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かぢ りんぞう
加地 倫三 |
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| 生誕 | 1969年3月13日(41歳) 日本・千葉県市川市 |
| 出身校 | 上智大学卒業 |
| 職業 | テレビプロデューサー、ディレクター、演出家 |
加地 倫三(かぢ りんぞう、Rinzo Kaji、1969年3月13日 - )[1][2]はテレビ朝日編成制作局制作1部所属のテレビプロデューサー・ディレクター、演出家。渋谷教育学園幕張中学校・高等学校、上智大学外国語学部卒。身長183cm[1]。
目次 |
千葉県市川市出身。3人兄弟[1]。子供の頃は「超」が付くほどのテレビっ子だった。学生時代は、裏方でなくタレント志望で高校生の時に『テラ戦士ΨBOY』の主演菊池桃子の相手役のオーディションを受けたことがあり、残り15名のところまで残った[1]。当時交際していた女性に「男は女を食わせるくらいじゃないとダメよ」といわれたのを、きっかけに大学進学。当時バンドブームだった為、大学ではバンドサークルに入り、ドラムを担当していた[3]。1992年にテレビ朝日入社。元々はフジテレビへの憧れが強く入社試験を受けたが落選、その後、主要テレビ局の入社試験を全て落ちている[3]。テレ朝の入社面接で「フジテレビに入りたいです」と言ったにも関わらず、受かったという[3]。
最初スポーツ局に配属される。スポーツ局を希望したのは、面接で受かるための作戦であったという[3]。スポーツ局に若手がいなかったため、すぐにディレクターを任される。入社して1年半後に『ワールドプロレスリング』のディレクターを任され、3年目には6時間生放送の駅伝大会の総合演出として500人位のスタッフを仕切った。その後もプロレスラーと深いかかわりを持ち、橋本真也引退から復帰にあたり橋本本人に多大な影響を与えた影の立役者。橋本の追悼番組も手がけ、復帰の際に集められた折鶴をテレビ朝日のロビーに敷き詰め送り出した。
5年目でバラエティ制作に異動。ADからディレクター時代にかけては『Q99』や『ナイナイナ』を手掛け、ナインティナインと深いかかわりを持つ。『ナイナイナ』のプロデューサーだった板橋順二が『ロンドンハーツ』のプロデューサもやることになり、板橋に引っ張ってもらう形で『ロンハー』を担当することになった。最初、別の大型バラエティ番組と『ロンハー』とで加地のドラフトが行われたが、平城隆司が間に入ってくれ好きなほうを選ばせてくれたという[4]。近年では『ロンハー』にて出川哲朗のプロポーズや青木さやかの恋人企画などを演出、『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』では従来になかったマニアックな切り口を浸透させた。近年好調なテレビ朝日バラエティの「牽引役」と評される[5]。
とんねるずの大ファンであったり、関根勤のラジオ番組(コサキンかと思われる。)にも投稿をしていた元ハガキ職人でもある。テレビ東京の大橋未歩アナのファンでもあり、『雨上がり決死隊べしゃりブリンッ!』の「アメトーーク!とコラボレーーション」の回で「大橋アナ大好き芸人」が提案された時は「大好き」と発言している。
手法は、小学生のとき見ていた『THE MANZAI』に影響される。プロレスから「(起こっていることを的確に伝える)瞬発力、反射神経」を学んだと語り、それは演出・プロデューサーを務める『ロンドンハーツ』などのドッキリ企画で思わぬ方向に進んだときの迅速な判断、ジャッジする力に活かされているという[6]。『ロンドンハーツ』は日本PTA全国協議会が選ぶ「子供に見せたくない番組」で連続して1位になっているが、加地は「逆に個性がないと1位になれませんから。2位とか3位が1番よくないと思います」と語っている[6]。『アメトーーク!』を真似した番組が増えていることに、「流行に飛びつくばかりじゃなく、自ら考えていかないと業界が駄目になる」という危機感から苛立ちを感じると述べている[7]。テレビ朝日で脅威に感じる若手スタッフはいないが、テレビ東京の佐久間宣行(『ゴッドタン』のPDなどを担当)は気になるという[7]。
自ら「ゼロから何かを生み出すクリエイターではない」と語る。後輩にはいつも「俺は、天才肌じゃない。秀才タイプで、ただ努力したらここまで来れた。だから、誰でも努力すればこれくらいにはなれる。ガンバレ」と言い聞かせている[8]。また、「饅頭職人タイプ」であると例え、「ちゃんとやんないと気が済まないんです。それで儲けようとか、工場を広げていっぱい売ろうとかいう気はありません。視聴率を何%取ったということよりも、「今日、おもしろかった」「元気をもらいました」とBBSで書き込まれてるほうをどちらかというとめざしている気がします。」と『ほぼ日刊イトイ新聞』の糸井重里との対談の際に述べている[9]。
オリコンは加地を「加地氏の制作スタンスを見ていると現在では数少ない“昭和のテレビ屋”の香りが漂ってくる。」と評している[6]。出川哲朗は『アメトーーク』において、自分がメインの「出川ナイト」という企画を提案されたときに自分がメインの企画は自信がない上に視聴率がとれるか分からないと加地に言ったところ、加地に「この企画は視聴率なんて二の次なんです。面白いから放送するんです。」といわれて非常に感動したというエピソードを明かし、「今時、そんなこと言ってくれるテレビマンはあまりいない」と述べた[10]。ラリー遠田は加地が『アメトーーク!』において敢えて捨て企画を放送するところを「そこが彼の本当に恐ろしいところ。プロデューサーとして突き抜けてる。」と評している[11]。