愛(あい)とは、崇高なものから、恋愛、そして欲望に至るまで様々な意味で用いられる概念である。
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「愛」の意味は、時代とともに多様化してきている。
最初に辞書における語義の説明に軽く触れ、次に、伝統的な用法、各宗教における説明で人々の間に定着している意味を解説し、その後、現代の多様な用法まで、歴史に沿って解説する。
広辞苑では、次のような用法をあげている。
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日本の古語においては、「かなし」という音に「愛」の文字を当て、「愛(かな)し」とも書き、相手をいとおしい、かわいい[15]、と思う気持ち、守りたい思いを抱くさま[16]、を意味した。[17]
近代に入り、西洋での語義、すなわち英語の「Love」やフランス語の「amour」などの語義が導入された。その際に、「1. キリスト教の愛の概念、2.ギリシア的な愛の概念、3. ロマン主義小説の恋愛至上主義での愛の概念」などの異なる概念が同時に流れ込み、現在の多用な用法が作られてきた。
キリスト教において最大のテーマとなっている愛と言えば、まずなによりもアガペーである。 そのアガペーとはいかなるものなのか、その特質を説明するにあたって、キリスト教関連の書物や西欧文化圏の書物では、あえて4種類の感情(すでに古代ギリシア時代から考えられていた4種類の"愛"、いずれもギリシア語表現)について説明していることが多い。それらは以下のとおり。
キリスト教の愛は、隣人愛によって成立する人類という大きな家族像を示唆している。その隣人愛は、キリストが十字架にかけられ、全人類の(過去と現在と未来永劫の)罪を贖ったことにより実現される愛である。これは、全人類を創り、育て、救う、神の愛を示唆する。人類は神の創造物、神の姿を模った特別な「神の子供達」として、平等であるという点から、自然や組織による差別を超越して、同胞的愛を地上に実現しようとしている、とされる。
キリスト教の神は、聖書の「放蕩息子」の愚かな息子の帰りを純粋に信じ待ち続けた父親のように限りなく寛大な親であり、聖母は全ての人の母として尊敬されるべき慈愛あふれる庇護者であり、全ての人は善きサマリア人のように互いに支え合い、譲り合い許し合い和解すべきとされる。
イエスは言った「されど我ら汝らに告ぐ、汝らの敵を愛し、汝らを迫害する人のために祈れ」(マタイ 5:44)と。ここに自分を中傷し敵対する相手であれ、神の子供として、また、罪を贖われた者として、隣人と見なし赦し合うべきであるという、人類愛の宣言がある。
パウロは対神徳として信仰、希望、愛を掲げたが、「そのうち最も大いなるは愛なり」(1コリント 13:13)と言い、「山を移すほどの大いなる信仰ありとも、愛なくば数うるに足らず」(同13:2)、「愛を追い求めよ」(同14:1)としるし、すべての徳とキリスト教における愛の優位性を確立した。また彼は、神の永続的な無償の愛を恩寵charis(ロマ 1:5、ほか)と呼び、これはのちにgratiaとラテン語訳されて、キリスト教神学の原理的概念として重んぜられたのである。
西欧の伝統、キリスト教の信仰においては、愛は非常に大きなテーマである。キリスト教においては、「神は愛である」としばしば表現される。[18]また、「無条件の愛」もたびたび言及されている。[19]
仏教での「愛」には、サンスクリット語でtRSNaa तृष्णा、kaama काम、preman प्रेमन्、sneha स्नेह の4種が挙げられる。
仏教では、中心的なテーマは愛ではなく、それは「瞑想の道」とも呼ばれ、愛の道と対比され、探求には愛の実践は含まれないか中心的な重要さはもっていない。しかし、道に到達した時には愛が起きる。例えば、禅の探求には愛は含まれない。しかし、悟りを開いた人々は愛に満ちていることは知られている通りである。
愛が更に進化した場合を、慈悲と呼んで区別する場合もある。この場合は愛が状態であり、対象や相手を持たないが、更に愛があふれ出ている。近くに来る人は慈悲を受け取り、愛をいっぱいに受け取ることができるとも言われる。
観音菩薩や聖母マリアは、このような状態の象徴であり、そのような状態を感じることができるように表現されている。
仁は、人がふたり居るときの完成した愛であるが、孔子は、その実現困難性について「仁人は身を殺して以て仁を成すことあり」といい、愛に生きるならば生命を捧げる覚悟が必要だとした。仁は対人関係において自由な決断により成立する徳である。孔子は仁の根源を血縁愛であるとした(「孝弟なるものはそれ仁の本をなすか」)。そしてこの自己犠牲としての愛と、血縁愛としての自己保存欲との間に、恭(道に対するうやうやしさ)、寛(他者に対する許しとしての寛大)、信(他者に誠実で偽りを言わぬ信)、敏(仕事に対する愛)、恵(哀れな人に対するほどこし)などが錯綜し、仁が形成されるとした。
一方で孔子は「吾れ未だ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり」と述べた。[20]
家族愛を表す用語としてコンプレックス(抑圧された複合意識)という用語が使われることがある。ただ、こういった用語はその前提となる考えがそれぞれ違うため、単純にイコールにはできない。例えば、エディプスコンプレックスは父親に対する対抗心として母親への愛があり、マザーコンプレックスは単純な母親への感情を意味する。そのため、細かく見ればそれぞれ意味は異なる。
前述のように子供から母親に対する度を過ぎた愛はマザーコンプレックスあるいはエディプスコンプレックスと呼ばれる。また、ジークムント・フロイトは女の子が初め母親に愛情を向けることを指摘し、またカール・グスタフ・ユングは純粋な母親への愛は女性に良く見られると指摘した。一方、母親から子への愛を表す用語は阿闍世コンプレックスと言われる。この用語は母親の無限の愛を前提にする。息子の場合はアグリッピーナコンプレックスと呼ばれることもある。この用語の場合母親の歪んだ息子に対する愛を前提にする。
一方、子供から父親への度を過ぎた愛情はファザーコンプレックスという。女性の場合エレクトラコンプレックスという。この場合は母親への愛の次の段階としての女性の父親に対する愛を意味する。男性の場合オレステスコンプレックスというが、これは母親への愛との重なり合いで苦しめられているという意味合いを含む。父親の息子への度を過ぎた愛はアブラハムコンプレックスという。この場合は息子離れが出来ず、親離れをしようとする息子を憎む意味合いを含む。父親の娘への愛は白雪姫コンプレックスと言われる。これは、母親の嫉妬が背後にある。
兄弟愛、姉妹愛という言葉があるが、これもまた度が過ぎた場合、「シスコン(シスターコンプレックスの略)」「ブラコン(ブラザーコンプレックスの略)」と呼ばれる。親の愛をめぐる心理葛藤として「カインコンプレックス」と呼ばれる場合もある。
愛は恋や好意に比べ、深く、強く、崇高であると考えるものが多い。[21]他の感情に作用しやすく、愛がある故に喜び怒り悲しみ憎しみ嫉妬などの感情が生まれる場合もある。[22][23][24] [25][26]
愛は創作活動の源にもなる。大好きなもののためになら大きな力を発揮できたりする。それに加えて今までの歴史の中で数え切れないほどの愛を題材にした作品が生まれている。 [27] [28] [29]
愛は必ずしもすべて相手にとって好ましい感情とは限らない。それが元で嫉妬など、負の感情が起きることがある。母性愛は往々にして子供をがんじがらめに縛り付けるように働く。
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人間が抱く「愛」の感情は、必ずしも対象を限定しておらず、その範囲は広大である。「~を愛する」という動詞の表現はかなり広く用いられている。 [39] [40] 引用エラー 無効な <ref> タグ: 名前 (name 属性)がない場合には引用句の内容が必要です
社会的な人間にとって根源的な愛の形態の一つ。自分自身を支える基本的な力となる。 ( 英語でself-love とも。 narcissism の訳語として用いられることもある。)
生まれてきたばかりの赤ん坊は、保護者と接しながら自己と他者の認識を形成する。その過程で(成人するまでに)自身が無条件に受け入れられていると実感することが、自己愛の形成に大きく関与している。「自分が望まれている」事を前提に生活できることは、自身を大切にし自己実現に向かって前進する土台となり得る。また、自己に対する信頼が安定すること、自分という身近な存在を愛せることは、その経験から他者を尊重することにも繋がる。
心理学者らからは、自己愛が育って初めて他人を本当に愛することができるようになる、としばしば指摘されている。自分を愛するように、人を愛することができるという訳である。自分を愛せない間は、人を愛するのは難しいと言われる。
しかし子供によっては、虐待されたり、自身の尊厳を侵されたりするような環境に置かれることがある。この場合、その子供は努力次第で逆境に打ち勝ち、人格者に成長する可能性もあるし、自己愛が希薄な自虐的な性格になるなど可能性もある。もし後者で自己愛を取り戻すには、自身が無条件で受け入れられていると強烈に実感する体験がかぎの一つとなる。
自己愛という語は「他人の視点を理解しない一方で自己を肯定する感情」を批判する意味合いで用いられることもある。その意味で自己愛が過剰な人は、自己の欲求(金銭や社会的地位など)を優先して、時に他者に害を為すこともある。「自分が好き=自分勝手」という意味の用法である。
周囲から見て精神的に未熟な者が、恋愛の最中に「恋している自分に恋している」と評されることがある。これは、対象を愛して(気分が舞い上がりなどして)いる自己に酔っている、また、パートナーがいるという優越感に浸っている状態を揶揄するものである。しかし、本人の認識も、他者も、恋愛の対象も、全面的に真に相互的な恋愛感情を抱いていると誤認しやすい。
自己愛にはいくらかの傾向が見出されるが、いずれも全く個別的なものではなく重なり合っていると言えるだろう。
親子間、特に親が子に対して抱くものも愛であり、性別に応じて「母性愛」、「父性愛」などと呼ばれる。子供は特にその初期には守られなくては生存できない存在であり、親の愛はこれを守り育てる活動の原動力となるものである。ただし、母性愛と父性愛にはやや異なった傾向があるとも言われる。(これらについては、母性・父性の項を参照されたい。)
親子、兄弟姉妹、祖父母と孫など肉親同士で発生する場合が多い。血が繋がらなくても養子など家族の形をとれば家族愛は生まれることがある。動物を家族の一員としてとらえる人もいる。
家族愛の普遍的な例として、お互いを溺愛しすぎず、両親の尊敬と思い入れが子供にある(親孝行)あるいは親が子供を愛玩的に愛するのではなく、子の人生を社会的にも精神的にも温かく見守るように育てること、兄または姉に対して弟あるいは妹が嫉妬、あるいはライバル心を抱きながらも仲間や同志的な感情と似た感情を抱いたり、兄や姉が妹、弟を精神的にも社会的にも微笑ましく見守るような場合等を「家族愛」と表現する場合が多い。
自分と直接かかわりのある人間だと好意が生まれやすい。異性であれば愛が生まれ恋人になる可能性がある。多くの恩を受けた師であれば師弟愛のようなものが生まれる。隣人愛という言葉もあるがせいぜい好意的に思っている程度だろう。親友の場合は友愛である。距離が離れていても連絡が取れるなら可能性はある。
自分が長く親しんできたものには愛着が生まれる。自身が所属する分野や組織(人類・国家・地域・宗教・家系・組織・企業・技能分野など)に対してがある。日本では、郷土や祖国、出身校などに対する愛がありうることも比較的広く受け入れられており、それぞれ「郷土愛」「祖国愛」「愛校精神」などと呼ばれている。
所有物などは何でもないようなものでも愛着が生まれやすい。しかし人や生き物を所有物として考えるということがある。親であれば子を自分のものとして扱い思い通りにならなければ怒り出すということがある。生き物を自分のものと考えるのは良くないだろう。愛するものを支配下に置きたいと思うこと、支配下にあるから愛することは良くないことだ。
直接触れ合うことはほとんどない俳優や歌手を愛しているものもいる。本人は尊敬や評価ないし愛着している。作品に登場する人物や生き物を好きなのも触れ合えないという点で似ている。
性的な愛、あるいは愛と性をまとめて扱う場合に「性愛」という言葉が使われる例もある。なお、「愛」という言葉は、文脈・状況によっては性交そのものを指す例もある(「いっぱい愛して」など)。
男女間・(同性愛者における)同性間の愛は、日本語においては恋という特別な言葉でも表現できる。愛とほぼ同じ意味で使われることも多い。しかし、恋は必ずしも人間に対してのみ持つ感情ではない。植物、土地、歴史等を恋しく思う場合にも用いられる。
恋と愛の両方を英語ではLoveと表現する。英語におけるLoveと日本語における恋と愛はイコールではない。これは両言語を用いる各種族の歴史観、宗教観、思想の相違による。日本語において「ラブ」「Love」は若者の言語や芸術では恋、愛両方を表す言葉として頻繁に用いられている。
男女間、あるいは同性間の恋については、様々な要因が引き金となって始まると思われる。要因の1つに、10代における身体の性的な成熟がある。この感情が芽生えるまでの少年少女の時期、彼ら彼女らにとって社会や人間関係は未知の世界であると言われている。この感情が芽生えると、寝ても覚めても相手のことで頭がいっぱいになったり、相手との人間関係を普通とは違う特別なものだと感じるようになったりする。人間以外の動物間にもこの感情が芽生えるかどうかについては不明。恋が起こるのには人によってそれぞれの「きっかけ」があり、そのきっかけは人の人生においてとても大事なものになる場合がある。恋愛は結果に関わらず人間性を成長させる要素となる。
日本では主に女性の名で「愛」という字が使われる。有名人の例では、シンガーソングライターの大塚愛、女優の前田愛、飯島愛などがいる。「愛」という名前はそのまま「あい」と読む場合も多々あるが、「愛子(あいこ)」「愛美(まなみ)」など別の字とも組み合わされる。また、「愛(まなみ、めぐみ)」と読む場合もある。具体的には皇族の敬宮愛子内親王などの例がある。名づける動機として、「愛」が表す慈しむ心やかわいらしさを持つ子になってほしいという親の願いが挙げられるだろう。
また、歴史上の人物では徳川家康の最も好んだ側室とも言われる西郷局の名も「愛」(お愛、愛の方)である。第2代征夷大将軍徳川秀忠や尾張国清洲藩主松平(東条)忠吉の生母である。
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