないようになっていたほか、筆頭株主がニーダーザクセン州であったなど、通常の一般企業とは異なる面をもっていた。

1965年には、従来ダイムラー・ベンツ傘下にあり今日のアウディAGの前身であるアウトウニオン社を生産体制強化のために買収した。

前輪駆動への移行と規模拡大

だがビートルの余りに大きすぎた成功は、後継モデル開発の妨げともなった。「フォルクスワーゲンすなわちビートル」というイメージの強さ、空冷リアエンジン方式というレイアウトが1960年代に陳腐化したにも関わらず、根本的変更が遅れたことなどが災いし、新型車を世に問うても決定打を欠くという低迷期が、1960年代後半以降長く続いた。

フォルクスワーゲンは、傘下としたアウトウニオン(現アウディ)の前輪駆動技術をも応用して、1970年以降の新型車について前輪駆動化への動きを進めた。


1974年に至り、スペース効率に優れた前輪駆動のハッチバックゴルフを開発し、その機能性が市場に受け容れられてベストセラーとなった。ようやくビートルを代替できるモデルを得たのである[10]。以来、その延長線上に各種の機能的な小型車を多数送り出し、ヨーロッパを代表する大衆車メーカーとしての地位を確立した。

1980年代以降は、それ以前の南米などへの工場展開のみならず、既存メーカーの買収をも進めるようになっている。1984年には、上海汽車との提携で中国市場へ参入。また1991年にはチェコの老舗メーカーであるシュコダ、1996年にはかつてフィアット系だったスペインセアトを傘下に入れ、東欧・南欧での拠点をも確保した。

1998年に、戦前・戦時中のフォルクスワーゲン製造会社に関連する戦争補償プログラムをはじめた。

2007年、欧州委員会はフォルクスワーゲン法が欧州連合の法令に違反していると指摘し、ドイツは法令廃止を余儀なくされた。[11]安定株主を確保する必要に迫られたフォルクスワーゲン社は、歴史的に繋がりが深く業務提携関係にあるポルシェに株式提携を要請。紆余曲折の末、フォルクスワーゲンとポルシェが経営統合することとなる。[12]

フォルクスワーゲンの名称

フォルクスワーゲンは、ドイツ語で「国民車」または「(ドイツ)民族の乗用車」の意 。"Volkswagen"の標準ドイツ語発音は 「フォルクスヴァーゲン」だが、日本では "Volks" 部分をドイツ語読み、"wagen" 部分をローマ字読みした、輸入会社「ヤナセ」考案の「フォルクスワーゲン」という呼び方が慣例的に用いられていた。もっとも、英語でも 「ヴォルクスワグン」という読みが慣例的に用いられており、ドイツ語と異なる読みが用いられるのは日本に限ったことではない。

フォルクスワーゲン社の日本法人が1983年7月に『フォルクスワーゲン株式会社』として設立されたことにより、ドイツ語と日本流ローマ字読みの混合名称は公式に追認された形である。現在はフォルクスワーゲン グループ ジャパン株式会社に改名している。

日本では『フォルクスワーゲン』およびその短縮形の『ワーゲン』は長い間、同社の『フォルクスワーゲン・タイプ1』を指す愛称として用いられてきた。本国ドイツではこれを「カブトムシ」を意味する『ケーファー(Käfer )』と呼び、英語圏では同意の『ビートル(Beetle )』の呼称が広く用いられた。日本でも「ビートル」の愛称はよく知られている。アメリカでは単に『虫(バグ、Bug )』とも愛称されるが、日本ではビートルを趣味の対象とするマニア内の用語に留まっている。また、メキシコではVocho(ボッチョ:スペイン語で『虫』を意味するBicho (ビチョ) とVolkswagenからの造語)、タイではタオ(亀)の愛称で呼ばれる。

関連項目

脚注

外部リンク

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