| 日本の歴史 |
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平成(へいせい)は、日本の元号の一つ。昭和の後。西暦でいう1989年1月8日から2010年現在に至るまでの期間を指す。平成13年(2001年)には21世紀へ世紀の転換もあった。今年は平成22年(西暦2010年)である。
目次 |
皇太子明仁親王(今上天皇)の即位の為、元号法に基づき平成元年(1989年)1月8日に改元。元号法によって改元された最初の元号である。
「平成」は、改元時の内閣総理大臣・竹下登ら政府首脳も決定前から執心していたという(渡部恒三)[1]。また、閣僚などを通じ、「平成」や「修文」などの候補が外部に漏れ、幾ばくかの国民の間では予想する事も可能であった。しかし、佐野眞一は『文藝春秋』に載せた記事の中で、的場順三内閣内政審議官(当時)が「元号は縁起物であり改元前に物故した者の提案は直ちに廃案になる」[2]と発言している。宇野精一、目加田誠、山本達郎に新元号提案の委嘱があったといわれ、目加田が「修文」を宇野が「正化」を提案したことを認めている。山本だけが「ノーコメント」を貫いたため佐野は山本が「平成」の提案者ではないかと「断定してよさそうである」と書いている[3]。
政府は、昭和天皇の崩御を受け、その当日(昭和64年(1989年)1月7日)の午後、「元号に関する懇談会」(8人の有識者で構成)と衆参両院正副議長に「平成」「修文」「正化」3つの候補を示し、意見を聴いた。その際、委員の間から「修文(しゅうぶん)」、「正化(せいか)」の2候補はローマ字表記の頭文字が「昭和」と同じ「S」になるので不都合ではないかという意見が出て、全員一致で「平成」に決まったと伝えられる。このことから、「修文」、「正化」ははじめからダミーの案であったと考えられている。
同日14時10分から開かれた臨時閣議に於いて新元号を正式に決定し、14時36分、内閣官房長官の小渕恵三が記者会見で発表。
只今終了致しました閣議で元号を改める政令が決定され、第1回臨時閣議後に申しました通り、本日中に公布される予定であります。新しい元号は、平成であります。
と言いながら新年号を墨書した台紙を示す姿は、新時代の象徴とされた。
同日、「元号を改める政令」(昭和64年政令第1号)は新天皇の允裁(いんさい)を受けた後、官報号外によって公布され、翌1月8日から施行された。また、「元号の読み方に関する件」(昭和64年内閣告示第6号)が告示され、新元号の読み方が「へいせい」であることが明示された。
大正と昭和の際と異なり、平成改元の際に翌日から施行された背景として、当時は文書事務の煩雑化・ワードプロセッサをはじめとするOAに伴うプログラム等の変更を行うためと報道された。
「平成」の名前の由来は、『史記』五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)」、『書経』大禹謨の「地平天成(地平かに天成る)」からで「内外、天地とも平和が達成される」という意味。元号に「成」が付くのは初めてであるが、「大成」「成化」など外国の年号や13代成務天皇の諡号にも使用されており、「平成」は慣例に即した古典的な元号と言える。
江戸時代最末期、「慶応」と改元された際の別案に「平成」が有り、出典も同じ『史記』と『書経』からとされている。
但し典拠・故実に由来する反対意見に以下のようなものがある。
なお最終案である「平成」「修文」「正化」の他に、「文思」「天章」「光昭」などの案も存在したとされる。
平成元年(1989年)1月8日から平成3年(1991年)12月24日まで。
日本は、土地への投機熱でバブル景気が起こっていた時期である。冷戦終結の時期であり、平成元年(1989年)にはベルリンの壁が崩壊して冷戦が終わり、東ヨーロッパでは次々と革命が起こって共産党政権が倒された。平成2年(1990年)には湾岸戦争が勃発し、平成3年(1991年)12月25日には冷戦の盟主国の一角であるソ連が崩壊した。
平成3年(1991年)12月25日から平成13年(2001年)9月10日まで。
ソ連崩壊により、アメリカナイゼーションとグローバル資本主義が世界を席巻した時代で、完全にアメリカ一極体制の時代である。冷戦の政治構造が崩壊して、日本の政治・経済のアメリカナイゼーションが始まった時期であり、アメリカ型の政治・経済のシステムが「普通の国」と呼ばれ、親米政治家と親米資本家が大手を揮った時代である。日本社会は「日銭の世界」に巻き込まれ、「失われた10年」と呼ばれた時代である。
平成13年(2001年)9月11日から平成19年(2007年)9月28日まで。
イスラム過激派がアメリカ同時多発テロ事件を惹き起こし、自爆テロが吹き荒れた時代。アメリカ一極体制が揺らぎ始めるが、日本では政治・経済のアメリカナイゼーションが強まった時期であり、親米政治家と親米資本家は「聖域なき構造改革」と称してアメリカナイゼーションを一層強めた。「格差社会」が大々的に問題化したのもこの時期である。
平成20年(2008年)には、アメリカのサブプライムローンを引き金とする世界同時不況が勃発し、日本を含めて世界中が丸ごと不況に陥る時代になった。世界では、リーマンショックやドバイショック、GM破綻などが起き、日本では内定取り消しや派遣村などの問題が起きた。
平成に就任していた内閣総理大臣は、竹下登(74代)、宇野宗佑(75代)、海部俊樹(76、77代)、宮澤喜一(78代)、細川護熙(79代)、羽田孜(80代)、村山富市(81代)、橋本龍太郎(82、83代)、小渕恵三(84代)、森喜朗(85、86代)、小泉純一郎(87、88、89代)、安倍晋三(90代)、福田康夫(91代)、麻生太郎(92代)、鳩山由紀夫(93代)である。
昭和57年(1982年) - 昭和62年(1987年)の中曽根康弘内閣を最後に、平成に改元された当時の竹下登内閣以降、短命な内閣が続き、平成13年(2001年)までの12年間に首相が10人、平均の在任期間が1年強という混迷の時代が続いた。この中には日本政治史上記録的な2つの短命内閣も含まれている(宇野宗佑内閣(69日)、羽田孜内閣)(64日)。小泉純一郎内閣(平成13年(2001年)4月 - 平成18年(2006年)9月が平成初の長期政権で、小泉の首相在任期間は戦後3位(1980日)である。派閥領袖ではない人物が多く首相に就任している。平成21年(2009年)現在、12人の首相のうち、派閥領袖として首相に就任した人物は竹下登、宮沢喜一、小渕恵三、森喜朗、麻生太郎の5人のみである。東京大学出身者は、宮澤喜一(唯一の官僚出身者)と鳩山由紀夫(唯一の理系出身者)のみでそれ以外は私大出身者である。
又、首相就任時の年齢が低下傾向にあるといわれ、平成期では約半数が50歳代で首相に就任しており、海部俊樹、細川護熙、羽田孜、橋本龍太郎、小泉純一郎、安倍晋三が、50歳代で首相に就任している。ただし、宇野宗佑、麻生太郎は65歳以上での就任で、宮澤喜一、村山富市、福田康夫の3人は70代という高齢で総理就任しており、一概に総理就任年齢が低下したとは言いがたい。平成期の総理大臣は、宇野宗佑(実家が造り酒屋)、海部俊樹(実家が写真屋)、村山富市(父が漁師)、森喜朗(父が根上町長)以外世襲議員であり宮澤喜一(2世議員・父が宮澤裕衆議院議員)、細川護熙(3世議員・祖父が近衛文麿首相、旧華族熊本藩主家)、羽田孜(2世議員・父が羽田武嗣郎衆議院議員)、橋本龍太郎(2世議員・父が橋本龍伍衆議院議員)、小渕恵三(2世議員・父が小渕光平衆議院議員)、小泉純一郎(3世議員・父が小泉純也衆議院議員・祖父が小泉又次郎衆議院議員)、安倍晋三(3世議員・父が安倍晋太郎外相・祖父が岸信介首相と安倍寛衆議院議員)、福田康夫(2世議員・父が福田赳夫首相)、麻生太郎(5世議員・義父が鈴木善幸首相・祖父が吉田茂首相・高祖父が大久保利通)、鳩山由紀夫(4世議員・父が鳩山威一郎外相・祖父が鳩山一郎首相・曾祖父が鳩山和夫衆議院議員)などほとんどが世襲の政治家が総理大臣になっている。
平成期は日本新党・新党さきがけ・新生党・新党みらい・スポーツ平和党・真理党・自由連合・柿沢自由党・自由改革連合・新進党・新社会党・太陽党・フロムファイブ・国民の声・民政党・新党友愛・新党平和・民主党・自由党・保守党・保守新党・国民新党・新党日本・新党大地・改革クラブ・幸福実現党・みんなの党など新党結成・政党合併が相次いだ。
平成元年(1989年)、竹下内閣による消費税導入と、リクルート事件による自民党金権汚職への国民世論の反発・農産物の輸入自由化による農民の自民党離れの現象、宇野宗佑首相の女性スキャンダルによる女性有権者の反発などの理由から7月の第15回参議院議員通常選挙で自民党は過半数割れの大敗。社会党が一人勝ちをして参議院は与野党逆転した。土井たか子委員長の女性政策によってマドンナ旋風がおき女性議員が倍増。以後平成期は国会でも地方でも女性議員が増加している。社会党は平成2年(1990年)の第39回衆議院議員総選挙でも勝利したが、自民党も安定多数で勝利した事で政権獲得に失敗する。小沢一郎幹事長のもと自民党政権が竹下派経世会支配で安定する。自民党最大派閥竹下派は平成4年(1992年)に小渕派と羽田派・小沢派に分裂。小沢一郎は衆議院議員選挙制度の小選挙区への変更で派閥解消・二大政党制選挙・金がかからない選挙を目指す政治改革論議を提起した。宮澤内閣不信任決議に賛成して嘘つき解散に追い込んだ小沢一郎は自民党を離党して新生党を旗揚げ、別の政治改革グループが新党さきがけを旗揚げ、日本新党・新生党・新党さきがけが躍進して新党ブームがおきた。
平成5年(1993年)、日本社会党・新党さきがけ・新生党・民主改革連合・公明党・民社党・社会民主連合・日本新党が連立した細川内閣が成立。非自民連立政権の成立により、自民党は一時野党に転落して55年体制は崩壊するも、平成6年(1994年)には自民党は社会党との村山連立政権で早くも政権に復帰し、その後は公明党と連立で政権を維持した。政権与党は自民党単独、→非自民・非共産連立政権 (新生党・公明党・日本社会党・民社党・新党さきがけ・日本新党・社会民主連合・民主改革連合)、→(自由民主党・日本社会党・新党さきがけ) 自社さ連立政権、 →自由民主党・自由党・公明党連立、→自由民主党・公明党・保守党その後保守新党連立、 →(自由民主党・公明党)自公連立と移り変わり、自民党の単独政権から連立政権の時代となった。平成元年(1989年)~平成5年(1993年)の政治体制は、昭和30年から続く自民党対日本社会党の保守・革新による二大政党制・55年体制。平成5年(1993年)~平成6年(1994年)の政治体制は、多党制による連立政権対野党自民党。平成6年(1994年)~平成9年(1997年)の政治体制は、日本社会党が自民党との村山富市内閣の自社さ連立政権で政策を転換して、その後議席数が衰退して社会民主党に党名変更した。平成6年(1994年)に自民党対新進党の二大政党制が成立。日本社会党とさきがけ勢力が結集した第三極(ゆ党)と呼ばれた民主党成立後に新進党が解体する。
平成10年(1998年)からは自民党vs民主党の二大政党制が成立し、自民党は小泉内閣の郵政解散による選挙で大勝して絶対多数の議席を獲得したが、後継の安倍内閣は第21回参議院議員通常選挙で民主党に大敗し、参議院は与野党逆転をしてねじれ国会の構図が生じていた。平成21年(2009年)には、第45回衆議院議員総選挙で民主党が大勝して自由民主党が野党に転落して、民社国連立政権の鳩山由紀夫内閣が誕生して政権交代がおきた。
平成期は様々な政治改革・法制度改革が行われた。選挙制度改革(小選挙区比例代表並立制の導入)、政治改革(政治資金規正法、政党助成金制度)、行政改革(省庁再編、公務員改革)、司法制度改革として新司法試験制度、法科大学院の設置、裁判員制度の導入・少年法の改正が行われた。 有事法制の整備や自衛隊の海外派遣、国旗国歌法の法制化、教育基本法の改正など、第二次大戦前への「逆コース」の傾向が強い政策への抵抗感が弱まり、日本社会党・日本共産党など革新勢力は弱まった。
相次ぐ政界再編、政治家のスキャンダルもあり国民の政治不信を呼んだ。そのため、特定の支持政党を持たない「無党派層」が既存政党への支持者を大きく上回っている。政治不信対策・政党政治の復活のため平成15年2003年の第43回衆議院議員総選挙から公職選挙法が改正されて、民主党が先駆けてマニフェスト選挙を行った。
しかし、ソ連死滅以後のグローバル資本主義とアメリカナイゼーション、特に小泉内閣の聖域なき構造改革の結果、いわゆる格差社会の中、蟹工船ブームなどで共産主義・社会主義・反グローバリゼーションへの支持が拡大すると思われた。左翼は生き残りをかけて、宮沢喜一内閣時代での従軍慰安婦問題、小泉純一郎内閣時代での教科書問題、靖国神社の参拝問題、派遣村開設等の社会主義思想の日本共産党の支援運動、社会民主党の田嶋陽子をはじめとするフェミニズム政策、森永卓郎が唱えた格差社会論の社会主義思想で生き残ろうとした。しかし、平成21年(2009年)の都議選では、自民党に対する逆風にも拘らず、共産党や社民党は惨敗した。またマスコミから筑紫哲也・久米宏・鳥越俊太郎等が左翼報道を行った。小林よしのりのゴーマニズム宣言の戦争論や、黄文雄・渡部昇一の思想で韓国植民地支配や戦争の罪悪感が消えた保守思想が復活して、団塊ジュニアからゆとり世代のネット世代の若者からネット右翼が誕生した。このように、反グローバリゼーションの思想が支持を殆ど得られていないとする見方の一方で、グローバリゼーションの思想が支持を得られているかどうかを疑う見方もある。選挙や与野党攻防の劇場化・ワンフレーズ化からもわかるとおり、特定の支持政党を持たない無党派層が政権を左右する風潮が2000年代以降顕著になった。
左派が主勢力の民主党政権の誕生により、反米・親東アジアへ外交政策が転換されつつある。また新自由主義政策からの転換も図られ、脱官僚・政治主導が再び叫ばれ始めた。
バブル景気の崩壊により経済は停滞期に入った。更に、バブル時代以後には米軍占領時代にチョコレートなどをねだって(ギブ・ミー・チョコレート)[4]育った焼け跡世代が企業のトップに座り、企業や経済のシステムを根こそぎアメリカ型に変え、冷戦末期のアメリカを襲った整理解雇ブームを「リストラ」という名で日本に持ち込んだ。この結果、就職氷河期が12年以上に亘って続き、結婚したくてもできない青年や「フリーター」「ニート」と呼ばれるプレカリアートが急増し、中高年は整理解雇ブームに襲われ、経済的理由からの自殺が相次いだ。
平成9年(1997年)の橋本内閣で行われた消費税増税(5%)は、バブル崩壊の痛手から立ち直りかけていた日本経済に打撃を与え、企業の倒産・合併・再編が増加した。さらに、この頃から金融機関の含み損が再び表面化して、多額の不良債権を抱えた企業の経営破綻が相次いだ。この反省から小渕内閣では積極財政・景気対策路線がとられ、財政赤字が増大した。
平成13年(2001年)に首相に就任した小泉純一郎によって推進された「聖域なき構造改革」「新自由主義」以降、銀行の不良債権処理が進んで金融機関は健全化して、長く緩やかな景気回復(平成14年2月以降)が続き、複合不況からは脱した。この景気拡大は専ら外需主導であり、公共投資の縮小及び企業の人件費抑制に伴う労働分配率低下により、内需と個人消費は冷え切ったままである。新興国の経済発展に伴い、重厚長大産業を含む製造業の復権が起こった一方、新しい産業としてはIT産業・(主に高齢者世代を対象とする)介護サービス事業・人材派遣業が成長したが、これらはいずれも劣悪な労働条件が問題になっている。介護サービス事業と人材派遣業は経済効果がマイナスの産業で、介護産業(主に昭和戦前生まれ世代が対象)は心身ともに勤労能力がない老人に投資する福祉であるのが前提で死期が近い老人に投資しても経済的還元がなくて、人材派遣業(新自由主義的経営者が育成した産業)は製造業の崩壊や企業への忠誠心を低下させて、情報産業(六本木ヒルズ族の起業家が主導した産業)もマスコミ・流通手段の革命産業だが経済効果はそれほどなかった。
バブル期のインフレ経済からデフレ経済に移行して、100円ショップ・古書店のブックオフコーポレーション ・マクドナルド・吉野家・円高還元セールなどの商品の値下げ競争が注目され、ギャンブル関係では、数字選択式全国自治宝くじ・ロト6・スポーツ振興くじ・競馬のワイドが導入された。また、若者は車離れをするようになった。
2000年代後半に入ると、六本木ヒルズ族と呼ばれる富裕層が話題を振り撒く一方、「プレカリアート」と呼ばれる非正規雇用の増大(15歳~19歳は約7割が非正規雇用)や、フルタイムで働いても貧困から脱却できないワーキングプアの存在が表面化し、「格差社会」の到来が叫ばれるようになった。平成21年(2009年)の日本政府の発表では、平成18年(2006年)の時点で貧困率は15.7%であった。平成20年(2008年)に入ると、景気は再び後退し始め、資源価格上昇の中で景気後退が続くスタグフレーションの進行が憂慮された。2000年代は輸出産業である製造業が好調だったが、人手不足は外国人労働者を含む派遣社員を中心にプレカリアートでまかなわれた。そのため、海外市場の減速が製造業を直撃した平成20年(2008年)秋頃から、派遣労働者の解雇や雇い止めをする「派遣切り」が増加。職を失った派遣社員が大量に寮を追い出され、ホームレスと化して日比谷公園など全国各地に年越し派遣村が開設された。アメリカのサブプライムローンを引き金とする平成20年(2008年)末からの世界同時不況は、「100年に1度の不況」や「第二次世界恐慌」と呼ばれており、製造業以外の業種にも深刻な打撃を与えている。世界同時不況では、主にプレカリアートが解雇や雇い止めに襲われ、平成21年(2009年)3月までに19万人が失職した。
偏差値重視の現行教育制度の改革が進められており、臨時教育審議会の提言で文部科学省は今まで行われてきていたゆとり教育をさらに進展させ、授業時間数の削減、教育内容の減少を推進して総合学習の時間を設けた。教育改革として、総合制高校・単位制高校・国際高校・中高一貫高校を新設して、地理歴史科・生活科・学校設定教科の新設・世界史の必修化・家庭科の男子必修化・社会奉仕体験活動・飛び入学・週休2日制を導入した。学力低下が問題視された事から、再び授業数を増やす方針に転換されて、その一環として全国学力・学習状況調査テストを平成19年度から実施した。しかし、平成21年度までは、全員参加方式であったが、平成22年度は抽出調査方式になる。
教員の相次ぐ性犯罪や、偏った思想に基づいた教育や言動などが問題となり、資質向上のための教育改革として、教職大学院の創設と検討されたのは教員免許更新制である。これに伴って日本の教育問題として、経済格差、地域格差を背景とした能力格差の拡大が表面化している。この原因は公教育機能が低下しているためと言われ、公教育への不信感が増大している。それを補うため、東京都を中心に公立学校選択制の導入や公立学校以外の学習塾や私立学校へ進学希望者が増加している。
東京大学の学閥が没落した。財界大企業の社長数1位が慶應義塾大学に抜かれて・財界トップの大学から転落して、政界でも宮澤喜一首相以降、東京大学出身の総理大臣は鳩山由紀夫首相まで長らく誕生せず、東大卒官僚の不祥事への批判も集まった。
夜間・通信制の高校・大学・大学院で社会人・高齢者を対象に生涯学習社会になり、情報化社会・知識社会の到来で子ども・青年期以外の全ての世代が教育対象になる。
いじめによる自殺が平成6年(1994年)と平成18年(2006年)に繰り返し報じられ、問題となる。不登校問題やフリースクールの試みが行われた。就職難と雇用不安定化に遭遇して「氷河期世代」と呼ばれる1970年~1984年生まれの青年たちは、学校を卒業しても社会に参加しないニート、引きこもりに陥る者が多く現れ、メディアで盛んに報道され、問題視されるようになった。これは経済的には1993年以来の不景気を背景にしているが、学校と実社会の間にギャップがあるという日本独特の問題が潜んでいるとされる。余りに学校社会に慣れた子供は、卒業しても社会に適応することが困難になると言われる。現在の引きこもりは1970年代生まれ(氷河期世代の初期と中期)の人々が最も多く(後の世代では引きこもりは減少傾向)、引きこもりの長期化・高齢化が深刻になっている。また、ニートに定義されない中年の無業者も問題になっている[5]。
少子化の進展で平成17年(2005年)には大学全入時代を迎えて、ブランド大学以外の地方大学、私立大学は定員割れで経営危機に立たされている。親の収入・学歴の高低が子供の学歴の高低に直結する「格差の遺伝」とも言われる現象が広く知られるようになった。一方で、逆に高い学歴を持ちながら生活に苦しむ学歴難民と呼ばれる層も氷河期世代から発生している。女子の高学歴化や、厳しい経済状況を背景にした難関志向もあり、難関大学の難易度は、易化したものの依然高い水準にある。
1990年代後半に、ポスト団塊ジュニア(末期氷河期世代)の高校生時代から、学校に携帯電話が普及した。ゆとり世代に至っては、小中学生まで携帯電話を使うようになった[6]。彼らは携帯電話を使ってネットによる情報発信能力を身につけたにもかかわらず、情報リテラシーやマナー教育が追いつかなかったため、ネットいじめが社会問題になった。又、末期氷河期世代は「キレる17歳」「コギャル世代」とも呼ばれ、主に「サカキバラ世代」(昭和57年度生まれ)の若者による酒鬼薔薇事件、西鉄バスジャック事件、秋葉原通り魔事件などの犯罪や、援助交際や、新成人の成人式の騒ぎが問題となった(俗流若者論も参照)。
平成期の教育思想には、(1)和田秀樹の学歴社会・受験競争・偏差値教育を第一とする思想と、(2)寺脇研の填め込みを排除したゆとり教育という思想、などがある。和田秀樹に対する批判としては、一流大学・高学歴者しか認めないので低学歴者の人間性否定と、学歴のインフレ化として高学歴化→教育費の増大→少子化→学力低下の負のスパイラルを招くというものがある。寺脇研に対する批判としては、日本人の科学技術・経済発展の知識を低下させて、格差社会のなかで世襲・高学歴・高収入の家庭以外の子供を勉強させず負け組にする格差固定政策であるから反対であるという内容である。学歴社会を前提とする日本で和田秀樹の学力重視主義と寺脇研のゆとり教育論争が行われたが、少子化と高学歴化、大学数の急増を要因として団塊ジュニアをピークに学力が低下したのは事実である。 小渕内閣の教育改革国民会議・安倍内閣の教育再生会議が設置されて、学校教育法・地方教育行政の組織及び運営に関する法律・社会教育法の教育改革3法案が成立した。新保守主義による国旗国歌法・教育基本法の改正などの愛国心を謳った教育が主張された。
「冷戦#冷戦終結後の経過」も参照
昭和天皇の崩御の年[7]である平成元年(1989年)にベルリンの壁の崩壊が起こり、同年12月に米ソが会談して冷戦が終結した。そのため、世界史的に平成は「ポスト冷戦時代」とも言える。
平成3年(1991年)にソビエト社会主義共和国連邦は、領土を構成していた共和国の全てが独立し、死滅した。こうして、それまでクレムリンやホワイトハウスに抑圧されて来た国々では、民族・宗教紛争が勃発した。ソビエト連邦の死滅後は、アメリカ合衆国が唯一の超大国となって絶対的な力を揮うアメリカ一極体制となり、旧東側諸国が西側経済に統合され、特に平成4年(1992年)から平成12年(2000年)までの間、世界は「アメリカナイゼーション」「グローバリゼーション」と呼ばれるグローバル資本主義に巻き込まれた。
一方で、欧州連合(EU)、中国、ロシア、ラテンアメリカなどが、アメリカ一極体制を牽制する動きを見せている。この動きは、平成13年(2001年)のアメリカ同時多発テロ事件以後に顕著となった。
国連創設60周年に当たる平成17年(2005年)には、敵国条項の削除と国連安全保障理事会の常任理事国入りを目指し、グループ4(日本、ドイツ、インド、ブラジル)を結成したが、中国、韓国、さらにはアメリカなどの反対にあって挫折した。
日本は、冷戦時代と同じく日米関係を外交の基軸として、湾岸戦争やイラク戦争に協力した。冷戦後、政治・経済・社会のシステムが根こそぎアメリカ型に変わった。詳しくは経済史を参照
沖縄米兵少女暴行事件(1995年)より普天間基地代替施設移設問題が起き、2009年以降、辺野古に移す案が問題となっている。
海外ではアジア諸国、中国・インド・タイ・マレーシアなどに急速な経済発展が見られ、それに伴って日本との経済関係も、これまで以上に緊密になった。
これらのうち、北京オリンピックを行い、上海万博を控え、「四つの近代化」を進めてきた中国は急速に経済的存在感を強め、日中関係は「政冷経熱」と呼ばれるように緊密化した(日本の最大の貿易相手国は中国である)。それとともに、ガス田開発、領土問題などで日本との摩擦が表面化している。また、中国は安全保障上の脅威が無いにも関わらず、平成元年(1989年)から年々軍備増強を強力に推し進めており、日本にとって脅威になっていると言われている(中国脅威論)。
大韓民国やインドネシアやタイは、平成9年(1997年)にアジア通貨危機に襲われ、IMFがこれらのアジアの国々に介入して新自由主義を強制した為、不安定雇用労働者(プレカリアート)が急増した。その最中で、韓国では盧武鉉が政権を掌握した。折からの2002 FIFAワールドカップ共催、マスコミ主導の韓流ブームと相まって、文化面では友好ムードが表面的には高まった。しかし、政治面では竹島の領有権問題の表面化や、小泉純一郎首相の靖国神社参拝により、日韓関係は冷えた。しかし、平成20年(2008年)に保守の李明博政権が発足すると、関係改善の動きが見られる。
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との間で日本人拉致問題、核開発問題が深刻化している。日本政府は拉致問題を解決するために、経済制裁を可能とする法整備を進め、ミサイル発射訓練を機に制裁を発令した。
この他の東南アジア諸国でも自国の経済発展や華僑の人口増加、中国の経済発展に伴って、日本を先頭とした雁行型経済に代表されてきた伝統的な対日依存を見直し、新たな経済大国として浮上した中国や、EUなど他地域との関係を強化する事で、経済の多極化を図る動きがある。
なお、東南アジアにおいては東南アジア諸国連合(ASEAN)が結成され、東南アジア諸国は共同体形成を模索している。
そのため、東アジア共同体(AU)、およびアジア共同体構想が浮上している。これはEUのアジア版であり、ASEANや日中韓などの各国が共同して立ち上げた大戦略だが、ASEANや日中韓といった地域には人種、宗教、言語、文化、経済力といった地域統合を促す要素に共通性が希薄で、また共同体の主導権を巡って日中が激しく争う向きがあるものの、アジア諸国が日中の二者択一を望んでいないといった理由などで、構想自体が空中瓦解するだろうという見方も少なくない。
| 平成 | 元年 | 2年 | 3年 | 4年 | 5年 | 6年 | 7年 | 8年 | 9年 | 10年 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 西暦 | 1980年代 | 1990年代 | ||||||||
| 1989年 | 1990年 | 1991年 | 1992年 | 1993年 | 1994年 | 1995年 | 1996年 | 1997年 | 1998年 | |
| 干支 | 己巳 | 庚午 | 辛未 | 壬申 | 癸酉 | 甲戌 | 乙亥 | 丙子 | 丁丑 | 戊寅 |
| 平成 | 11年 | 12年 | 13年 | 14年 | 15年 | 16年 | 17年 | 18年 | 19年 | 20年 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 西暦 | 1990年代 | 2000年代 | ||||||||
| 1999年 | 2000年 | 2001年 | 2002年 | 2003年 | 2004年 | 2005年 | 2006年 | 2007年 | 2008年 | |
| 干支 | 己卯 | 庚辰 | 辛巳 | 壬午 | 癸未 | 甲申 | 乙酉 | 丙戌 | 丁亥 | 戊子 |
| 平成 | 21年 | 22年 | (23年) | (24年) | (25年) | (26年) | (27年) | (28年) | (29年) | (30年) |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 西暦 | 2000年代 | 2010年代 | ||||||||
| 2009年 | 2010年 | 2011年 | 2012年 | 2013年 | 2014年 | 2015年 | 2016年 | 2017年 | 2018年 | |
| 干支 | 己丑 | 庚寅 | 辛卯 | 壬辰 | 癸巳 | 甲午 | 乙未 | 丙申 | 丁酉 | 戊戌 |
なお、岐阜県関市(改元当時は武儀町)の地名のみは改元以前の1988年以前も存在していた小字名である。
平成に改元した直後の平成元年1989年1月には、平 成(たいら しげる)という名前の個人を見つけ出してインタビューする番組も見られた。
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![]() 02:07 | Changed at the Heisei era 平成改元の瞬間Ⅰ |
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![]() 00:57 | 平成のパピプペポ |
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![]() 08:20 | 平成ノブシコブシ Berryz工房コント |
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![]() 08:12 | 世界記録に挑んだ平成の「侍」 渾身の8太刀! |
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![]() 06:24 | 平成ライダー必殺技集 |
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