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ボルシア・ドルトムント

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ボルシア・ドルトムント
原語表記 Borussia Dortmund
愛称 Die Schwarzgelben
クラブカラー 黒と黄
創設年 1909年
所属リーグ ドイツ・ブンデスリーガ
所属ディビジョン 1部
ホームタウン ドルトムント
ホームスタジアム ズィグナル・イドゥナ・パルク
収容人数 81,708
代表者 ラインハルト・ラウバル
監督 ユルゲン・クロップ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
   サッカークラブPJ


ボルシア・ドルトムントBV Borussia 09 Dortmund)は、ドイツドルトムントに本拠地を置くサッカークラブ。現在はドイツ・ブンデスリーガに所属。ホームゲームでの観客入場者数が平均7万5000人と地元では大変な人気を誇っている。ブンデスリーガ優勝6回、96-97シーズンにはチャンピオンズリーグを制覇するなど獲得タイトル数も多い。

前ドイツ首相ゲアハルト・シュレーダーは当クラブのファンである。

目次

歴史

創立期

1909年、教会が運営していた厳しいサッカークラブに飽き足りない青少年により創設された。「ボルシア」(Borussia)はラテン語での「プロイセン」の意味で、ドルトムントがプロイセン王国に属していたこと、および近隣にあるボルシア醸造所の名称にちなむ。 ブンデスリーガ発足前の1955-56シーズンに初優勝し、1956-57シーズンには連覇も果たしている。 ブンデスリーガ発足後は、1962-63シーズンに優勝し、 1965-66シーズンにはUEFAカップウィナーズカップも制している。ちなみに、旧西ドイツ国内では初めてUEFA主催の大会でのタイトル獲得でもあった。しかし、突然1970年代に失速し、1971-1972年シーズンで2部へと降格した。1976年にブンデスリーガ2部で準優勝して1部復帰を果たしたものの、その後は中位を推移していた。

躍進〜欧州制覇

ゲルト・ニーバウムが会長に就任したことでクラブに大きな変化が訪れ、1990年代よりクラブは躍進の時代を迎えることになる。海外のリーグで疲れたドイツ代表選手( シュテファン・ロイターマティアス・ザマーカール=ハインツ・リードレなど)を次々に獲得して戦力アップを図っていき、1991年にオットマー・ヒッツフェルトを監督に招聘して以降は、ドイツの盟主バイエルン・ミュンヘンと毎年優勝争いを演じて、チームはバイエルンの「最大のライバル」と呼ばれるようになっていく。

1992-1993シーズンには、UEFAカップで躍進し決勝まで上り詰めたが、ユヴェントスとの決勝戦ではロベルト・バッジョアンドレアス・メラーなどにゴールを許して大敗した。

1994-1995シーズンにメラーなどが加入したことで戦力がさらに強化され、圧倒的な強さでリーグを制し、翌シーズンには連覇を果たす。そして、1996-1997シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグで優勝を果たす。そのチャンピオンズリーグでは前評判は決して高くなく、ユヴェントスとの決勝では圧倒的に不利と言われたが、結果は3-1の圧勝であった。

この試合の勝因として、チームのスタメンが元ユヴェントスの選手で占められ、しかもマルチェロ・リッピのサッカーを知り尽くしていたユルゲン・コーラーパウロ・ソウザがスタメンにいたこと、ユヴェントスとの対戦がチャンピオンズリーグやUEFAカップなどの大会で何度も行われて手の内を知り尽くしていたこと、この試合で唯一の失点を許したアレッサンドロ・デルピエロがユヴェントスのスタメンから外れていたことなどが挙げられる。また、チャンピオンズリーグ決勝という舞台でヨーロッパカップ初出場したラーシュ・リッケンが、途中出場のファーストタッチで豪快なミドルシュートを決めたことはサポーターの語り草となっている。ちなみに、決勝戦は最大のライバル、バイエルンの当時のホームスタジアムであるオリンピア・シュタディオンで開催された。

混乱と低迷

チャンピオンズリーグの優勝は、現在に至るまでの混乱と低迷の始まりでもあった。数人の主力の放出を含めたチームの刷新をヒッツフェルトはクラブに望んでいたが、結局放出候補の主力選手は残留、ヒッツフェルトはスポーツディレクターに降格、新監督にネヴィオ・スカラが就任し、1997年にはトヨタカップも制したが、国内リーグでは低迷を続けた。

また、ドイツのクラブでは初めて株式上場を果たし、これによって大物選手獲得が可能になった。しかし、選手獲得によって2チーム分のオーダーを組める陣容になり、これに起因する選手の不満が続出、シュテファン・クロスやシュテファン・フロイントなどはこれが原因でチームを去っていった。また、主力のザマーが選手生命に関わるほどの大怪我をしたことや大半の主力がピークを過ぎたこともチームの低迷に少なからず影響し、1999-2000シーズンには2部降格の危機を迎えることになった。シーズン終盤には、監督にウド・ラテックが、ヘッドコーチにマティアス・ザマーがそれぞれ就任し、チームを立て直して1部残留に成功する。シーズン終了後にラテックが辞任したため、2000年にザマーが監督に就任した。これによりザマーは、1998年に就任したミヒャエル・スキッベの最年少監督記録を更新し、クラブ史上最年少監督となった。

一瞬だけの栄光

監督に就任したザマーは、人員整理とチームの立て直しに着手する。メラーがライバルのシャルケ04に移籍して話題をさらわれたが、ヨルク・ハインリッヒを連れ戻すなどしてチームの再建に成功し、3位というまずまずの成績で就任1年目を終了した。そして、マルシオ・アモローゾトマーシュ・ロシツキーヤン・コラーセバスティアン・ケールを補強して戦力アップが図られたことで、2001-2002シーズンには久しぶりのリーグ優勝を果たす。UEFAカップでも決勝に進出したが、フェイエノールトに敗れてしまい、UEFAカップウィナーズカップ、UEFAチャンピオンズリーグに続く3つ目のタイトルを逃した。この試合では、コーラーが退場によって選手キャリアを終えてしまった。コーラーをはじめとして、2004年にロイターも引退してチームの中軸を失ったチームは、それ以降リーグ優勝を達成することはなかった。

経営危機

21世紀に入るとクラブの株式を上場する経営戦略が裏目に出て巨額の損失を抱え込み、2004-05シーズン途中には債務超過による破綻寸前にまで追い込まれた(何より問題だったのは成績を見込んで大金を出すことで、見込みが違えば大きな赤字となることだった)。成績がダイレクトに株価推移に反映される株式上場は成績の良い時ならばクラブ経営の推進力をこの上無く高めるが、少しでも成績が下降すれば人気の有無に拘わらずクラブの経営体力を株価下落と言う形で奪っていく(特に痛かったのが2003-04シーズンのチャンピオンズリーグ予備予選敗退を始めとする低調な結果である)。そして€120,000,000と言われる借金だけが残り、ゲルト・ニーバウム会長、現場最高責任者のミヒャエル・マイヤーがクラブを去ることとなった。

ドイツでも屈指の人気を誇るドルトムントがこのような形で苦境に立たされた事は、上場によって選手移籍金の高騰を招いたイタリアのクラブ、パルマ、ラツィオが資金難に陥った状況に似ており、クラブ経営とその株式上場との不和を印象付けるものでもあった。

2006年になってついには名物スタジアムの命名権売却に至る。各金融機関へ融資を頼み込む等して、ようやく財政は上向き、増資を株主総会で発表できる状態にまでなっている。その間、優秀な若手選手が下部組織から出てきており、それなりに新しい方向を見いだし始めている。但し、ベルト・ファン・マルワイクはレヴィアダービー(ルールダービー)の結果およびホームでの低調なパフォーマンスによりサポーターから不評を買い、対バイエル・レバークーゼン戦ではサポーターが自チームではなく対戦相手を応援するという異常事態に陥る。その試合の結果を受け、ファン・マルワイクは前半戦終了を待たずに解任された。クラブ自体は2006-07シーズンを9位でフィニッシュするも一時は降格争いに巻き込まれた。

しかし、このような低迷期にあっても数多くのサポーターがスタジアムに集う光景は相変わらずで、サポーターのドルトムントに対する情熱は今なお衰えていない。スタンドからの地鳴りをも引き起こす熱狂的な大声援はドルトムントを強く後押ししている。

再建へ

2007-08シーズンはDFBポカールで準優勝しUEFAカップの出場権を得たものの、国内リーグでは1999-00シーズン以来の二桁順位となる低迷が続いたが、平均観客動員はブンデスリーガで1位、欧州主要リーグ全体でもレアル・マドリードマンチェスター・ユナイテッドFCに続く3位となる7万3000人弱を記録している。

2008年夏、1.FSVマインツ05を躍進させたユルゲン・クロップ監督を招聘した。新加入のDFネヴェン・スボティッチがブレイクを果たし、リーグ2位の37失点と鉄壁を誇った守備陣を支えた。25節から7連勝で順位を上げ、UEFAヨーロッパリーグ出場権まであと一歩の6位に入った。ホームでは8勝9分と無敗で、シーズンを通しての敗戦数5はリーグ最少だった。

2008-09シーズン終了後にFWアレクサンダー・フライが母国のFCバーゼルに復帰したが、CSDコロコロで36試合出場34得点を挙げたアルゼンチン人FWルーカス・バリオスを獲得するなど、戦力維持に努めた。

タイトル

国内タイトル

1955-56、1956-57、1962-63、1994-95、1995-96、2001-02
1964-65、1988-89
1989、1995、1996、2008

国際タイトル

1996-97
1965-66
1997

過去の成績

  • 1986-1987 ブンデスリーガ1部 4位
  • 1987-1988 ブンデスリーガ1部 13位
  • 1988-1989 ブンデスリーガ1部 7位
  • 1989-1990 ブンデスリーガ1部 4位
  • 1990-1991 ブンデスリーガ1部 10位
  • 1991-1992 ブンデスリーガ1部 2位
  • 1992-1993 ブンデスリーガ1部 4位
  • 1993-1994 ブンデスリーガ1部 4位
  • 1994-1995 ブンデスリーガ1部 1位
  • 1995-1996 ブンデスリーガ1部 1位
  • 1996-1997 ブンデスリーガ1部 3位
  • 1997-1998 ブンデスリーガ1部 10位
  • 1998-1999 ブンデスリーガ1部 4位
  • 1999-2000 ブンデスリーガ1部 12位
  • 2000-2001 ブンデスリーガ1部 3位
  • 2001-2002 ブンデスリーガ1部 1位
  • 2002-2003 ブンデスリーガ1部 3位
  • 2003-2004 ブンデスリーガ1部 6位
  • 2004-2005 ブンデスリーガ1部 7位
  • 2005-2006 ブンデスリーガ1部 7位
  • 2006-2007 ブンデスリーガ1部 9位
  • 2007-2008 ブンデスリーガ1部 13位
  • 2008-2009 ブンデスリーガ1部 6位

現所属メンバー

2009年9月1日現在
No. Pos. 選手名
1 GK ロマン・ヴァイデンフェラー
4 DF ネヴェン・スボティッチ
5 MF セバスティアン・ケール主将
7 MF ティンガ
8 MF ヌリ・シャヒン
9 FW ネルソン・アエド・バルデス
10 FW モハメド・ジダン
11 FW ディミタール・ランゲロフ
13 FW ダミアン・ル・タレク
14 MF マルクス・フォイルナー
15 DF マッツ・フメルス
16 MF ヤクプ・ブワシュチコフスキ
17 DF デーデー
18 FW ルーカス・バリオス
No. Pos. 選手名
19 FW ケヴィン・グロスクロイツ
20 GK マルク・ツィーグラー
21 DF ウヴェ・ヒュネマイアー
22 MF スヴェン・ベンダー
23 FW クリストファー・クルマン
25 DF パトリック・オウォモイエラ
27 DF フェリペ・サンタナ
29 DF マルセル・シュメルツァー
30 MF ハイナル・タマーシュ
33 DF ダヴィド・ヴゾギッチ
34 FW バイラム・サドリヤイ
36 MF ヤシン・オズテキン
40 GK マルセル・ヘッテケ
45 DF ユリアン・コヒ

歴代監督

歴代所属選手

詳細は「Category:ドルトムントの選手」を参照

GK

DF

MF

FW

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