| 明石家さんま | |
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| 本名 | 杉本 高文(すぎもと たかふみ) |
| ニックネーム | さんちゃん、お笑い怪獣 |
| 生年月日 | 1955年7月1日(54歳) |
| 出身地 | 日本・奈良県奈良市 (和歌山県東牟婁郡古座町出生) |
| 血液型 | B型(BO型) |
| 身長 | 172.5cm |
| 方言 | 奈良弁 |
| 最終学歴 | 奈良県立奈良商業高等学校 |
| 師匠 | 2代目笑福亭松之助 |
| 事務所 | 吉本興業東京本社 |
| 活動時期 | 1974年 - 現在 |
| 同期 | 関根勤 島田紳助 |
| 現在の代表番組 | さんまのまんま 踊る!さんま御殿!! 恋のから騒ぎ さんまのSUPERからくりTV 痛快!明石家電視台 |
| 過去の代表番組 | 明石家さんちゃんねる あっぱれさんま大先生 オレたちひょうきん族 |
| 配偶者 | 未婚(離婚歴あり) 大竹しのぶ(前妻) |
| 親族 | IMALU(実娘) 大竹しのぶの長男(二千翔)は血縁関係が無いので現在の関係は不明 |
| 弟子 | 不明 |
| 受賞歴 | |
| ・1982年 花王名人大賞 新人賞 ・1982年 日本放送演芸大賞 ホープ賞 ・1983年 日本放送演芸大賞 奨励賞 ・1985年 日本放送演芸大賞 優秀賞 ・1985年 花王名人大賞 大衆賞 ・1986年 ゴールデン・アロー賞 芸能賞 ・1986年 日本放送演芸大賞 特別賞 ・1987年 日本放送演芸大賞 大賞 |
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明石家 さんま(あかしや さんま、本名:杉本 高文(すぎもと たかふみ)、1955年(昭和30年)7月1日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、俳優、歌手、ラジオパーソナリティー。
1980年代後半以降、タモリ、ビートたけしと共に、日本のお笑い芸人BIG3の1人として称される。
和歌山県東牟婁郡古座町(現在の串本町)生まれ、奈良県奈良市育ち。 奈良県立奈良商業高等学校卒業。
目次 |
デビュー当初は菅原文太のものまねや、当時人気だったプロ野球・阪神タイガース投手の小林繁の形態模写や漫談が主であった。ピンで演じることもあったが、兄弟子の明石家小禄(後に五所の家小禄と改名)とのコンビで、コントスタイルで演じることもあった。
ただし、最初は巨人の小林繁として形態模写をしており、江川卓とのトレードで阪神に移籍した際に、この芸を封印したが、トレード直後の阪神タイガースで小林繁の活躍に伴い、関西地区で小林繁の形態模写を熱望されるようになり、本人は渋々再開した所、小林繁と相乗効果で人気を集めるようになった。
現在では司会業が中心で、中には二十年以上続く番組がある。
聞き手に回りながらも、相手の何気ない一言を即席の持ちネタにし、話の節目やオチで効果的に連呼し使用する特徴がある。トークのテンポに関してはこだわりを持っており、テンポを崩されるとすかさずツッコミやボケを入れる。例えば、番組中で質問した際に相手が考え込んでしまうと、大抵は「早く言え」等とツッコんだり自らボケを挟んで笑いを取りにかかる。本人としては、たとえ嘘や適当な答えでも話が広がりさえすればそれでいいので、とにかくパッと早く答えて欲しいと思っている。
また、定番ギャグを持つ若手芸人に対しては「フリからギャグ」という流れを重要視して接する。そのため、自らのフリに反応が無いと途端に不機嫌になる。
かつて『笑っていいとも!』で共演した松本人志(ダウンタウン)にもその場で出たギャグをやらせようと振ったが気付かれなかったため、かなり拍子抜けした様子であった。
師匠の松之助と同様、芸と仕事には厳しく、気の合わない相手に対しては放送中でも執拗に攻撃する(いじり倒す)場面も見られる。※仕事の項目も参照
関西弁を使用するきっかけは若手の頃に友人である佐藤浩市とバーで飲んでいるところに佐藤の友人が来店。その時佐藤はさんまに合わせて関西弁を使用していたがその友人が「なに芋臭い方言でしゃべってんの?」と言い放ち、それを目の前で言われたさんまは「絶対に関西弁で勝負してやる!」と心に誓ったエピソードがある。
松之助に弟子入りした当初の芸名は「笑福亭さんま」であった。「さんま」という芸名は、さんまの実家が水産加工業を営んでいたことから命名。その後、「明石家さんま」に改名。「明石家」は師匠・笑福亭松之助の本名「明石徳三」から貰い受けたもので、当時は松之助門下の多くが「明石家」を名乗っていた(「明石屋さんま」は誤字。)。亭号を「明石家」に改めた理由としては、落語を演じない者に一門の「笑福亭」を与えることは許されないとした、一門の方針によるというのが通説になっている。しかし師である松之助自身一時落語を離れ、喜劇役者に専念していた時期があったことや、吉本に所属していた月亭可朝、笑福亭仁鶴、桂三枝らのタレントとしての活躍、兄弟子の明石家つる松(後の橘家圓三)は古典落語しか演じなかったことを考えると、落語をしないことが「明石家」を名乗る直接の理由ではないと考えられる。松之助の兄弟子にあたる6代目笑福亭松鶴は、直弟子の鶴瓶にはほとんど落語の稽古をつけていないし、当時鶴瓶も落語をほとんど演じなかった。対して松之助はさんまには落語を少ないながらも教えている。 さんまの落語家よりタレント志向であったことも理由であろうが、「明石家」という語呂の良さや、本家筋にあたる直系松鶴一門との差別化が大きな要因と考えられる。 (さんまの兄弟子にあたる小禄(廃業)は松之助から「こいつさんまやからお前ひらめにせぇ」と言われたが、土下座して断った) さんまもデビュー間もない頃は岩田寄席など地域寄席で古典落語を演じ、毎日放送の大喜利番組では着物を着て落語家として出演していた。
松之助は、家業から名前を付けることが多く、さんまの兄弟弟子には、自転車屋から明石家サドル、美容室から明石家パーマなどが命名されている。命名時のエピソードとして、同期の島田紳助が師匠の島田洋之介・今喜多代(現・今日喜多代)に芸名を決められた時、さんまは「その名前やったら絶対売れへん」とからかい、紳助は落ち込んだが、そのすぐあとに「さんま」という芸名をもらった話を聞いて「こいつ(芸能人として)終わったな」と逆に大笑いされたというものがある。
愛称は「さんちゃん」(所ジョージなどが使用し、かつては桂三枝の愛称でもあった)、「チャッピー」(ヤングおー!おー!内で桂三枝と共に「サニー&チャッピー」で出演)、「さんちゃま」また、中堅 - 若手芸人からは「さんまさん」「お笑い怪獣」(ナインティナインなど)「さんま兄さん」(今田耕司など)と呼ばれている。また、所ジョージは「明石家さん」と呼ぶこともある。萩本欽一の「大将」、ビートたけしの「殿」に相当するもので「若」という呼称もある(主にジミー大西などが使用)。近年はBIG3であることや長年に渡ってお笑い界で活躍したことから、若手のお笑い芸人から「師匠」と呼ばれることが増えており、タモリや桑田佳祐や松尾伴内は(明石家さんま)師匠と呼ぶ事もある。ただし、正式な弟子はとらず、さんまが26歳の頃に吹田市千里丘のMBSで生放送していた「ヤングタウン」の放送中に当時18歳の少年が、弟子入り志願で入口付近に来ていると警備員から報告が入り、「今、弟子入り志願の少年が来ているらしい」と生放送で話をしていた。それが弟子入り志願者第1号である。その後数回その少年と会う事になるが、弟子になりたい人間と弟子を取らない人間との話のすれ違いもあり、連絡も途絶えたらしい。その後も数十名の弟子入り志願者が来たらしいが、全て断っている。村上ショージはさんまが暴走した時などに「先生(センセ!)」と呼び、なだめる場合がある。島田紳助は、突っ込みなどでは「杉本」と敢えて本名を呼ぶことがある。
同じくBIG3であるタモリ、ビートたけしからは「さんま」「さんちゃん」「さんまちゃん」「明石家さんま師匠」「出っ歯」「お前」「あんた」と呼ばれる。たけしは「明石家」と呼ぶこともある。またタモリは第三者とさんまのことについて話す際は、「あの男」と表現する。さんまは年上のタモリとたけしを基本的にはさん付けで呼ぶが、突っ込む時には、たけしを「ビート」、「たけ」、「たけし」、「おっさん」と呼び捨て、タモリにも「タモリ」、「タモさん」、「森田」と呼び捨てにしたり「あんた」「お前」と呼ぶ場合もある。
いわゆる「出っ歯」の代表的人物として有名。前歯を差し歯にするときに「少し引っ込めますか?」と言われたが、断ったという。また、差し歯のメーカが(冬のソナタの)ヨン様と同じだと言い張って物マネをしていた。一時期、その顔つきを自ら新幹線『のぞみ』(新幹線300系電車)と表現したことがある。
かん高い笑い声とドナルドダックの様な、「クワーッ(もしくは「フニャー!」、「ファーーッ!」)」という引き笑いが特徴。音声学的見地から言えば、アホウドリの鳴き声と同じであると言われる(嘉門達夫は「引き笑い鳥」と名づけている)。普段の話し声は65歳と分析されたが、この笑い声だけは30代(さんま曰く35歳)と解析された。とんねるずの木梨憲武はゴルフ場で雉の鳴き声を聞いて「あー、さんまさんも(このゴルフ場に)来てるんだ」と言い、雉とさんまの声を真剣に聞き間違えた。
睡眠時間が極度に少ない。本人曰く、「今までの人生で10時間以上寝たことは一度もない」とのこと。雨上がり決死隊・宮迫博之によると「仕事で3日間一緒になった際、多分あの人はあの3日間一睡もしていない。宮迫が機内で寝ようとしたら、起こされた。また、初日の収録が終わり、次の日の入り時間が早朝だったにも関わらず深夜まで一緒に飲み、次の日フラフラになって収録現場に行ったら、何も無かったかのように元気なさんまさんがいた。こんなことが3日間続きながらも収録が終わって、ダウン寸前で家に帰ってテレビをつけたら、さんまさんが生放送番組に出演していた」との事。また、寝顔を人に見られるのを極端に嫌い、新幹線で寝ていた際、すぐ後ろに座っていた宮迫博之が寝ていると思った次の瞬間、パッと起き上がって振り返り、宮迫に「(俺が寝てたこと)絶対言うなや」と言った。自身の番組『明石家さんちゃんねる』(TBS系列)では、さんまがあまりにも寝顔を見せないため、「さんまの寝顔写真大募集」という企画が行われた。しかし、送られてきたのはたったの1通で、しかも13年前に1度だけ寝顔を撮られた写真のみであった。またタモリ曰く、さんまは寝付くのは異常に早く、ずっとしゃべり続けた後「じゃあ寝まっか」と言った次の瞬間には寝ていたらしい。すぐ寝られるのと同様、起きた瞬間からもう陽気であるという。本人曰く、「寝ないのではなく寝られない」という一種の病気であることを医者から診断されており、睡眠導入剤を使って無理やり寝ることもある。寝ないというイメージがついてしまったために新幹線で寝ているとがっかりされるとも語ることもある。娘のIMALUでさえも、「父の寝顔は見たことが無い。」と語る。
2008年7月放送の「FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!」で総合司会を務めた際には、26日19時から翌27日22時まで出演し続け、番組が終わった後には放送スタジオでの打ち上げで深夜1時までビートたけしと語り明かし、帰宅後も朝6時まで起きていたという。その時さんまは「次は35時間テレビができる」と思ったらしい。この番組で太平サブローに「こんな元気な53(歳)、(他の)アジア(の国)にはおらん」と言われた。
他人がテレビで発した思いがけない一言を、さんまが持ちギャグにしてしまうことが多い。
特記のないものは日本テレビ
特記のないものはTBS製作
特記のないものはフジテレビ製作
特記のないものはテレビ朝日製作
豪華な作家陣を揃えた楽曲が数多い。また、1986 - 1988年に発売した曲が多いが、これらの多くはさんまが主演の単発ギャグドラマ『心はロンリー気持ちは「…」』の主題歌として作られた曲である。
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![]() 05:51 | 明石家さんま |
再生回数:172,253回評価: 提供:You Tube | |
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![]() 07:47 | 溝端淳平・明石家さんま・羽田美智子(1/3) |
再生回数:109,770回評価: 提供:You Tube | |
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![]() 02:48 | 明石家さんま 名言・迷言集 |
再生回数:573,459回評価: 提供:You Tube | |
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![]() 09:43 | ビートたけしvs明石家さんまPart1 |
再生回数:223,322回評価: 提供:You Tube | |
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![]() 03:33 | 大原麗子 ハプニング 明石家さんま 所ジョージ |
再生回数:56,006回評価: 提供:You Tube | |
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