| マルコ・ファン・バステン | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 本名 | マルセル・ファン・バステン | |
| 愛称 | 聖マルコ、ユトレヒトの白鳥 | |
| ラテン文字 | Marcel van Basten | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | オランダ | |
| 生年月日 | 1964年10月31日(45歳) | |
| 出身地 | ユトレヒト | |
| 身長 | 188cm | |
| 体重 | 80kg | |
| 選手情報 | ||
| ポジション | FW | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 1982–1987 1987–1993 |
アヤックス ACミラン |
133 (128) 147 (90) |
| 代表歴 | ||
| 1983-1992 | オランダ | 58 (24) |
| 監督歴 | ||
| 2003-2004 2004-2008 2008-2009 |
アヤックス B オランダ代表 アヤックス |
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| 1. 国内リーグ戦に限る。{{{クラブ成績更新日}}}現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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マルコ・ファン・バステン(Marco van Basten、1964年10月31日 - )は、オランダ・ユトレヒト出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。元オランダ代表監督であり、元エールディヴィジ・アヤックスの監督。「オランダトリオ」のひとり。
目次 |
1980年代から1990年代初頭を代表するフォワード。現役時代に3度のバロンドール(1988年、1989年、1992年)と1度のFIFA最優秀選手賞(1992年)を受賞した経験を持つ。
1987年から在籍したイタリアセリエAのACミランでは、ルート・フリット、フランク・ライカールトらと共に「オランダトリオ」と呼ばれ、国内リーグ優勝やUEFAチャンピオンズカップなどの数々のタイトルを獲得。ACミラン黄金期の象徴的存在となった。
キャリア全盛期を過ごしたACミランでは、ファンに「神は8日目にマルコを創造した」とまで言わしめたほど。彼が引退を表明した直後のシーズンにはホームスタジアムの観客席に「マルコのいないサン・シーロは羽の無い風車だ」という横断幕が掲げられた。
足首の軟骨の故障は持病とされ、エースストライカーとして相手DFから執拗なマークを受ける機会が増えると共に次第に悪化していった。手術は計4回行われたが遂に完治する事は無かった。
スパイク契約はミラン移籍後からディアドラであり、オランダ代表のチームカラーであるオレンジ色のロゴのスパイクを履いていた。ロベルト・バッジョと並び、当時の同社の看板選手であった。
長身ながら繊細なボールタッチが魅力的な万能センターフォワード。その優雅なプレーの数々から「ユトレヒトの白鳥」の異名をとった。自らサイドに流れてのプレーは言うに及ばず、下がりながらボールを受け、ラストパスを出す事もこなした。オフサイドラインを掻い潜りゴール前に飛び出すプレーも得意であり、ドリブルでディフェンダーを抜くこともでき、長身を生かしたヘディングも素晴らしく、アクロバティックなシュートも決めていた。
また、相手ディフェンダからボールを奪うこともあり(ときにはそのまま得点)、前線での守備にも目覚しいものがあった。豪快さには欠けるが、頭、両足から繰り出されるシュートは針の穴を通すように正確で、かつ、ミドルシュート、ループシュート、ドリブルでキーパーをかわしてシュート等、得点パターンを豊富に持っていた。
自らのゴールで勝利を呼ぶ事も多かったが、マークを自分に引き寄せ周りに得点させることも多かった。ユーロ92では自分は囮となって相手DFを引き付け、若いデニス・ベルカンプやブライアン・ロイの得点やドリブル突破をお膳立てする場面が多々見られた。
セットプレーからの得点時にはフリーでボールを受ける場面も多く、ディフェンダーのマークを振り切る技術にも長けていた。但しドイツ代表のDFユルゲン・コーラーとの対決は苦手としていた。ユーロ88準決勝では終了間際にコーラーのマークを振り切りスライディングシュートを決めたが、その後のイタリアW杯予選、1990年の本大会、ユーロ92における対決では完全に封じ込められている(尚1989年4月26日の西ドイツ戦の得点はコーラーが交代した後に決めている)。
執拗なきついあたりやバックチャージなどを度々受けていたが見事なボディーバランスで倒れようとはしなかったため(有名なのは1990年のトヨタカップのループシュートまでのプレーの流れ)、そのことが怪我をまねく原因と見る人も多かった。
PKの蹴り方が独特で、一度ジャンプしてから長めの助走をつけて蹴る(これは練習中の癖が残ったものだという)。しかしGKに間を読まれることもあり、1992年の欧州選手権ではデンマークの名手・ピーター・シュマイケルに読み切られ止められてしまう。オランダは彼だけが失敗し、準決勝で敗退することとなってしまった。
プロデビューは17歳のときで、先発のヨハン・クライフが自ら指名して交替出場。その試合でハットトリックを達成している。
「9本のスーパーゴールと10本の平凡なゴール、どちらかを選べというなら僕は迷わず10本の方を選ぶよ」との発言からわかるように「どんなゴールだったか?」よりも「ゴールしたか否か?」にこだわっていた。また彼はゴールを決めたあとも、チームメイトに祝福された瞬間だけ笑顔をみせ、それ以外は素っ気無い表情でゆっくり自陣に戻るというのが常だった。
度重なる怪我のため活躍した期間は長くなかったが、世界のサッカー史上最高のフォワードの1人としてファン・バステンを推す声は多い。一方、バロンドール最多受賞(3度、タイ記録)やクラブチームでのタイトルの栄光に比べると、FIFAワールドカップにおける活躍が乏しい事(ゴールなし)が評価を下げている。
ティエリ・アンリ(FCバルセロナ・フランス代表)、アンドレイ・シェフチェンコ(ディナモ・キエフ・ウクライナ代表)など、彼に憧れる選手は多い。
1988年6月25日、欧州選手権決勝のソ連戦に見せたシュートは伝説とも言われるワンプレーだった。後半9分、アーノルド・ミューレンの左サイドからのクロスに走り込み、ダイレクトボレーで自分とは対角のゴールに豪快にたたき込む。しかも、ドライブがかかっていた。レフ・ヤシンの後継者と呼ばれた当代屈指の名GKリナト・ダサエフですら防ぐことは不可能であった。
難易度の極めて高いプレーを、後で自分でも驚くほどいとも簡単にやってのける、それが全盛期のファン・バステンだった。
1995年に引退後はしばらくサッカーから離れていたが、2003年に古巣アヤックスのユースチームのアシスタントコーチに就任すると、そのわずか1年後にはディック・アドフォカートの後任としてオランダ代表監督に就任した。
指導者としては皆無に等しい実績から、疑問を差し挟む声も少なくなかったものの、フタをあけてみればワールドカップドイツ大会予選でチェコ、ルーマニアといった強豪と同居し「死のグループ」と呼ばれたグループ1を10勝2分けという圧倒的な成績で1位通過を果たし、日韓ワールドカップ予選敗退の悪夢を払拭した。
監督としてのファン・バステンは4-3-3システムを重用しているように、リヌス・ミケルス以来のトータルフットボールの伝統を受け継いでいるが、最大の特徴は新しい選手の招集に非常に積極的な点である。彼はこれまでほとんど注目されていなかったオランダ3強(アヤックス・フェイエノールト・PSVアイントホーフェン)以外のチームからも多くの選手を招集している。特に2000年代に3強を脅かすクラブに成長したAZアルクマールの選手を重用し、デニー・ランツァート(現ウィガン・アスレティック)、ヤン・クロンカンプ(現PSVアイントホーフェン)、ヨリス・マタイセン(現ハンブルガーSV)、バリー・オプダムなどの有能な選手がブレイクするきっかけともなった。
またライアン・バベル、ヘドヴィヘス・マドゥロ といったリーグでの実績がほとんど無かった選手でも戦力になると思えば躊躇なく招集する一方で、実績はあるが調子が悪かったり代表でのプレーの質が悪い選手(パトリック・クライファートら)は容赦なく戦力外としている。彼の下では実績は意味を成さない。そのため、マルク・ファン・ボメルなど実績のある代表候補の選手の中には「(ファン・バステンが監督在任中は)代表に復帰しない」と明言する者もいる。
アドフォカート時代の硬直的な選手起用で溜まっていた代表の閉塞感を打破し、チーム内の風通しをよくしたことは大きな意義がある。もっとも、あまりにもメンバー構成が毎試合異なるので、「いくら何でも試しすぎ」との批判もある。
2006年のワールドカップは死のグループと呼ばれたグループCを2勝1分けの成績で突破したが、決勝トーナメント1回戦でポルトガルに敗れベスト16に終わった。しかしオランダサッカー協会はファン・バステン監督を留任させることを決定し、契約を2010年まで延長した。
2007年にはジョゼ・モウリーニョが突然辞任したチェルシーFCへの監督就任が取り沙汰されたが、オランダサッカー協会から代表監督との兼務を断られたためにチェルシーが獲得を断念したという話もある。
2008年のEURO2008終了後を以って退任し、退任後アヤックス・アムステルダムの監督に就任した。しかしながら、欧州カップ出場権を逃すなどチームは低迷、シーズンの終了を待たず辞任をすることとなった。
本名はマルセルでマルコは愛称である。マルコの由来は彼の祖母がマルセルの発音が難しかった事からマルコと呼び始め、それが定着したらしい。
| 年度 | クラブ | リーグ | 背番号 | リーグ | カップ戦 | 欧州カップ戦 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 1981-82 | アヤックス | エールディヴィジ | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | |
| 1982-83 | アヤックス | エールディヴィジ | 20 | 9 | 5 | 4 | 0 | 0 | |
| 1983-84 | アヤックス | エールディヴィジ | 26 | 28 | 4 | 1 | 2 | 0 | |
| 1984-85 | アヤックス | エールディヴィジ | 33 | 22 | 4 | 2 | 4 | 5 | |
| 1985-86 | アヤックス | エールディヴィジ | 26 | 37 | 1 | 0 | 2 | 0 | |
| 1986-87 | アヤックス | エールディヴィジ | 27 | 31 | 7 | 6 | 9 | 6 | |
| 1987-88 | ACミラン | セリエA | 11 | 3 | 5 | 5 | 3 | 0 | |
| 1988-89 | ACミラン | セリエA | 33 | 19 | 4 | 3 | 9 | 9 | |
| 1989-90 | ACミラン | セリエA | 26 | 19 | 4 | 3 | 9 | 4 | |
| 1990-91 | ACミラン | セリエA | 31 | 11 | 1 | 0 | 2 | 0 | |
| 1991-92 | ACミラン | セリエA | 31 | 25 | 7 | 4 | - | - | |
| 1992-93 | ACミラン | セリエA | 15 | 13 | 1 | 0 | 5 | 6 | |
| 1993-94 | ACミラン | セリエA | - | - | - | - | - | - | |
| 1994-95 | ACミラン | セリエA | - | - | - | - | - | - | |
| 通算 | エールディヴィジ | 133 | 128 | 22 | 13 | 17 | 11 | ||
| セリエA | 147 | 90 | 22 | 13 | 28 | 19 | |||
| 合計 | 280 | 218 | 44 | 26 | 43 | 30 | |||
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