土佐国(とさのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つで、南海道に位置する。ほぼ現在の高知県にあたる。土州と呼ぶこともある。延喜式での格は中国、遠国。
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国府は長岡郡にあった。現在の南国市比江で遺跡が発掘されている。紀貫之が国司を勤め、『土佐日記』において在任期間の事柄が記されている。
延喜式神名帳には大社1座1社・小社20座20社の計21座21社が記載されている。唯一の大社は土佐郡の都佐坐神社(現 土佐神社、高知市一宮)で、土佐国一宮になっている(名神大社ではない)。二宮は小村神社(高岡郡日高村)である。総社は南国市の「惣社」である。元々は南国市比江の国府の隣にあったが、後に南国市国分の国分寺境内に移転している。
もともと、流刑地の一つであった。平安時代末期、源義朝の五男で頼朝の同母弟 希義が流されて、兄の挙兵の折に自らも立ち、鎮圧されている。またこの他にも、紀夏井、藤原師長、土御門天皇、尊良親王といった人々が、流人として土佐の土を踏んでいる。室町時代は細川氏が守護を務めていたが、戦国期には土佐七雄(土佐七豪族とも)である本山氏、安芸氏、一条氏、吉良氏、津野氏、長宗我部氏、香宗我部氏などが拮抗したが、長宗我部元親が勢力拡大し、土佐を統一、やがて四国全土を支配下に治める。しかし、その後、長宗我部氏が織田信長や豊臣秀吉の攻撃を受けると、次第に勢力を衰退させ、秀吉の時代には土佐一国を安堵されるのみにとどまっている。元親の四男 長宗我部盛親は関ヶ原の戦いで西軍に加担し、改易。以後、山内一豊が土佐24万石で入部し、山内氏による土佐藩支配の時代となった。旧長宗我部家臣など在地の武士は郷士として遇されたが、山内家とともに入部してきた上士階級としばしば対立して幕末までその構造は変わらなかった。土佐藩主で幕末の四賢侯と賞賛された山内容堂はじめ、郷士からは土佐勤皇党で知られる武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎、望月亀弥太、岡田以蔵などが輩出される。明治後に高知県となった。
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