| 国立霞ヶ丘陸上競技場 "国立" |
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|---|---|
| 施設情報 | |
| 所在地 | 東京都新宿区霞ヶ丘町10番2号 |
| 位置 | 北緯35度40分41秒東経139度42分53秒 |
| 開場 | 1958年3月 |
| 所有者 | 日本スポーツ振興センター |
| グラウンド | 天然芝 (107 x 71 m) |
| ピッチサイズ | 105 x 68 m |
| 設計者 | 片山光生 |
| 使用チーム、大会 | |
| 後述 | |
| 収容能力 | |
| 50,339人 | |
国立霞ヶ丘陸上競技場(こくりつかすみがおかりくじょうきょうぎじょう)は、東京都新宿区および港区にまたがる国立霞ヶ丘競技場内にある独立行政法人日本スポーツ振興センター (NAASH) によって運営される陸上競技場。NAASHは「国立競技場」と呼称、メディア等も通常はこれに倣っている。
本稿では他との区別のため「国立霞ヶ丘陸上競技場」と呼称する。
目次 |
世界的には1964年の東京オリンピックのメインスタジアムとして、又2001年までのトヨタ・カップの会場として知られている。1991年には世界陸上が開催された。その他、陸上競技、ラグビー、サッカーの各種国内選手権大会(特に決勝戦)の開催競技場としての役割を長年担っている。特にラグビー、サッカーの選手にとって、「国立のピッチに立つ」というのは1つのステータスにもなっている。特に全国高等学校サッカー選手権大会を国立霞ヶ丘で実施する高校サッカーでは「聖地」と呼ばれており、上位進出を決めたチームだけ国立のピッチでプレーする事が許される。これが国立霞ヶ丘の神格化が起こる要因となる。
代々木門エントランス下に国立霞ヶ丘競技場体育館が、同門側サイドスタンド下に国立霞ヶ丘競技場室内水泳場がある。
メインスタンド下に秩父宮記念スポーツ博物館と秩父宮記念スポーツ図書館を併設している。又同じくスタンド下に日本体育施設協会がある。
当競技場を明確にホームグラウンドと謳うチームは存在しないが、サッカー日本代表、およびラグビー日本代表が国際試合を行うスタジアムとして定着しており、それぞれの代表チームにとってのホームスタジアムということができる。
Jリーグで当競技場をホームスタジアムにするクラブはない。Jリーグの方針としてホームチームを置かないことになっている。(イングランドにおけるウェンブリー・スタジアムのような位置づけ)。ただし、首都圏周辺にホームタウンを置くクラブが、集客の都合、観客の安全確保、スタジアムの増改築、スケジュール上の不都合等の理由でホームスタジアムでの開催に支障がある場合、当競技場でホームゲームを開催することはしばしばある。首都圏以外に本拠を置くチームでも、清水エスパルスや名古屋グランパスエイト、ジュビロ磐田などが主催試合を行ったことがある。頻度としては東京都をホームタウンとするFC東京、東京ヴェルディが高い。
国立霞ヶ丘陸上競技場と同程度の規模のスタジアムをコンサート会場として使用することは決して珍しい事ではない。国立霞ヶ丘陸上競技場のコンサート会場としての使用頻度は高いとはいえず、またアーティストも限定されている。コンサート会場として使用する際には国立霞ヶ丘陸上競技場スタッフによる厳しい審査と、その他使用に関する規制が厳格に決められており(例えば、「同会場をコンサートとして使用する際は、音を出すのを午後9時まで」等)、審査に合格し、かつ使用に関する規制を厳格に守れるアーティストに限り使用を許可している。尚、2005年のSMAPの単独公演開催以降は、コンサート関係の使用は年間1組のみしか開催されていない。
当地には1924年完成の明治神宮外苑競技場があったが、第3回アジア大会と東京オリンピック開催のため、1956年に国に譲渡された。現在の競技場は1957年1月に起工、アジア大会前の1958年3月に竣工した。同年アジア大会を開催。翌1959年には東京国体のメインスタジアムとして陸上競技が開催された。その後1964年の東京オリンピックではメインスタジアムとして使用されることとなり、これにあわせてスタンドの増築が行なわれた。
国内大会では1958年から日本陸上競技選手権大会が、国立霞ヶ丘陸上競技場で開催されるようになり、以降長い間定宿としてきた。サッカーでは1968年から天皇杯全日本サッカー選手権大会が開催されるようになった。翌1969年1月1日に初めて天皇杯決勝戦が国立霞ヶ丘陸上競技場で実施され、以降「元日国立」が定着した。1976年から全国高等学校サッカー選手権大会も開催されるようになった。
当初は日本を代表するスタジアムであったが、1958年の竣工以来、50年近くを経過するとともに、建築技術の向上、各種スポーツ大会の大型化、それに伴う大会運営サイドからのスタジアムへの要求水準の向上により、その老朽化が指摘されている。
2002年のワールドカップ日韓大会でも当競技場での開催が検討されたもの、FIFA(国際サッカー連盟)がスタジアムに要求する仕様として、「観客席の3分の2以上に屋根が架設されること」が条件とされており、それを満たす事が出来なかったため、試合会場となる事を断念せざるを得なかった。既存の規格の古いスタジアムであっても、1960年のローマオリンピックのメインスタジアムとなったスタディオ・オリンピコや、1936年のベルリンオリンピックのメインスタジアムになったオリンピアシュタディオンのように改装により屋根を架けることは可能であるが、予算等の問題からこの方法は実施されていない。ワールドカップ日韓大会の決勝戦は横浜国際総合競技場で実施されたが、以降もビッグゲームは当競技場よりも観客収容人数が多く、その分の収入増が見込める横浜国際総合競技場(日産スタジアム)もしくは埼玉スタジアム2002で開催する事が多くなっている。
また、陸上競技についても、古い国際規格の8レーンしか設けられておらず、又サブトラックの施設が貧弱である点が問題となる。サブトラックについては代替のスペースを周辺に見つける事が不可能である点も陸上競技場としての足かせになっている。これらの点で現在の国際陸上の規格を満たしていない上に、大会運営上の支障になっている。トラックを使用したマラソン以外の最近の国際陸上競技大会は1999年のスーパー陸上で以降はドメスティックな大会に限定されている。日本選手権は1990年代中頃まで国立霞ヶ丘を定宿にしていたが、以降はより設備が整った地方の競技場で大会を開催するようになった。最近の開催は2005年である。
この一方で2000年代から従来行っていなかったコンサート会場として使われるようになっている。2005年からSMAPがコンサート会場として使用を開始した。単独のアーティストとしてはSMAPが最初に使用したが、SMAPが同会場の使用許可を得るまで、実に3年の期間を要している。また、SMAP側が使用の打診を行い使用許可を得るまでの3年間に、騒音問題、芝生などの施設管理といった競技場側の問題の他に、SMAPの公演内容、スタッフの対応、観客のマナーの様子等総合的に厳しくチェックされ、3年間事故も無く、また観客のマナーも良かった事の功績を認め、SMAPのコンサートによる使用を許可した[1]。2007年9月にDREAMS COME TRUEが使用に関する審査をパスし、同会場にてコンサートを行った。また、3組目のアーティストとして、2008年9月に嵐のコンサートの開催された。
コンサート以外のイベントとしては2009年7月5日に開催された石原裕次郎23回忌法要が挙げられる。これは10年前に石原の菩提寺である神奈川県横浜市の總持寺で営まれた13回忌法要に大勢のファンが詰め掛け寺院周辺が大混雑したことに配慮し、国立競技場で行なわれることとなった。この法要ではトラック部分に總持寺の本堂を模した仮設の建物を用意するなどし、この日は競技場に主催者発表で約11万7000人のファンが訪れた。
2008年5月29日、文部科学省は需要の変化や著しい老朽化に対応するため、サッカー専用競技場化などの大規模改修も視野に入れて施設としてのあり方を見直す有識者らを集めた調査研究協力者会議を発足させた 2013年の東京国体で国立霞ヶ丘は計画段階で競技実施会場に含まれていない[2]。2016年の東京オリンピック構想ではサッカー競技の実施会場として国立霞ヶ丘が挙げられているが、陸上競技の開催は晴海に建設されるオリンピックスタジアムに譲るプランが示されている[3]。
2009年2月19日、日本ラグビーフットボール協会会長森喜朗は国立霞ヶ丘の改修に言及した。森は2016年の東京オリンピック招致に成功した場合、国立霞ヶ丘をラグビーやサッカーの専用球技場として改修したいと述べた[4]。
トラック8レーンを有する日本陸上競技連盟公認第一種陸上競技場である。
現在の規則によると、日本陸連の第一種競技場として登録されるには1周400mの補助競技場(サブトラック、公認第三種登録相当)を併設することが義務付けられている。当競技場はそのサブトラックがないが、東京都営の東京体育館の付属陸上競技場を事実上のサブトラックと見なし、第一種トラックとして登録されている。ただし東京体育館陸上競技場は直線コースは100mあるものの、全周200mしかない上にコースが5レーンしかない。
前述の通り、レーンが8列しかないため、最新の国際規格を満たしていない。
当初は寒冷期には芝がすべて枯れ、ピッチコンディションの悪さが指摘されていたが、のちに改良され年間を通して青い芝を保つようになった。国立競技場のHPではこの間の海外選手の苦情や芝生の塗装、改良の試行錯誤が記述されている。[5]。
スタンドの形状は4階建て楕円形スタンドとなっている。この形状のためラグビーの試合では、しばしばラインアウトでのノットストレートの反則をとられることがあり、テレビ中継などで「(楕円形スタンドに惑わされて)まっすぐに投げ入れることが難しい」と解説される。
1963年には翌年の東京オリンピックを控え、バックスタンドを中心に大幅拡張され、71,715人収容[6]の大スタジアムとして生まれ変わった。1964年10月10日のオリンピック開会式の観客動員数72,000人が、国立霞ヶ丘陸上競技場の最多入場者数である。その後1978年の改修では約62,000人収容に減少した。これ以降の入場者数はキャパシティ一杯でも60,000人前後で推移していたが、その後の改修が進むに連れキャパシティは縮小している。2005年9月から複数年の予定で、スタンドの改修工事が行われた。先ず最初の段階で収容人数は60,057人から55,903人まで縮小された。この改修で座席スペースの拡張や背もたれ、カップホルダー付き座席の設置、および記者席の機能強化が図られた。スタジアムのキャパシティは現在50,339人にまで縮小されている。[1]
照明施設はバックスタンドに照明塔4機、メインスタンドの照明は屋根の先端部に内蔵されている。
視聴覚装置は、千駄ヶ谷門寄りサイドスタンドに大型画像モニターが設置されている。国立競技場となった際に上部5段のみ電光表示を可能とした大型スコアボードが設置され、オリンピック開催にあわせて全面電光表示化された。1991年の世界陸上開催を契機とした改修でアストロビジョンを設置した。
東京都新宿区霞ヶ丘町10番2号。
入場門によって最寄り駅が異なる。
コンサート等のイベントが開催される際、近隣の騒音問題に配慮し、必ず21時にて終了しなければいけない(21時以降は一切音を出してはならない)規定がある。
| 先代: 県営陸上競技場 (富山市) |
国民体育大会 主競技場 東京国体 |
次代: 水前寺陸上競技場 (熊本市) |
| 先代: 駒沢競技場 (東京都) |
天皇杯全日本サッカー選手権大会 決勝戦会場 第47回- |
次代: - |
| 先代: スタディオ・オリンピコ ( イタリア・ローマ) |
世界陸上競技選手権大会 会場 1991年 |
次代: ゴットリーブ・ダイムラー・シュタディオン ( ドイツ・シュトゥットガルト) |
| 先代: (ホーム・アンド・アウェー) |
トヨタカップ 会場 1980-2001 |
次代: 横浜国際総合競技場 (横浜) |
| 先代: アザディ・スタジアム ( イラン・テヘラン) (2003-08はホーム・アンド・アウェー) |
AFCチャンピオンズリーグ 決勝戦会場 2009- |
次代: 未定 |
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![]() 01:48 | 100101 天皇杯決勝試合終了後 |
| 再生回数:189回評価:なし提供:You Tube | |
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![]() 01:53 | 2016年五輪 会場予定地バスツアー |
再生回数:490回評価: 提供:You Tube | |
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![]() 00:26 | 長居陸上競技場 |
再生回数:1,076回評価: 提供:You Tube | |
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