| (州旗) | (州章) |
| 州都 | セントポール |
|---|---|
| 最大の都市 | ミネアポリス |
| 州知事 | ティム・ポーレンティー |
| 公用語 | 法的指定なし |
| 面積 - 総計 - 陸地 - 水域 |
全米第12位 225,171 km² 206,189 km² 18,982 km² (8.4%) |
| 人口(2003年) - 総計 - 人口密度 |
全米第21位 5,059,375人 22.47人/km² |
| 合衆国加入 - 順番 - 加入年月日 |
32番目 1858年5月11日 |
| 時間帯 | UTC -6 DST -5 |
| 緯度 | 北緯43°34' - 49°23' |
| 経度 | 西経89°34' - 97°12' |
| 東西の幅 | 400 km |
| 南北の長さ | 645 km |
| 標高 -最高標高 -平均標高 -最低標高 |
701 m 365 m 183 m |
| 略称 (ISO 3166-2:US) | US-MN |
| ウェブサイト | ミネソタ州政府 |
ミネソタ州 (Minnesota MN) は米国中西部の北、カナダに接する州。州の東にはスペリオル湖があり、州の南北をミシシッピ川が流れている。東側はウィスコンシン州に、西側はノースダコタ州とサウスダコタ州に、南側はアイオワ州に接している。
州都はセントポール市。ミシシッピ川を挟んだ隣の都市であるミネアポリス市と合わせて「ツインシティーズ」と呼ばれている。
ミネソタの名前はアメリカ・インディアンのダコタ・スー族の言語で「水」を意味するmniと「曇り空のような」を意味するsotaを合わせた造語で、「曇り空の色に染まった水」を意味する[1]。元々はミシシッピ川の1支流(ミネソタ川)に付けられた物で、州名の由来ともなっている。
目次 |
詳細は「ミネソタ州の歴史」を参照
元々はアメリカ・インディアンのオジブワ族やダコタ・スー族が居住していた。1659年に、フランスの貿易商達が、この地域に現れ始めた。ヨーロッパ人達が最初に移住してきた地域は、現在はアンティークの町 スティルウォーター市として知られている。
ミネソタ川とミシシッピ川の合流点に作られたスネリング砦は、州内にアメリカ軍が駐留した最初の場所の一つである。現在は歴史記念物として、観光・教育の場となっている。
1849年3月3日にアメリカ合衆国の領土として編入された時点では、ミネソタは後にノースダコタ州とサウスダコタ州となる領域を含んでいた。ミネソタ州が32番目の州として現在の形になったのは、1858年の5月11日である。
詳細は「ミネソタ州の郡一覧」を参照
ミネソタ州の総面積は79,610平方マイル (アメリカ合衆国の2.25%) である。この州は湖で有名で、数字は出典によって異なるが、15,000以上の湖があるとされる。このためミネソタ州で発行されている自動車ナンバープレートの愛称に「10,000Lakes」が刻まれている。この州の大部分は繰り返された氷河期 (最近のものはWisconsin Glacier) の間に徐々に浸食が進み、平坦となった。しかしながら、この州の最南東部は氷河で覆われず、Pepin 湖があるアメリカの冷蔵庫」の異名がある。冬場には、自動車のタイヤが凍る「スクエアタイヤ」や、自動車の排気ガスが路面に吹き付けられて凍る「ブラックアイス」などの現象が起きることがある。
大陸性気候の影響で、気温の日較差と年較差が大きい。州内最大の都市ミネアポリスや州都セントポールでも、冬は-20℃を下回る日があり、夏には30℃を越える温度の高い日がある。州北端、カナダ国境の町インターナショナルフォールズは年平均気温が約3℃で、アラスカ州の都市・町村とロッキー山中の町村以外では最も寒い都市として知られている。州全体の平均気温としては、最も寒い1月が-11.5℃。最も暑い6月が22.8℃。南部と北部では5度から10度くらいの気温差があるので北部では平均気温よりも5度以上寒い(夏では暑い)と考えられる。
3月から6月頃は竜巻が発生するシーズンで時には避難命令が出されることも。また、州の東端を流れるミシシッピ川とその支流は、春に雪解け水や川一面を覆っていた氷が溶け出すことによる増水でしばし氾濫することがある。この雪解け水で一番被害を受けるのがミネソタ州の南にあるアイオワ州など。
州全体の平均年間降水量は72cm。平均年間降雪量は126cm。
| 人口推移 | ||
|---|---|---|
| 年 | 人口 | 変動率 |
| 1850年 | 6,077 | — |
| 1860年 | 172,023 | 2730.7% |
| 1870年 | 439,706 | 155.6% |
| 1880年 | 780,773 | 77.6% |
| 1890年 | 1,310,283 | 67.8% |
| 1900年 | 1,751,394 | 33.7% |
| 1910年 | 2,075,708 | 18.5% |
| 1920年 | 2,387,125 | 15.0% |
| 1930年 | 2,563,953 | 7.4% |
| 1940年 | 2,792,300 | 8.9% |
| 1950年 | 2,982,483 | 6.8% |
| 1960年 | 3,413,864 | 14.5% |
| 1970年 | 3,804,971 | 11.5% |
| 1980年 | 4,075,970 | 7.1% |
| 1990年 | 4,375,099 | 7.3% |
| 2000年 | 4,919,479 | 12.4% |
| 2004年概算 | 5,100,958 | 3.7% |
2005年現在、ミネソタ州は前年より、36,253人、または0.7%増加し2000年より、213,307人、または4.3%増加した、人口5,132,799人と見込まれている。これは161,252人 (出生358,012人、死亡196,760人) と前回の国勢調査からの自然増並びに州内への移住者54,032人の増加が含まれる。アメリカ合衆国外からの移住は70,800人増加する事となり、合衆国内部の移住者は16,768人増加する事になる。
2004年現在、ミネソタ州民の6.1%は外国生まれで (合衆国の11.1%と比較する) ある。
州の人口の多くはドイツ系であり、その他はノルウェー系 17.2%、アイルランド系11.2%、イングランド系6.3%などとなっている。
また比較的新しい移民コミュニティーとしては、セントポールにある世界で2番目に大きなミャオ族の街が挙げられ、ミネソタ州はアメリカ合衆国で3番目にミャオ族(ラオス/タイ/ベトナムから)の人口が多い州である。また、ソマリア難民の大きなコミュニティも形成されている。
年齢による人口分布は (Northeast Midwest Institute)
ミネソタ州民の60%近くはプロテスタント (多くが主流派) である。一方、中規模のローマ・カトリック・コミュニティもある(州人口の約4分の1)。この州で最大のプロテスタント宗派はルーテル教会である。
また、近年の移民によって新たな宗教がもたらされ、主としてミネアポリス、セントポールなどにイスラム教のモスク、仏教寺院、及びヒンドゥー教寺院も建設されている。しかし、キリスト教以外の宗教の信者の数は少ない。
同州では古来から、シャイアン族、アラパホー族、オジブワ族(チッペワ族)、ダコタ族、フォックス族、ミズーリ族、オマハ族、アイオワ族、オート族、オッタワ族、ソーク族、ポンカ族、ウィンネバーゴ族、ワイアンドット族(ヒューロン族)といった、農耕型と狩猟型のインディアン部族が混在していた。中でも最大勢力はチッペワ族とダコタ・スー族であり、この二部族はかつては宿敵として何度も交戦している。
同州のパイプストーンでは、古代から「カトリナイト」と呼ばれる赤い石が産出され、これはインディアンのパイプの火皿の材料として欠かせない物である。スー族はこの赤い石を、彼らの先祖の血が固まったものと信じており、この採掘場はインディアンたちの争いを禁じた聖域となっていた。1880年代から1970年代まで合衆国によってインディアンの採掘権が奪われたが、現在はチッペワ族やスー族をはじめ、インディアンのみの独占採掘権が回復されている。
1862年に、保留地で11年間に渡り飢餓状態となったダコタ・スー族が反乱を起こし(「ミネソタ大暴動」)、裁判を経ずに有罪とされた38人のスー族インディアンが、エイブラハム・リンカーン大統領の命により、この年のクリスマスの翌日に特別誂えの絞首台で一斉絞首刑執行された。これは一度に絞首された人数として、現在もアメリカ刑史の最高記録を保持している。
現在、ダコタ・スー族とチッペワ族(オジブワ族)の2つのインディアン部族がアメリカ連邦政府から公式認定され、併せて10の保留地(Reservation)を領有している。
≪アメリカ連邦政府が公式認定しているインディアン部族≫
≪アメリカ連邦政府が公式認定していないインディアン部族・団体≫
ミネソタ州ミネアポリスは、1968年に、チッペワ族(オジブワ族、またはアニシナアベ族)によって「アメリカインディアン運動(AIM)」が創設されて本部が置かれた、インディアンの全米規模での権利運動の端緒となった土地である。
1960年代に高まり、文字通り全米を揺さぶった彼らの実力行使運動は、キング牧師ら黒人の公民権運動「ブラック・パワー運動」とも連携し、「レッド・パワー運動」と呼ばれた。黒人団体との決定的な方針の違いは、黒人たちがアメリカ社会への公平な参加を求めた「市民権運動」だったのに対し、インディアンたちの要求は合衆国と本来対等なインディアン部族の主権の確認を求めた、「権利の回復運動」であることだった。
ミネソタ州は、他にも以下のような歴史的な組織運動の先駆けの地となった。
1969年11月には、「第一回・全米インディアン教育会議」が開催された。AIMを中心とするインディアンたちは、インディアンを「野蛮人」扱いした教科書など学校教材の廃絶を要求して教育委員会を提訴し、これを撤廃させた。
1970年1月には「インディアン寄宿学校」による白人同化教育への対抗として、AIMによって、インディアンがインディアンの子供に、インディアンの伝統と知恵を教えるための教育組織「インディアンの生き残りのための学校(サバイバル・スクール)」の第一号「大地の心の生き残りの学校(Heart Of The Earth Survival School)」が創設され、1972年に公式なインディアン組織として認可された。これはカナダや全米に波及し、各地に「生き残りのための学校」が創設された。
1975年には、同市に「アメリカインディアン・サバイバルスクール連合(American Indian Federation Of Survival Schools)」が組織されるに到った。
1978年にはAIMによって同州の「チッペワ族ホワイトアース・インディアン保留地」で、「命の輪のサバイバルスクール(Circle of Life Survival School)」、またインディアン女性のための権利団体「すべての赤い国の女たち(Women of All Red Nations、WARN)」が組織されている。
インディアンがすべて保留地に囲い込まれた19世紀末から、合衆国政府はインディアンから農地や狩り場を奪って狩猟や漁猟を禁止し、また「インディアン寄宿学校」で伝統食文化を奪った。これと並行して「保留地への年金」として、小麦粉、砂糖、ラード、粉乳、乾燥豆、コーヒーなどの白人式の高カロリー食糧を支給した。これらの支給品に生鮮野菜などはなく、すべて缶詰や乾燥食品ばかりであり、栄養学的にも大変偏ったものだった。見慣れない「袋」を支給されたインディアンたちは当初、中身の小麦粉などを食べ物と思わずに捨ててしまい、袋を服に仕立てていたほどだった。こうして20世紀に入る頃には、食生活を根本から変えさせられたインディアンたちの間で、脂で揚げて蜂蜜をかけた「揚げパン」などは、すっかり彼らの「伝統食」にとって代わってしまった。
第二次大戦が終わると、食糧生産の過剰もあいまって、インディアンやエスキモーへの食糧支給品はさらに高カロリー化し、アリゾナ州のピマ族などは糖尿病罹病率が全米の白人の19倍という高確率となり、「世界一肥満の多い民族」となってしまった。インディアン部族の医療費は年次高まり部族を悩ませる一方であり、またこの肥満の問題は今やインディアンやエスキモーだけでなく、全米の低所得者家庭に見られる国家的病症の様相を呈している。
AIMの創設者で、同団体の指導者を務めたオジブワ族のデニス・バンクスは、1990年代から故郷のミネソタ州の「リーチ湖畔インディアン保留地」で、地元の食材を使った伝統食の復興運動に取り組んでいる。バンクスはオジブワ族の伝統食材としてのマコモ、カエデ蜜を部族の特産品とし、また「バッファロー牧場」で低カロリー食品としてのバッファロー肉を生産、インディアン茶(ハーブ茶)などと併せてブランド化している。これらの取組みは世界的なスローフードの観点から注目され、リリース商品は日本にも及んでいる。
同州では、連邦認定されているチッペワ族とダコタ族がそれぞれカジノ事業を展開している。チッペワ族の部族カジノは、隣州ミシガン州のチッペワ族によっても開設されている。
2009年6月には、「インディアン・カジノ・マガジン」誌によって、ダコタ族の「宝島リゾート&カジノ」が、全米で約360ある部族カジノのうち「最もセクシーなインディアン・カジノ」のベスト10中第3位に挙げられ、その娯楽性が絶賛されている。
アメリカ合衆国政府と同じく、ミネソタ州の政権は行政、立法、そして司法の3つの分野に分かれている。
行政はミネソタ州知事(Governor of Minnesota)が指揮をとっている。現在の知事は2003年1月6日に1期目が始まり、2006年に再選した共和党ティム・ポーレンティ(Tim Pawlenty)である。現在のミネソタ州副知事はミネソタ州交通局長(Minnesota Department of Transportation)でもある、Carol Molnauである。知事及び副知事は4年ごとに選出される。
州の憲法についてはwww.house.leg.state.mn.usを参照
現在、ミネソタ州においては、死刑制度は廃止されている。
Economy of Minnesotaを参照
経済分析局は2003年のミネソタ州の総州生産高が2110億ドルになると見込んでいる。2003年の一人当たりの収入はアメリカ合衆国内で10番目になる、34,031米ドルであった。1999年の平均的な世帯ごとの収入はアメリカ合衆国内で8番目に記載された、おおよそ48,000米ドルであった(アメリカ合衆国統計局)。郡の平均は17,369米ドル(トッド郡)から42,313米ドル(大都市圏の一部、Hennepin County)までにわたっている。一般的に、収入は多くの都市部で、この州の北西部内で特に最も低くなっている。
セントポール市とミネアポリス市はカーギル社、3M Co. (元ミネソタ・マイニング・アンド・マニュファクチュアリング社)、ノースウエスト航空、ターゲット、ロチェスター市はメイヨー・クリニックの本部があり、IBMの重要な製造工場がある。アメリカ合衆国内で最大のショッピングモール、モール・オブ・アメリカはミネアポリス・セントポール郊外のブルーミントンに位置している。ミネソタ州マーシャルを本拠地としている、ダルースの内陸港湾、この州を十文字に走っている鉄道、セミトレーラ及びバス会社、州間高速道路I-35およびI-94、さらに主要な航空会社のハブ空港を有する交通の要衝である。しかし、水運及び鉄道幹線交通は年ごとに衰退してきている。
この州の経済の大きな割合は今も農業であるが、人口 (2%強) の小さな比率で農場主がいると見られている。加えて、ミネソタ州北部は鉄鉱石及び木材製品を出荷しているが、それらは両方とも衰退産業となっている。
規模では劣るものの、隣のミシガン州と同じくメイプルシロップが生産される。
詳細は「ミネソタ州出身著名人の一覧」を参照
詳細はTransportation in Minnesotaを参照
主要な州間高速道路はI-90、I-35、I-94。これに州間高速道路の支線であるI-394, I-494, I-694がある。
I-35はツインシティーズ内では二手に分かれミネアポリス市内ではI-35W、セントポール市内ではI-35Eとなっている。広いアメリカでも一つの州間高速道路が二手に分かれるのはこのツイン・シティーズとテキサス州ダラス・フォート・ワースのみ。このI-35Wは2007年8月1日に崩落事故を起こした(その後の歴史的出来事で前述)。
ミネアポリス・セントポール国際空港 (MSP) がある。
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![]() 03:23 | ケネディ暗殺40周年ダラス訪問@ジェシー・ベンチュラ元ミネソタ州知事 |
| 再生回数:158回評価:なし提供:You Tube | |
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![]() 06:04 | ミネアポリス 離陸 Minneapolis-Saint Paul International Airport Takeoff |
再生回数:1,957回評価: 提供:You Tube | |
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![]() 04:05 | Red hot chili peppers/レッド・ホット・チリ・ペッパーズ - By the way |
再生回数:31,085回評価: 提供:You Tube | |
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![]() 04:08 | Cide / Tom lablanc, Yamaguchi Hiroshi and Hosomi Sakana |
再生回数:3,430回評価: 提供:You Tube | |
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![]() 09:58 | Winners' Concert 2004年コンクール入賞者コンサート |
再生回数:46,428回評価: 提供:You Tube | |
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