リンクメーカー| トラック| ヘルプ| ログイン

土佐国

百科事典|ウェブ|画像|動画

令制国一覧 > 南海道 > 土佐国


土佐国(とさのくに)は、かつて日本の地方行政区分だったの一つで、南海道に位置する。ほぼ現在の高知県にあたる。土州と呼ぶこともある。延喜式での格は中国、遠国。

目次

沿革

  1. 7世紀都佐(とさ)国造と波多国造の領域をあわせて建てられた。土佐は、平安時代までしばしば土左とも書かれた。
  2. 明治9年(1876年)2月25日、伊豫国宇和郡沖ノ島、姫島、鵜来島を幡多郡へ編入する。

国府・一宮など

国府は長岡郡にあった。現在の南国市比江で遺跡が発掘されている。紀貫之が国司を勤め、『土佐日記』において在任期間の事柄が記されている。

延喜式神名帳には大社1座1社・小社20座20社の計21座21社が記載されている。唯一の大社は土佐郡の都佐坐神社(現 土佐神社高知市一宮)で、土佐国一宮になっている(名神大社ではない)。二宮は小村神社高岡郡日高村)である。総社は南国市の「惣社」である。元々は南国市比江の国府の隣にあったが、後に南国市国分の国分寺境内に移転している。

歴史

もともと、流刑地の一つであった。平安時代末期、源義朝の五男で頼朝の同母弟 希義が流されて、兄の挙兵の折に自らも立ち、鎮圧されている。またこの他にも、紀夏井藤原師長土御門天皇尊良親王といった人々が、流人として土佐の土を踏んでいる。室町時代細川氏守護を務めていたが、戦国期には土佐七雄(土佐七豪族とも)である本山氏、安芸氏、一条氏吉良氏、津野氏、長宗我部氏香宗我部氏などが拮抗したが、長宗我部元親が勢力拡大し、土佐を統一、やがて四国全土を支配下に治める。しかし、その後、長宗我部氏が織田信長豊臣秀吉の攻撃を受けると、次第に勢力を衰退させ、秀吉の時代には土佐一国を安堵されるのみにとどまっている。元親の四男 長宗我部盛親関ヶ原の戦いで西軍に加担し、改易。以後、山内一豊が土佐24万石で入部し、山内氏による土佐藩支配の時代となった。旧長宗我部家臣など在地の武士は郷士として遇されたが、山内家とともに入部してきた上士階級としばしば対立して幕末までその構造は変わらなかった。土佐藩主で幕末の四賢侯と賞賛された山内容堂はじめ、郷士からは土佐勤皇党で知られる武市半平太坂本龍馬中岡慎太郎望月亀弥太岡田以蔵などが輩出される。明治後に高知県となった。

守護

鎌倉幕府

  • 1185年~1186年 - 梶原朝景
  • 1192年~1200年 - 佐々木経高
  • 1201年~1203年 - 豊島朝経
  • 1203年~1239年 - 三浦義村
  • 1239年~1247年 - 三浦氏
  • 1323年~1333年 - 北条氏

室町幕府

国司

土佐守

土佐介

関連項目

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Text is available under GNU Free Documentation License.
土佐国と関連のある記事を表示しています。
日本の華族一覧
日本の華族一覧(にほんのかぞくいちらん)は日本1869年から1947年まであった華族制度の叙爵者の一覧である。 ここでは五十音順で表記する。 NOTOC
関連13百科事典ウェブ画像動画
土佐神社
土佐神社(とさじんじゃ)は、高知県高知市にある神社である。式内社土佐国一宮で、旧社格国幣中社
関連7百科事典ウェブ画像動画
高知県
高知県(こうちけん)は、日本の一つで、四国太平洋側に位置する。県庁所在地高知市
関連6百科事典ウェブ画像動画
関連記事をすべてみる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Text is available under GNU Free Documentation License.
動画検索:土佐国
土佐国の動画検索結果を表示しています。
04:05
森昌子 南国土佐を後にして masako mori
再生回数:6,995回評価:提供:You Tube
  
09:47
土佐の国道枝川より朝倉学芸高校前まで
再生回数:55回評価:なし提供:You Tube
  
03:27
よさこい節
再生回数:10,503回評価:提供:You Tube
  
04:01
【南国土佐を後にして】初音ミク
再生回数:4,554回評価:提供:You Tube
  
03:19
xacti 土佐の雪道.国道197号
再生回数:149回評価:提供:You Tube
  
ようこそDIS/MASへ
ログイン | 新規登録
おすすめキーワード
関連ワード
その他の候補
おすすめの作品