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大和魂

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大和魂とは

  1. 世事に対応し、社会のなかでものごとを円滑に進めてゆくための常識や世間的な能力。
  2. 特に各種の専門的な学問教養技術などを社会のなかで実際に役立ててゆくための才能や手腕。
  3. 外国(中国)の文化文明を享受するうえで、それと対になるべき(日本人の)常識的・日本的な対応能力。やまとごころ。
  4. 論理や倫理ではなく、情緒や人情によってものごとを把握し、共感する能力・感受性。もののあはれ
  5. 複数の女性を同時に愛してしかもすべてを幸福にしうる、艶福とそれを可能にしうる恋愛生活での調整能力。いろごのみ
  6. 以上の根底となるべき、優れた人物のそなえる霊的能力。
  7. 勇敢で、潔い気性
  8. 主君に対しての忠義な精神。

大和魂(やまと-だましい)は、外国や外国的な事物と比して日本流であると日本人が考える能力・知恵・情緒・品性・精神・もしくはそうした性質そのもの、などを指す用語・概念。 右記に示すとおり、各時代において様々な概念を有し変容しつつ使われてきた。

平安時代中期ごろから「才」「漢才」と対比的に使われはじめ、諸内容を包含するきわめてひろい概念であった。江戸時代中期以降の国学の流れのなかで、「漢意(からごころ)」と対比されることが多くなり、「日本古来から伝統的に伝わる固有の精神」という観念が付与されていった。明治時代以降、ナショナリズム民族主義の興隆とともに過剰な意味が付与されるようになり、第二次世界大戦期には軍国主義的な色彩を強く帯び、現状を打破し突撃精神を鼓舞する意味で使われることが主となった。そのため日本の敗戦後は、日本の文化・思想界の主潮流から追いやられている。

沿革

大和魂の語の初出は、『源氏物語』の『少女』帖とされている。大和魂の語・概念は、漢才という語・概念と対のものとして生まれたとされ、和魂漢才と言うこともあった。それは漢才、すなわち中国などから流入してきた知識・学問をそのまま日本へ移植するのではなく、あくまで基礎的教養として採り入れ、それを日本の実情に合わせて応用的に政治や生活の場面で発揮することである。『源氏物語』が生まれた平安中期は、国風文化という日本独特の文化が興った時代であるが、当時の人々の中には、中国から伝来した知識・文化が基盤となって、日本風に味付けしているのだ、という認識が存在していたと考えられている。そのうち、大和魂は、机上の知識を現実の様々な場面で応用する判断力・能力を表すようになり、主として「実務能力」の意味で用いられるとともに、「情緒を理解する心」という意味でも用いられていた。

江戸時代中期以降の国学の流れの中で上代文学の研究が進み大和魂の語は本居宣長が提唱した「漢意(からごころ)」と対比されるようになり、「もののあわれ」「はかりごとのないありのままの素直な心」「仏教や儒学から離れた日本古来から伝統的に伝わる固有の精神」のような概念が発見・付与されていった。 江戸後期になると国学者によって、大和魂の語は、日本の独自性を主張するための政治的な用語として使われ、そうした中で、遣唐使廃止を建言した菅原道真が、大和魂の語の創始者に仮託されるようになった。 このような傾向は、儒学の深化と水戸学・国学などの発展やそれによる尊皇論の興隆に伴うものであり、近代化への原動力ともなった。

明治時代に入り、西洋の知識・学問・文化が一気に流入するようになると、岡倉天心らによって、それらを日本流に摂取すべきという主張が現れ、大和魂とともに和魂洋才という語が用いられるようになった。この語は、和魂漢才のもじりであり、大和魂の本来的な意味を含んでいたが、一方では西洋の知識・文化を必要以上に摂取する事への抵抗感も併せもっていた。

その後、大正・昭和と下るに連れて、日本のナショナリズム民族主義が強まっていくと、大和魂の語には日本への強い意識が込めらるようになった。国家への犠牲的精神とともに他国への排外的な姿勢を含んだ語として用いられていき、「外来の知識を摂取して、柔軟に応用する」という和魂洋才の精神は薄れていった。戦後、大和魂の語は軍国主義に結びつくものとして忌避される傾向にあり、また、本来的な意味に着目されることも少なくなった。

和歌

  • 敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ 山桜花(本居宣長
  • かくすればかくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂(吉田松陰
  • 身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂(吉田松陰)
  • 剣道は 神の教への道なれば 大和心をみがくこの技(高野佐三郎)

関連項目

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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