| 全国高等学校サッカー選手権大会 | |
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全国高等学校サッカー選手権大会
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| 分類 | 高校サッカー |
| 開始年 | 1918年 |
| 主催 | 全国高等学校体育連盟 日本サッカー協会 民間放送43社 |
| 参加チーム | 48 |
| 加盟国 | 日本 |
| 前回優勝チーム | 山梨学院大学付属高校 |
全国高等学校サッカー選手権大会(ぜんこくこうとうがっこうさっかーせんしゅけんたいかい)は、高校サッカー部の頂点を決めるサッカーの大会。各都道府県代表(東京都は2校)48校による、トーナメント戦で行われる。通称「選手権」「冬の国立」「冬の高校サッカー」。英語表記は「ALL JAPAN HIGH SCHOOL SOCCER TOURNAMENT」。
目次 |
1918年(1917年度)に、大阪府豊中村の豊中グラウンドで大阪毎日新聞社(現:毎日新聞社)の主催による「日本フートボール優勝大會」として創設された(全国高校ラグビー大会の前身となるラグビー競技も併催)。当初は関西地区のみの大会で、関東地区では「関東蹴球大會」、中部地区では「東海蹴球大會」が別々に開催されていた。1925年度の第9回大会から全国での地区予選制となり、名称も「全國中等學校蹴球(しゅうきゅう)選手権大會」と改められ、ラグビー大会と分割した。以降、太平洋戦争による中止を挟み、戦後の学制改革で現在の名称となっても関西での開催が続いていた(開催会場は後述)。
そうしたなか、高校総体(インターハイ)が整備された1965年に、本大会をインターハイに組み入れるか否かで、大会運営をめぐる問題が発生。結局、暫定的に別大会として開催することに落ち着いたものの、同時に第1回大会より主催していた毎日新聞社が主催を降り、後ろ盾が無くなった。また運営コストがかさみ、大会継続は危機的状況となった。
一方で当時、読売新聞社では正力松太郎が中心となり、将来的なプロ化もにらんだ本格的なサッカークラブである読売サッカークラブを1969年に発足させるなど、サッカーに対して力を入れつつあった。そうした動きの中で「クラブの長期的な存続には、将来的な選手の供給源の充実が不可欠である」として高校サッカーに対する支援を行うことになり、1970年8月には日本テレビの主催で全国の強豪校11チームを招待した「高校サッカー研修大会」を開催した。
読売新聞社・日本テレビではこの研修大会を継続して開催する意向だったが、夏場はインターハイや国民体育大会の予選など試合数が多く、日本蹴球協会(現:日本サッカー協会、以下JFA)側では研修大会の継続は難しいと判断。そこで代わりの策として、JFAでは本大会の後援に読売新聞社が加わること、並びに日本テレビが大会の中継を行うことを提案。これを読売新聞社側が了承したことから、翌1971年(1970年度)の第49回大会から日本テレビが大会のテレビ中継を行うことになった。しかしそれ以前はNHKが決勝戦のみテレビ中継を行っており、NHK側が日本テレビへの中継の移行に難色を示したため、1971年の決勝戦のみはNHKと日本テレビの二局同時中継という異例の形になった[1]。
しかし1972年から日本テレビ系列の独占中継体制になることに対して全国高等学校体育連盟(高体連)が反発し、全国放送のNHKによる中継を廃するからには「最低でもNHKの8割のエリアをカバーできる放送体制を取る」よう要求した。当時の日本テレビのネットワーク体制ではとても無理な注文だったが、ここで電通が仲介に入り当時のTBS系列のローカル局と折衝を行い、日本テレビをキー局としつつTBS系列を含めたローカル局による全国38局の中継体制を築くことに成功。これにより1972年より正式に中継が日本テレビに移行した[2]。
全国テレビ中継とスポンサーを得た本大会は、インターハイとは別個の独自の大会として運営は強化される方向に向かい、高校サッカーの最高峰の大会と位置づけられるようになった。
第55回大会(1976年度)からは、決勝大会の会場を関東に移すこととなった。元々日本テレビやJFA関係者の間では決勝大会を首都圏で開催したいという要望が強かったことに加え、当時日本テレビで本大会の中継スタッフだった坂田信久が「(日本テレビに中継が移って)最初の二年で関西ではスタンドを満員にするのは厳しいとわかった」と語っているように、大会の採算面からも関西開催では大会の発展が厳しいという認識が関係者の間で広まり、最終的に高体連の47都道府県の委員長会議で多数決により会場の移転が決まった。しかし現在もなお、関西のサッカー関係者にはこの決定に不満を唱えるものが多数存在するという[3]。
さらに第62回大会(1983年度)からは、原則として1都道府県1代表制で実施されるようになり(それ以前は、第60回記念大会(1981年度)を除き、都道府県大会のあと、さらに東北や九州などの地域大会で代表校を決めていた)、現在に至っている。
国立競技場でのプレーが許されるのは、開幕戦を戦うチームとベスト4のチームの最大6チームだけであり、厳しく狭き門であると言える。開幕戦のなかった第77回(1998年度)以前はさらに厳しく、ベスト4の4チームだけであった。なかには、第67回大会(1988年度)のように、準決勝が駒沢陸上競技場で行われたため、国立のピッチに立てたのが決勝を戦う2チームだけというケースもあった(当時、1月第1土曜日に全国大学ラグビー選手権大会の決勝が国立競技場で行われており、この年の1月第1土曜日であった1月7日の準決勝は会場変更になった。1989年1月7日に昭和天皇が崩御したため、準決勝は1月9日に延期されたが、結局会場の変更はなく、駒沢陸上競技場で準決勝が行われた)。第62回大会(1983年度)も、同様の理由で準決勝が駒沢で行われた(準決勝が駒沢で行われたのは第62,67回大会の2回だけである)。第87回大会(2008年度)は全国大学ラグビー選手権大会決勝と日程が重なったため、準決勝は埼玉スタジアム2002で行われ、国立では開幕戦と決勝のみが行われた。また第56回大会(1977年度)では、唯一の例外として準々決勝のうち1試合(北陽高校vs習志野高校)が国立競技場で行われた(参考:高校スポーツデータ室)。「目指せ国立」は、この大会のキャッチコピーともなっている。
この大会の優秀選手から選手を選抜し、毎年4―5月に行われるヨーロッパでのユーストーナメント大会(隔年で偶数年にスイス・ベッリンツォーナ。奇数年にドイツ・デュッセルドルフ)に日本高校選抜チームとして出場している。また、かつては「ニューイヤーユースサッカー」として、ヨーロッパのユース年代のチームを招待した交歓大会もあり、日本高校選抜もそれに出場した。第88回大会(2009年度)終了後は、海外遠征前に本大会協賛社の富士ゼロックスが特別協賛している「富士ゼロックス・スーパーカップ」の前座試合として、U-18Jリーグ選抜との親善試合が組まれる予定。
近年はクラブユース勢の台頭とそれに伴う人材のシフトにより、ユース年代のサッカー大会としてのプレステージが高円宮杯全日本ユースサッカー選手権(U-18)大会に移行し、当大会のレベル低下を指摘されているが、今なお多くの高校サッカー部の選手にとっては最も価値あるサッカートーナメントの位置を占めている大会であり、社会的にも最も大きな注目を集めるサッカー大会の一つである。また、クラブユースの台頭に伴って、かつて優勝を寡占した名門校の地位が下がり、また近年のサッカーの普及に伴って各地域の底上げがなされた。この結果として初優勝校が続出するようになり、近年の大会は「戦国模様」を呈している。
大会歌はバーズの「ふり向くな君は美しい」(作詞:阿久悠、作曲:三木たかし)である。これは、1976年度の第55回大会よりテーマソングとして使用されており、戦いに敗れた者の健闘を讃える曲として長年高校サッカーファンに愛されている。現在は、テーマ曲と併用して使われている(後述の「イメージソング」を参照のこと)。
多くの会場が、施設改修や芝の張り替えなどの理由で、幾度となく変更されている点もこの大会の特色である。特に1990年代は多くの会場がJリーグの本拠地(三ツ沢球、等々力、駒場、大宮など)として使われることを前提とした改修工事を行ったため、会場変更が著しかった。
同大会は選手の健康管理を考え、第73回大会(1994年度)より、それまでの新年元日(1月1日)開幕(試合は1月2日から)から年内12月30日開幕(試合は大晦日(12月31日)から)に早め、試合日程に余裕を持たせる措置をとった。これに伴い、以前は3回戦と準々決勝の中間日(1月5日)のみだった休養日が拡大され、3回戦と準々決勝の中間日(1月4日)に加えて、1回戦と2回戦の中間日(元日)、準々決勝と準決勝の中間日(1月6日)も休養日に当てられるようになった。
なお、第81回大会(2002年度)以降は、決勝戦をハッピーマンデー制度が適用された成人の日(1月第2月曜日)に移動して、さらに余裕を持たせている(ただし、1月第2月曜日の成人の日が1月8日であった、第85回大会(2006年度)については、準々決勝と準決勝を1月5・6日の連続開催とし、7日を休養に当てた。また、第86回大会(2007年度)は、1月6日が日曜日である点を考慮して準決勝を開催)。準決勝と決勝の間隔が開いたことにより、その間のコンディションの維持、もしくは回復が新たなポイントとなった。
元日開幕の頃は、開会式は天皇杯決勝戦の前座イベントとして行われていた(開幕式の模様は1月2日に1回戦の実況に先だって放映されていた)。ところが、12月30日開幕となって以降、開幕日は開会式のセレモニーのみ行われ、試合自体は行われていなかったため、観客動員の減少が懸念されていた。これをふまえて、第78回大会(1999年度)から一部変更し、開会式直後に国立競技場にて「オープニングマッチ」を開催することになった。
初めて開催された第78回大会では集客を考え、地元の東京のチームの試合が選ばれた。東京都は毎年2校出場するが、この年は帝京高校が2回戦から登場のシード校だったため、もう一校の国学院久我山高校の試合と事前に決められた(抽せんの結果対戦相手は沖縄県の具志川高校となった)。
次年度の第79回大会(2000年度)では、趣向を変えて、前年度優勝チームの市立船橋を推薦出場とし、対戦相手を抽せんで決めて開幕戦を開催してみたものの、その後、同校が2回戦敗退(PK戦による)と成績がふるわなかったことから、前年度優勝チームの推薦出場・開幕戦招待はその年度限りで廃止。第80回大会(2001年度)以降は、1回戦の対戦カードのうち、埼玉県、千葉県、神奈川県代表の試合を除いたものの中から1試合抽出し、対戦カードが決定されるようになった。さらに第86回大会(2007年度)より、東京B代表のチームの試合が1回戦に組まれた場合、その試合が最優先で開幕カードとなることになった。
| 回 | 年度 | 優勝校 | スコア | 準優勝校 | ベスト4 | 得点王 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 日本フートボール優勝大会 | ||||||||
| 1 | 1917年 | 御影師範(1) | 兵庫 | 1-0 | 明星商 | 大阪 | 神戸一中(兵庫)、姫路師範(兵庫) | |
| 2 | 1918年 | 御影師範(2) | 兵庫 | 5-1 | 明星商 | 大阪 | 姫路師範(兵庫)、奈良師範(奈良) | |
| 3 | 1919年 | 御影師範(3) | 兵庫 | 4-1 | 姫路師範 | 兵庫 | 神戸一中(兵庫)、関学高等(兵庫) | |
| 4 | 1920年 | 御影師範(4) | 兵庫 | 3-0 | 姫路師範 | 兵庫 | 明星商(大阪)、関学高等(兵庫) | |
| 5 | 1921年 | 御影師範(5) | 兵庫 | 0-0 3-0 (再試合) |
神戸一中 | 兵庫 | 京都師範(京都)、関学高等(兵庫) | |
| 6 | 1922年 | 御影師範(6) | 兵庫 | 4-0 | 姫路師範 | 兵庫 | 神戸一中(兵庫)、桃山中(大阪) | |
| 7 | 1923年 | 御影師範(7) | 兵庫 | 5-1 | 京都師範 | 京都 | 神戸商(兵庫)、神戸一中(兵庫) | |
| 8 | 1924年 | 神戸一中(1) | 兵庫 | 3-0 | 御影師範 | 兵庫 | 京都師範(京都)、池田師範(大阪) | |
| 全国中等学校蹴球選手権大会 | ||||||||
| 9 | 1925年 | 御影師範(8) | 兵庫 | 1-0 | 広島一中 | 広島 | 京都師範(京都)、暁星中(東京) | |
| - | 1926年 | (大正天皇崩御のため中止) | ||||||
| 10 | 1927年 | 崇実 | 朝鮮 | 6-1 | 広島一中 | 広島 | 東高師付中(東京)、都島工(大阪) | |
| 11 | 1928年 | 御影師範(9) | 兵庫 | 6-5 (延長2-1) |
平壌高普 | 朝鮮 | 青山師範(東京)、明星商(大阪) | |
| 12 | 1929年 | 神戸一中(2) | 兵庫 | 3-0 | 広島師範 | 広島 | 市岡中(大阪)、東高師付中(東京) | |
| 13 | 1930年 | 御影師範(10) | 兵庫 | 3-2 | 広島一中 | 広島 | 青山師範(東京)、堺中(大阪) | |
| 14 | 1931年 | 御影師範(11) | 兵庫 | 6-1 | 愛知一師範 | 愛知 | 京都師範(京都)、広島一中(広島) | |
| 15 | 1932年 | 神戸一中(3) | 兵庫 | 2-1 | 青山師範 | 東京 | 愛知一師範(愛知)、京都師範(京都) | |
| 16 | 1933年 | 岐阜師範 | 岐阜 | 8-4 (延長4-0) |
明星商 | 大阪 | 御影師範(兵庫)、京都師範(京都) | |
| 臨時 大会 |
1934年 | 神戸一中(4) | 兵庫 | 5-3 | 明星商 | 大阪 | 御影師範(兵庫)、広島一中(広島) | |
| 17 | 1935年 | 神戸一中(5) | 兵庫 | 2-1 | 天王寺師範 | 大阪 | 刈谷中(愛知)、富山師範(富山) | |
| 18 | 1936年 | 広島一中(1) | 広島 | 5-3 | 韮崎中 | 山梨 | 海星中(長崎)、埼玉師範(埼玉) | |
| 19 | 1937年 | 埼玉師範 | 埼玉 | 6-2 | 神戸一中 | 兵庫 | 明星商(大阪)、豊島師範(東京) | |
| 20 | 1938年 | 神戸一中(6) | 兵庫 | 5-0 | 滋賀師範 | 滋賀 | 崇仁商(朝鮮)、広島一中(広島) | |
| 21 | 1939年 | 広島一中(2) | 広島 | 3ー0 | 聖峰中 | 京都 | 札幌師範(北海道)、湘南中(神奈川) | |
| 22 | 1940年 | 普成中 | 朝鮮 | 4-0 | 神戸三中 | 兵庫 | 明星商(大阪)、滋賀師範(滋賀) | |
| 23 | 1941年 | (中止) | ||||||
| 24 | 1942年 | (中止) | ||||||
| - | 1943年 - 1945年 |
(太平洋戦争により中断) | ||||||
| 25 | 1946年 | 神戸一中(7) | 兵庫 | 2-1 | 神戸三中 | 兵庫 | 堺中(大阪)、和歌山中(和歌山) | |
| 26 | 1947年 | 広島高師付中(1) | 広島 | 7-1 | 尼崎中 | 兵庫 | 甲府中(山梨)、水戸工(茨城) | |
| 全国高等学校蹴球選手権大会 | ||||||||
| 27 | 1948年 | 鯉城(3) (旧・広島一中) |
広島 | 2-0 | 上野北 | 三重 | 池田(大阪)、山田(福岡) | |
| 28 | 1949年 | 池田 | 大阪 | 2-0 | 宇都宮 | 栃木 | 刈谷(愛知)、山口東(山口) | |
| 29 | 1950年 | 宇都宮 | 栃木 | 4-0 | 小田原 | 神奈川 | 岸和田(大阪)、高知農(高知) | |
| 30 | 1951年 | 浦和(1) | 埼玉 | 1-0 | 三国丘 | 大阪 | 長田(兵庫)、真岡(栃木) | |
| 31 | 1952年 | 修道(1) | 広島 | 2-1 (延長1-0) |
韮崎 | 山梨 | 上野(三重)、刈谷(愛知) | |
| 32 | 1953年 | 東千田(2) (旧・広島高師付中) |
広島 | 1-1 (延長0-0) |
(両校優勝) | 宇都宮工(栃木)、韮崎(山梨) | ||
| 岸和田 | 大阪 | |||||||
| 33 | 1954年 | 浦和(2) | 埼玉 | 5-2 | 刈谷 | 愛知 | 都立朝鮮人高(東京)、熊本工(熊本) | |
| 34 | 1955年 | 浦和(3) | 埼玉 | 4-1 | 秋田商 | 秋田 | 韮崎(山梨)、宇都宮工(栃木) | |
| 35 | 1956年 | 浦和西 | 埼玉 | 3-2 | 日立一 | 茨城 | 仙台育英(宮城)、藤枝東(静岡) | |
| 36 | 1957年 | 秋田商(1) | 秋田 | 4-2 (延長2-0) |
刈谷 | 愛知 | 浦和西(埼玉)、明星(大阪) | |
| 37 | 1958年 | 山城 | 京都 | 2-1 | 広島大付 | 広島 | 東京教大付(東京)、明星(大阪) | |
| 38 | 1959年 | 浦和市立(1) | 埼玉 | 1-0 | 明星 | 大阪 | 神戸(兵庫)、藤枝東(静岡) | |
| 39 | 1960年 | 浦和市立(2) | 埼玉 | 4-0 | 遠野 | 岩手 | 藤枝東(静岡)、秋田商(秋田) | |
| 40 | 1961年 | 修道(2) | 広島 | 2-0 | 山城 | 京都 | 宮城工(宮城)、関西学院(兵庫) | |
| 41 | 1962年 | 藤枝東(1) | 静岡 | 1-0 | 浦和市立 | 埼玉 | 明星(大阪)、広島大付(広島) | |
| 42 | 1963年 | 藤枝東(2) | 静岡 | 2-0 (延長2-0) |
明星 | 大阪 | 豊田西(愛知)、浦和市立(埼玉) | |
| 43 | 1964年 | 浦和市立(3) | 埼玉 | 3-1 | 宇都宮学園 | 栃木 | 仙台育英(宮城)、鎌倉学園(神奈川) | |
| 44 | 1965年 | 習志野(1) | 千葉 | 0-0 (延長0-0) |
(両校優勝) | 京都商(京都)、新島学園(群馬) | ||
| 明星 | 大阪 | |||||||
| 全国高等学校サッカー選手権大会 | ||||||||
| 45 | 1966年 | 藤枝東(3) | 静岡 | 0-0 (延長0-0) |
(両校優勝) | 3位:浦和市立(埼玉) [3-1](延長) 4位:神戸(兵庫) |
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| 秋田商(2) | 秋田 | |||||||
| 46 | 1967年 | 洛北 | 京都 | 0-0 (延長0-0) |
(両校優勝) | 3位:習志野(千葉) [3-1] 4位:韮崎(山梨) |
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| 山陽 | 広島 | |||||||
| 47 | 1968年 | 初芝 | 大阪 | 1-0 | 山陽 | 広島 | 3位:広島工(広島) [1-0] 4位:遠野(岩手) |
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| 48 | 1969年 | 浦和南(1) | 埼玉 | 1-0 | 初芝 | 大阪 | 3位:広島市商(広島) [1-0] 4位:韮崎(山梨) |
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| 49 | 1970年 | 藤枝東(4) | 静岡 | 3-1 | 浜名 | 静岡 | 3位:浦和南(埼玉) [3-0] 4位:初芝(大阪) |
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| 50 | 1971年 | 習志野(2) | 千葉 | 2-0 | 壬生川工 | 愛媛 | 3位:帝京(東京) [3-0] 4位:清水市商(静岡) |
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| 51 | 1972年 | 浦和市立(4) | 埼玉 | 2-1 (延長1-0) |
藤枝東 | 静岡 | 3位:帝京(東京) [1-1](延長) 3位:関西大倉(大阪) |
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| 52 | 1973年 | 北陽 | 大阪 | 2-1 | 藤枝東 | 静岡 | 3位:相模工大付(神奈川) [6-0] 4位:四日市中央工(三重) |
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| 53 | 1974年 | 帝京(1) | 東京 | 3-1 | 清水東 | 静岡 | 3位:児玉(埼玉) [0-0] 3位:相模工大付(神奈川) |
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| 54 | 1975年 | 浦和南(2) | 埼玉 | 2-1 | 静岡工 | 静岡 | 愛知(愛知)、広島工(広島) | |
| 55 | 1976年 | 浦和南(3) | 埼玉 | 5-4 | 静岡学園 | 静岡 | 帝京(東京)、八幡浜工(愛媛) | 有ヶ谷二郎(静岡学園) 8 |
| 56 | 1977年 | 帝京(2) | 東京 | 5-0 | 四日市中央工 | 三重 | 北陽(大阪)、浦和南(埼玉) | 伊藤直司(四日市中央工) 7 |
| 57 | 1978年 | 古河一(1) | 茨城 | 2-1 | 室蘭大谷 | 北海道 | 八千代(千葉)、本郷(東京) | 高田敏(八千代) 4 |
| 58 | 1979年 | 帝京(3) | 東京 | 4-0 | 韮崎 | 山梨 | 水戸商(茨城)、愛知(愛知) | 川添孝一(帝京) 5 |
| 59 | 1980年 | 古河一(2) | 茨城 | 2-1 | 清水東 | 静岡 | 韮崎(山梨)、岡崎城西(愛知) | 大野克人(古河一) 4 安藤達矢(浦和南) 4 湊邦三(御影工) 4 |
| 60 | 1981年 | 武南 | 埼玉 | 2-0 | 韮崎 | 山梨 | 古河一(茨城)、清水市商(静岡) | 谷中治(帝京) 5 |
| 61 | 1982年 | 清水東 | 静岡 | 4-1 | 韮崎 | 山梨 | 帝京(東京)、守山(滋賀) | 青島秀幸(清水東) 8 |
| 62 | 1983年 | 帝京(4) | 東京 | 1-0 | 清水東 | 静岡 | 韮崎(山梨)、四日市中央工(三重) | 武田修宏(清水東) 5 |
| 63 | 1984年 | 帝京(5) | 東京 | 1-1 (延長0-0) |
(両校優勝) | 武南(埼玉)、藤枝東(静岡) | 松山博明(山城) 5 | |
| 島原商 | 長崎 | |||||||
| 64 | 1985年 | 清水市商(1) | 静岡 | 2-0 | 四日市中央工 | 三重 | 宇都宮学園(栃木)、秋田商(秋田) | 黒崎久志(宇都宮学園) 5 |
| 65 | 1986年 | 東海大一 | 静岡 | 2-0 | 国見 | 長崎 | 秋田商(秋田)、室蘭大谷(北海道) | アデミール・サントス (東海大一) 5 |
| 66 | 1987年 | 国見(1) | 長崎 | 1-0 | 東海大一 | 静岡 | 四日市中央工(三重)、市船橋(千葉) | 平沢政輝(東海大一) 7 |
| 67 | 1988年 | 清水市商(2) | 静岡 | 1-0 | 市船橋 | 千葉 | 前橋商(群馬)、暁星(東京) | 桑原賢次(前橋商) 4 中村聖之(市船橋) 4 |
| 68 | 1989年 | 南宇和 | 愛媛 | 2-1 | 武南 | 埼玉 | 前橋商(群馬)、国見(長崎) | 西田吉洋(南宇和) 6 |
| 69 | 1990年 | 国見(2) | 長崎 | 1-0 (延長1-0) |
鹿児島実 | 鹿児島 | 東海大五(福岡)、武南(埼玉) | 浜田祥裕(東海大五) 5 中園忠和(武南) 5 |
| 70 | 1991年 | 四日市中央工 | 三重 | 2-2 (延長0-0) |
(両校優勝) | 国見(長崎)、市船橋(千葉) | 松波正信(帝京) 7 | |
| 帝京(6) | 東京 | |||||||
| 71 | 1992年 | 国見(3) | 長崎 | 2-0 | 山城 | 京都 | 武南(埼玉)、習志野(千葉) | 江原淳史(武南) 8 |
| 72 | 1993年 | 清水市商(3) | 静岡 | 2-1 | 国見 | 長崎 | 鹿児島実(鹿児島)、東福岡(福岡) | 野見山秀樹(鹿児島実) 5 |
| 73 | 1994年 | 市船橋(1) | 千葉 | 5-0 | 帝京 | 東京 | 奈良育英(奈良)、守山北(滋賀) | 森崎嘉之(市船橋) 8 |
| 74 | 1995年 | 静岡学園 | 静岡 | 2-2 (延長0-0) |
(両校優勝) | 東福岡(福岡)、初芝橋本(和歌山) | 吉原宏太(初芝橋本) 7 | |
| 鹿児島実(1) | 鹿児島 | |||||||
| 75 | 1996年 | 市船橋(2) | 千葉 | 2-1 | 桐光学園 | 神奈川 | 徳島商(徳島)、静岡学園(静岡) | 北嶋秀朗(市船橋) 6 日下亮(市船橋) 6 |
| 76 | 1997年 | 東福岡(1) | 福岡 | 2-1 | 帝京 | 東京 | 丸岡(福井)、藤枝東(静岡) | 金古聖司(東福岡) 5 河村優(藤枝東) 5 |
| 77 | 1998年 | 東福岡(2) | 福岡 | 4-2 | 帝京 | 東京 | 滝川二(兵庫)、前橋育英(群馬) | 林丈統(滝川二) 8 |
| 78 | 1999年 | 市船橋(3) | 千葉 | 2-0 | 鹿児島実 | 鹿児島 | 前橋育英(群馬)、富山一(富山) | 石黒智久(富山一) 9 |
| 79 | 2000年 | 国見(4) | 長崎 | 3-0 | 草津東 | 滋賀 | 富山一(富山)、青森山田(青森) | 大久保嘉人(国見) 8 |
| 80 | 2001年 | 国見(5) | 長崎 | 3-1 | 岐阜工 | 岐阜 | 鹿児島実(鹿児島)、前橋育英(群馬) | 片桐淳至(岐阜工) 6 柴崎晃誠(国見) 6 |
| 81 | 2002年 | 市船橋(4) | 千葉 | 1-0 | 国見 | 長崎 | 滝川二(兵庫)、桐蔭学園(神奈川) | 平山相太(国見) 7 |
| 82 | 2003年 | 国見(6) | 長崎 | 6-0 | 筑陽学園 | 福岡 | 滝川二(兵庫)、鹿児島実(鹿児島) | 平山相太(国見) 9 |
| 83 | 2004年 | 鹿児島実(2) | 鹿児島 | 0-0 (延長0-0) (PK 4-2) |
市船橋 | 千葉 | 国見(長崎)、星稜(石川) | 福士徳文(盛岡商) 4 糠谷祐真(前橋商) 4 山下真太郎(鹿児島実) 4 |
| 84 | 2005年 | 野洲 | 滋賀 | 2-1 (延長1-0) |
鹿児島実 | 鹿児島 | 多々良学園(山口)、遠野(岩手) | 迫田亮介(鹿児島実) 5 |
| 85 | 2006年 | 盛岡商 | 岩手 | 2-1 | 作陽 | 岡山 | 八千代(千葉)、神村学園(鹿児島) | 小室俊之(作陽) 4 |
| 86 | 2007年 | 流経大柏 | 千葉 | 4-0 | 藤枝東 | 静岡 | 津工(三重)、高川学園(山口) | 大前元紀(流経大柏) 7 |
| 87 | 2008年 | 広島皆実 | 広島 | 3-2 | 鹿児島城西 | 鹿児島 | 前橋育英(群馬)、鹿島学園(茨城) | 大迫勇也(鹿児島城西) 10 |
| 88 | 2009年 | 山梨学院大付 | 山梨 | 1-0 | 青森山田 | 青森 | 矢板中央(栃木)、関大一(大阪) | 山本大貴(ルーテル学院) 5 |
| 担当都道府県 | 参加民放社名 | 放送系列 | 備考 | 担当都道府県 | 参加民放社名 | 放送系列 | 備考 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 東京都 | 日本テレビ | NNS | 主幹局 | 愛媛県 | 南海放送 | NNS | ||
| 茨城県 | 高知県 | 高知放送 | ||||||
| 北海道 | 札幌テレビ | 山口県 | 山口放送 | |||||
| 青森県 | 青森放送 | 福岡県 | 福岡放送 | |||||
| 岩手県 | テレビ岩手 | 佐賀県 | ||||||
| 宮城県 | ミヤギテレビ | 長崎県 | 長崎国際テレビ | 1991年開局 | ||||
| 秋田県 | 秋田放送 | 熊本県 | くまもと県民テレビ | 1982年開局 | ||||
| 山形県 | 山形放送 | 大分県 | テレビ大分 | FNS/NNS | 2000年から放送開始 | |||
| 福島県 | 福島中央テレビ | 鹿児島県 | 鹿児島読売テレビ | NNS | 1994年開局 | |||
| 新潟県 | テレビ新潟 | 1981年開局 | 宮崎県 | 宮崎放送 | JNN | |||
| 長野県 | テレビ信州 | 1980年開局 | 沖縄県 | 沖縄テレビ | FNS | |||
| 山梨県 | 山梨放送 | 栃木県 | とちぎテレビ | 独立U協 | 1999年開局 | |||
| 静岡県 | 静岡第一テレビ | 1979年開局 | 群馬県 | 群馬テレビ | 1971年開局 | |||
| 愛知県 | 中京テレビ | 埼玉県 | テレビ埼玉 | 1979年開局 | ||||
| 富山県 | 北日本放送 | 千葉県 | 千葉テレビ | 1971年開局 | ||||
| 石川県 | テレビ金沢 | 1990年開局 | 神奈川県 | テレビ神奈川 | 1972年開局 | |||
| 福井県 | 福井放送 | NNS/ANN | 岐阜県 | 岐阜放送 | ||||
| 大阪府 | 読売テレビ | NNS | 三重県 | 三重テレビ | ||||
| 鳥取県 | 日本海テレビ | 1989年フルネット化 | 滋賀県 | びわ湖放送 | 1972年開局 | |||
| 島根県 | 京都府 | KBS京都 | ||||||
| 広島県 | 広島テレビ | 奈良県 | 奈良テレビ | 1973年開局 | ||||
| 岡山県 | 西日本放送 | 1983年相互乗り入れ | 和歌山県 | テレビ和歌山 | 1974年開局 | |||
| 香川県 | 兵庫県 | サンテレビジョン | ||||||
| 徳島県 | 四国放送 | |||||||
| 担当都道府県 | 民放社名 | 中継終了年次 | 引き継いだ社名 | 理由 |
|---|---|---|---|---|
| 岩手県 | 岩手放送 (現:IBC岩手放送) |
1982年 | テレビ岩手 | 系列局への一本化 |
| 福島県 | 福島テレビ | 1976年 | 福島中央テレビ | 系列局への一本化 |
| 栃木県 | 日本テレビ | 1999年 | とちぎテレビ | 地元局開局による移行 |
| 新潟県 | 新潟放送 | (未確認) | テレビ新潟 | 系列局への一本化 |
| 長野県 | 信越放送 | 1990年 | テレビ信州 | 長野朝日放送開局による テレビ信州フルネット化のため |
| 静岡県 | 静岡放送 | 1983年 | 静岡第一テレビ | 系列局への一本化 |
| 石川県 | 北陸放送 | 1990年 | テレビ金沢 | 系列局開局による移行 |
| 愛知県 | 名古屋テレビ | 1973年 | 中京テレビ | 系列整理による一本化 |
| 島根県 | 山陰放送 | 1971年 | 日本海テレビ | 日本海テレビへのNNS 番組一本化のため |
| 岡山県 | 山陽放送 | - | 西日本放送 | 相互乗り入れによる 系列局への一本化 |
| 長崎県 | 長崎放送 | 1991年 | 長崎国際テレビ | 系列局への一本化 |
| 熊本県 | 熊本放送 | 1982年 | くまもと県民テレビ | 系列局への一本化 |
| 大分県 | 大分放送 | 1999年 | テレビ大分 | 系列局への一本化 |
| 鹿児島県 | 南日本放送 | 1994年 | 鹿児島読売テレビ | 系列局開局による移行 |
各地の中波ラジオ局が、各当地校の試合を中継しているが、局によって扱いはまちまちである。
第80回大会(2001年度)までサッカーボールをモチーフとしたマスコットキャラクターが存在していた。そのマスコットはボールに手足と頭がついており、両手でピースサインをして「Get 2002!」のメッセージを上に表示していた。名前は特になかった模様。
なお、後に登場する日本テレビサッカー中継マスコット「サッカーモンスター」とは似ているものの別物である。
第73回大会(1994年度)からは、回ごとのイメージソングも設けられている。これらの曲はテレビ中継のエンディングで流れるほか、開会式や決勝戦でライブパフォーマンスを披露することもある。
なお、第82回大会(2003年度)を前に「Golden Age 〜黄金世代〜 全国高校サッカー選手権大会イメージソングコンピレーション」がキューンレコード(第82回大会のゴスペラーズが所属するレーベル)から発売され、大会歌「ふり向くな君は美しい」も含め、第82回大会までのイメージソングが収録されている。ただし、第74回大会の「風になって」は収録されていないが、TOKIOが所属するジャニーズ事務所が原盤権を持っているため、同社の許可が下りなかったものと推定される。
第81回大会(2002年度)より、高校サッカー経験を持つ日本の現役プロサッカー選手(平山相太は起用当時筑波大学蹴球部所属のアマチュア選手[6])がイメージキャラクターとして、大会ポスターのモデルに起用されている(出身校名の後の※は、在学中に本大会進出経験なし)。なお第86回(2007年度)からは「応援リーダー」と呼ばれている。
第84回大会(2005年度)より応援マネージャーが導入された。選手と同世代の女性タレントが起用され、主にテレビの中継や関連番組に登場する。また開会式では入場行進の先導役を務める。それから番組内でリフティングに挑戦することがお約束となっている(氏名の後にリフティングの回数)。また別年度に高校野球(2008年限りで休止)、高校ラグビーのイメージガールを経験した人物はいない[7]。
これですべての制約のある抽せんが終わる。後は残りの高校が1校ずつくじを引いていき、すべての組み合わせが決定する。これらすべての抽せんは制約のあるチーム、無いチームすべて範囲内で予備抽せんの番号の小さい順に行なわれる。組み合わせ決定後に開幕戦のカードを決める抽せんをして(開幕戦の項を参照)、さらに選手宣誓の抽せんも行なう。選手宣誓は、開幕戦を戦う2チーム以外の46チームの中から選ばれる。
準決勝と決勝の会場は余程のことがない限りは国立競技場が使用されるが、この時期に行われる全国大学ラグビーフットボール選手権大会でも国立競技場を使用するため、芝の状態が悪くなることが問題視されている。
テレビ中継のオープニング・エンディングでのスポンサー紹介では、各社のコーポレートメッセージ・キャッチコピーが付け加えられる形での紹介方法である(年度によっては付かないスポンサーもある)。
なお、上記6社はすべて4回ずつCMを流す。主に試合開始前に1回、ハーフタイム中に2回、後半終了後に1回1社ずつ流す。後半の提供クレジットは、4回目のCMが放送された順番に表示される(なお、前半のものは1回目のCMが放送される順番に表示される)。
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|---|---|
| 高円宮杯全日本ユースサッカー選手権 JFAプリンスリーグ(高円宮杯の予選を兼ねる) |
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| クラブユース | 高校 |
| 日本クラブユース選手権 |
全国高校総体 全国高校サッカー選手権 |
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![]() 00:49 | 逢沢りな 全国高校サッカー選手権大会CM(2008) |
再生回数:47,507回評価: 提供:You Tube | |
![]() |
![]() 00:22 | 第84回全国高校サッカー選手権大会 決勝:野洲×鹿実 決勝ゴール |
再生回数:420,457回評価: 提供:You Tube | |
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![]() 01:52 | 怪物平山相太、国見高校時代の17ゴール、全国高校サッカー選手権大会 |
再生回数:17,819回評価: 提供:You Tube | |
![]() |
![]() 09:12 | 守山vs野洲 第88回全国高校サッカー選手権大会 滋賀大会決勝 |
再生回数:6,453回評価: 提供:You Tube | |
![]() |
![]() 00:31 | 日本テレビ第88回全国高校サッカー選手権大会応援マネージャー 川島海荷 |
再生回数:21,890回評価: 提供:You Tube | |
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