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栃木県 (とちぎけん) は、日本の都道府県の一つで、関東地方北部に位置する。県庁所在地は宇都宮市。県内には日光国立公園が立地し、夏季の降水が豊かな植生を育み、豊かな自然のもとに古都やリゾート地などの観光資源を多数擁する日本有数の観光県である。
栃木の県名は、下野国の役所が置かれた栃木町の地名を継承している。そして、栃木の町の名は、栃の木に由来するとも、町の神社の社殿に10本の千木(ちぎ)に因んで「十千木」(とちぎ)と称したことによるともいわれている。[1][2]
目次 |
栃木県は北関東中央部に位置し、その境界部に海岸線を有しない内陸県である。中南部地域は関東平野の中北部に立地し、北関東自動車道や国道50号、水戸線、両毛線が横断し茨城県および群馬県と通じている。最南端部には渡良瀬川と思川、利根川、また田川と鬼怒川のそれぞれ合流点があり、茨城県、群馬県、埼玉県と境界を接している。一方、東西北の辺縁部は山岳地域となっており、北東部は低山地で那珂川が縦断して八溝山地とともに茨城県境を形成しているが、西北部は関東地方屈指の山岳地帯であり、標高2,000メートル以上の山並みが続き群馬県および福島県との境界を形成している。特に日光連山は標高2,300メートル以上の峻険な独立峰を複数有し、空気の澄んだ日には関東南部からも眺望される。この日光連山と八溝山地の北部接点付近には那須岳があり、栃木県ひいては関東の最北端、そして、いわば「みちのくの玄関口」たる、福島県(中通り)の入口を示すシンボル(ランドマーク)となっている。これら山岳は那須火山帯の最南端に位置する。
県都宇都宮市からは日光宇都宮道路や国道119号、日光線が県北西部都市(鹿沼市、日光市)に向けて、また栃木県道10号宇都宮那須烏山線、烏山線が県北東部都市(高根沢町、那須烏山市)に向けて、それぞれ伸びている。東京など南関東とは東北新幹線、宇都宮線(東北本線)、東北自動車道、国道4号などで結ばれ、同時にこれらの路線は東北地方と関東地方間を縦断し、県中央に連なる諸都市(那須町、那須塩原市、大田原市、矢板市、さくら市、高根沢町、上三川町、下野市、小山市など)と県都を結んでいる。県南部は人口密集地であり、東武鉄道宇都宮線や東武佐野線が東武日光線、東武伊勢崎線の枝線として地域輸送を担っている。東武日光線は東京日光間の主要ルートのひとつで、沿線には藤岡町、大平町、栃木市、壬生町、鹿沼市といった中規模都市間を結んでいる。
主要産業は宇都宮市や上三川町、大田原市、小山市、足利市、真岡市、佐野市、岩舟町などに代表される内陸型近代工業で、これらは北関東工業地域や両毛工業地域の一部を形成している。ほか、農業も盛んであり、那須塩原市や大田原市、宇都宮市は国内有数の米産地となっているほか、那須塩原市では酪農も盛んであり、国内生乳生産量は北海道に次いで高い。ほか、真岡市や鹿沼市などを中心にいちごの栽培が盛んであり、壬生町や鹿沼市のかんぴょうとともに県の特産品となっている。商業は宇都宮市で盛んで、県内年間商品販売額の約半分が宇都宮市で占められており、北関東第一の商業都市となっている。観光産業も盛んで、日光市や那須塩原市、足利市の歴史・自然遺産(日光の社寺、足尾銅山跡、足利学校跡、中禅寺湖、華厳滝、鬼怒川温泉、那須岳、那須高原、塩原温泉など)、宇都宮市の餃子やカクテル、ジャズ、茂木町のツインリンクもてぎ、栃木市の蔵の町なども観光資源となっている。
気候は太平洋側気候を呈し、山間部では冬季の降雪、また平地部では同じく冬季の乾燥と夏季の雷を特徴とする。全県で夏季多雨多湿、冬季少雨乾燥を呈する。
歴史的には古墳時代、毛野川(けぬのかわ)(現在の鬼怒川)流域一帯には「毛野国」が成立し、これを上下に分かって「下毛野国(しもつけぬのくに)」「下野国(しもつけのくに)」が成立し、唐名では「野州(やしゅう)」と称する。現在でも「下野(しもつけ)」の呼称が広く使われている。
関東地方の北部に位置し、面積は6,408.28 km²で全国第20位(関東最大の県)、東西約84 km・南北約98 km。県都宇都宮市は、東京から約100 km、JR東北新幹線で約50分強の位置にあり、中核市の指定を受けている。
東部の八溝山地、北部から西部にかけての那須連山・高原山・日光連山・帝釈山地・足尾山地の山岳地帯と、県中央部の那珂川・鬼怒川・渡良瀬川の沿岸平野部の3地域に大別される。
下毛野国と那須国は7世紀後半に統一されて下野国となり、現在の栃木県の県域が形作られた。 「国府は都賀郡にあり」(『和名類聚抄』)とあり、発掘の結果、国府の政庁は宮目神社(栃木市田村町)周辺で発見され、約90メートル四方の範囲を塀によって区画され、南門を入ると正面に前殿が、その両脇に東・西脇殿が確認された。政庁は8世紀前半から10世紀前葉まで4回建て替えられ存続した。 下野国は9郡(70郷)で足利郡(6郷)、安蘇郡(4郷)、梁田郡(3郷)、都賀郡(11郷)、河内郡(11郷)、芳賀郡(14郷)、那須郡(12郷)、寒川郡(3郷)、塩谷郡(6郷)に分かれていた。 郡の役所である郡衙は、那須郡(小川町那須官衙跡)・芳賀郡(真岡市堂法田遺跡)・河内郡(上三川町多功遺跡)・寒川郡(小山市千駄塚浅間遺跡)・足利郡(足利市国府遺跡)の5遺跡発見されている。内容が判明している那須郡衙跡は、那珂川と箒川の合流地点に近い小川町梅曽に位置する。郡衙の範囲は南北に200メートル、東西400メートルで、その中を溝で西・中央・東の3ブロックに分けている。西ブロックは幅4メートル、深さ1メートルの大溝によって囲われた1辺約200メートルの不正方形で、倉庫と考えられる総柱式の掘立建物が多数見つかっている。中央・東ブロックは宅地になっている。中央ブロックからは礎石立ちの倉庫と考えられる建物2棟発見されている。[10][1]。
多賀城碑、多胡碑と並ぶ日本三大古碑の一つとされる那須国造碑(国宝、700年(文武天皇4年)建立)が下侍塚古墳の付近で延宝4年(1676年)、僧侶・円順により発見された。その報を受けた領主である徳川光圀が笠石神社を創建し碑の保護を命じた。古墳文化と合わせて那須地方(那須国造)のこの地域が重要な拠点であったことがうかがい知れる。
下毛野国造は下毛野君である。下毛野君は豊城入彦命の後裔とされ(日本書紀)、天武天皇13年に定められた八色の姓では地方豪族としては破格の朝臣姓を賜り、大和朝廷が701年に定めた律令(大宝律令)の編纂には下毛野古麻呂が藤原不比等とともに深く関わった(続日本紀)。
栃木県の県庁所在地である宇都宮市の名称は二荒山神社の別号宇都宮大明神に由来し、宇都宮の歴史は即ち出雲神を祀る当神社の歴史と言える。この神社は毛野国の開祖である豊城入彦命を祀り、創祀は命の曾孫である奈良別君と言われるが、この時既にこの地には豊城入彦命によって国土開拓の祖神・大物主命が祀られていたと言われており、西暦200年代、遅くても300年代(社伝では仁徳天皇41年、西暦353年=奈良別君の時代)には成立していたと社伝に伝わるが、正史に初めて下野国の神が登場するのは836年(承和3年)のことで、この時従五位上勲四等の二荒神が正五位下を奉授している。平安時代、当神社は延喜式神名帳に下野国唯一の一之宮名神大社(河内郡)とされ、下野国で最も格式ある神社と位置付けられていた。神社は国造下毛野氏の統治下にあって下毛野氏の血縁者が代々座主を務め、平安時代末期に藤原北家道兼流で毛野氏あるいは中原氏の流れを汲んだ宇都宮氏がその座を継いだと言われている。宇都宮氏は鎌倉時代以降22代500年に亘って鬼怒川流域一帯を統治し、小倉百人一首の成り立ち、宇都宮歌壇の成立、東勝寺や尾羽寺、清巌寺や興禅寺に代表される寺院の造営など当地の文化的素養の養生に尽力するとともに、また元寇の折には鎌倉幕府軍総大将として討伐に向かい、関東内の戦乱にあっては時の中央政府(鎌倉幕府、室町幕府、鎌倉府、関東管領等)の意向を受けてその鎮静に当たり、武門としても当時の関東地方の治安維持に貢献した。
先述のとおり、宇都宮二荒山神社は宇都宮大明神と呼ばれ、古来からその武徳が尊ばれてきた。藤原北家魚名流・藤原秀郷(俵藤太,田原藤太)卿は、平将門の乱の折、その追討を命じられたが苦戦、当神社に参じて授かった霊剣をもって将門を制したと言われる。また藤原北家長家流・那須与一宗高は源平合戦屋島の戦いで「南無八幡大菩薩、日光権現、宇都宮、那須湯前大明神」と唱え、見事平家船上の扇の的を射落としたと言われる[11]。また、伝説として元寇の際には社殿から鏑矢が西へ飛び去ったという言い伝えがある。この他、源頼義、義家(八幡太郎)父子は前九年の役の前に参拝し、奥州安倍氏を掃討したといい[12]、また源頼朝も奥州藤原氏平定に際して参拝した[13]。徳川家康は当神社に神領1,500石という広大な土地寄進を行ったとされる[14]。
日光開山の祖と知られる勝道上人は、下野薬師寺で5年間修行した後に男体山を目指し、766年に四本龍寺を建立したと言われる。782年には3度目の試みで山頂に達し、その後神宮寺(現在の中禅寺)を建立し、日光1200年の原点を築いた。一説に「日光」という地名は空海が二荒(ふたら=補陀落:ポタラカ)を音読した「にこう」に佳字を当てたのが起源といわれるが、当時の記紀類は全て「二荒」で記録上の「日光」の初見は鎌倉時代後期であり、この時期と下野国内に千手観音や日光菩薩像が多く造立された時期が一致している(大谷磨崖仏、佐貫石仏)。
鎌倉幕府が成立すると、足利・小山・宇都宮・那須などの下野諸氏は鎌倉御家人となり活躍した。小山氏は藤原北家魚名流・藤原秀郷の後裔と言われ、武家として鎌倉時代には下野国の守護を務める家柄であったが、室町時代初期、小山義政が下野国国司・宇都宮氏を攻略し宇都宮基綱を戦死させたため、鎌倉府・関東管領によって討伐された。
結城氏は小山氏の庶流であり、主家・小山氏が鎌倉府によって討伐されると小山氏を継いだ。小山氏・結城氏は室町時代には室町幕府に抵抗して鎌倉を追われた古河公方に組して下野守護に再任された。足利氏の力が弱まると関東に台頭してきた後北条氏方に就くが、主家・小山氏は後北条氏に追討されてしまう。豊臣秀吉によって後北条氏が討たれると結城氏が旧小山氏領を支配したが、江戸時代になると間もなく福井へ転封され、氏姓も松平氏に改めてこの地を去った。
藤原北家道兼流で毛野氏(あるいは中原氏)の流れを汲む関東の名門・宇都宮氏は、宇都宮二荒山神社(宇都宮大明神)の神職者として関東の治安維持に貢献した。鎌倉時代、元が九州に攻め寄せると、これを鎮めるべく鎌倉軍総大将として征西しこれを防いだ。室町時代、足利尊氏を助け下野・上野・越後守護を務め、関東管領・上杉氏に引き継ぎ、その上杉氏を討って関東を争乱に陥れた鎌倉公方・足利持氏を室町幕府の意向を受けて牽制した。戦国時代、後北条氏が台頭すると常陸国の佐竹氏とともにこれを牽制した。しかし豊臣秀吉によって後北条氏が滅びると、その秀吉が東国勢力の自領化を進め、宇都宮氏は備前国へ配流されてこの地を去った。
代々宇都宮氏の重臣を務め、また宇都宮氏と姻戚関係にもあった紀清両党の益子氏および芳賀氏は宇都宮宗家がこの地を去った後もこの地に留まり、宇都宮氏が築いた文化を伝承したと言われる。なお、益子の西明寺には宇都宮氏墓所があり、現在も守られている。また宇都宮貞綱が亡母の供養に鋳造した鉄製塔婆を保存する清巌寺は清原氏(清党)芳賀氏が建立したものである。
足利荘に本拠を置いた清和源氏義家流・足利氏は鎌倉北条氏に仕えるが、足利尊氏の代に後醍醐天皇の挙兵に応じて鎌倉幕府の討幕運動に参加する。尊氏は後醍醐天皇の建武の新政からは離反し、北朝を建てて幕府を開き、室町時代には足利将軍家となる。足利学校は「坂東の大学」として宣教師によってヨーロッパにまで隆盛の様子が伝えられている。
藤原北家長家流・那須氏は那珂川流域に安定した地域を形成し、関東では珍しく戦国時代・江戸時代・明治時代を乗り切り、現在もこの地に家名を継いでいる。那須与一宗高を生む。
徳川家康が江戸に徳川幕府を開くと、中世以来の有力豪族は相次いで下野から姿を消し、県域は幕府直轄領や旗本領に細分化され、徳川家の譜代大名や旗本が支配するようになった。日光(日光市)は幕府の聖地として、東照宮をはじめとする華麗な建物が作られ、特別に保護・崇敬された。
近世には宇都宮藩、壬生藩、烏山藩、黒羽藩、大田原藩、佐野藩、足利藩、吹上藩、高徳藩、喜連川藩の諸藩が成立し、福原家の佐久山陣屋、芦野家の芦野陣屋、那須家の福原陣屋、大田原家の森田陣屋など交代寄合の陣屋による領内統治が行われた。
近世後期には地方社会の農村の荒廃が発生するが、二宮尊徳は農村のたて直しを図るため、桜町(現在の真岡市旧二宮町)の旗本領の復興につとめ、以後各地で報徳仕法と呼ばれる改革事業を実施した。
戊辰戦争では宇都宮など北関東における戦役の舞台となり(宇都宮城の戦い)、明治維新を迎えると政府は、中央集権をおし進めるため1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日)に廃藩置県を断行、旧来の封建支配の一掃を図った。その後、全国的な府県の再編が行われ、同年12月25日(旧暦11月14日)、下野国北部に宇都宮県が、また下野国南部に上野国南東部を加えて栃木県が設置された。両県の管轄区域および県庁所在地は以下の通りである。
1873年(明治6年)6月15日に宇都宮県と栃木県が合併して今日の栃木県が成立、県庁が栃木町に置かれた。3年後の[1876年]](明治9年)には上野国内3郡が熊谷県の北半部(上野国内)と合併して群馬県の一部となり、ほぼ現在と同じ県域となった。1884年(明治17年)、栃木県という呼称のまま、県庁が宇都宮町に移された。
| 栃木県と全国の年齢別人口分布 | 栃木県の年齢・男女別人口分布 | ||||||||||||||||||
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■紫色 ― 栃木県
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
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| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |||||||||||||||||||
| 栃木県の市の人口、人口密度、可住地人口密度 (2005年) | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 順位 | 人口 | 人口密度 | 可住地人口密度 | |||
| 1位 | (宇都宮市) | 50万2396人 | (宇都宮市) | 1,205人/km² | 足利市 | 1,633人/km² |
| 2位 | 小山市 | 16万0150人 | 小山市 | 933人/km² | (宇都宮市) | 1,513人/km² |
| 3位 | 足利市 | 15万9756人 | 足利市 | 898人/km² | 栃木市 | 1,060人/km² |
| 4位 | 佐野市 | 12万3926人 | (下野市) | 792人/km² | 小山市 | 969人/km² |
| 5位 | 那須塩原市 | 11万5032人 | 栃木市 | 674人/km² | 佐野市 | 898人/km² |
| 6位 | (鹿沼市) | 10万4148人 | 真岡市 | 539人/km² | (下野市) | 827人/km² |
| 7位 | (日光市) | 9万4291人 | 佐野市 | 348人/km² | (鹿沼市) | 701人/km² |
詳細は「栃木県知事一覧」を参照
ちなみに、かんぴょうは栃木県が99%を生産し、残りは茨城県が生産している。
都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷 ※東北新幹線の駅が設置された都市圏は斜体。
| 1980年 | 新 | 1990年 | 1995年 | 2000年 |
|---|---|---|---|---|
| 宇都宮都市圏 547,545人 |
東 北 新 幹 線 開 業 82 年 大 宮 85 年 上 野 91 年 東 京 |
宇都宮都市圏 800,459人 |
宇都宮都市圏 859,178人 |
宇都宮都市圏 888,005人 |
| 鹿沼都市圏 95,999人 |
||||
| 今市都市圏 50,423人 |
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| 日光都市圏 23,885人 |
- | |||
| 小山都市圏 190,194人 |
小山都市圏 209,818人 |
小山都市圏 239,249人 |
小山都市圏 245,698人 |
|
| 足利都市圏 165,753人 |
足利都市圏 167,615人 |
足利都市圏 165,588人 |
足利都市圏 163,066人 |
|
| 佐野都市圏 142,411人 |
佐野都市圏 147,663人 |
佐野都市圏 147,842人 |
佐野都市圏 145,194人 |
|
| 栃木都市圏 129,963人 |
栃木都市圏 134,946人 |
栃木都市圏 134,676人 |
栃木都市圏 133,058人 |
|
| 大田原都市圏 100,083人 |
大田原都市圏 111,945人 |
大田原都市圏 116,708人 |
大田原都市圏 122,127人 |
|
| 真岡都市圏 92,065人 |
真岡都市圏 103,541人 |
真岡都市圏 105,897人 |
真岡都市圏 107,175人 |
|
| 黒磯都市圏 73,363人 |
黒磯都市圏 79,014人 |
黒磯都市圏 83,023人 |
黒磯都市圏 85,713人 |
|
| - | 矢板都市圏 35,585人 |
矢板都市圏 36,650人 |
矢板都市圏 36,444人 |
以下の10の広域市町村圏がある。(五十音順)
以下の14市6郡16町がある。町はすべて「まち」と読む。
私立
詳細は「栃木県特別支援学校一覧」を参照
詳細は「栃木県高等学校一覧」を参照
詳細は「栃木県中学校一覧」を参照
詳細は「栃木県小学校一覧」を参照
詳細は「栃木県幼稚園一覧」を参照
放送区域は関東広域圏に属する。
※在京AM3局(TBSラジオ・文化放送・ニッポン放送)もほぼ全域で昼夜通して良好に受信可能。
詳細は「日本の郷土料理一覧#栃木県」を参照
詳細は「栃木県指定文化財一覧」を参照
公式
観光
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![]() 02:14 | 栃木県民の歌 |
再生回数:41,018回評価: 提供:You Tube | |
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![]() 01:08 | 栃木県宇都宮市の大盛り・デカ盛り店「林家本店」 |
再生回数:25,847回評価: 提供:You Tube | |
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![]() 08:37 | 栃木県 塩原温泉 |
再生回数:50,618回評価: 提供:You Tube | |
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![]() 00:15 | U字工事 栃木県知事選挙CM |
再生回数:70,947回評価: 提供:You Tube | |
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![]() 00:17 | ロッテ Fit's:栃木県: Fit's ダンスコンテスト-Sample No.018 |
再生回数:57,363回評価: 提供:You Tube | |
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