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社会主義(しゃかいしゅぎ、英: socialism)は、生産手段の社会的所有・管理などによって、生産物・富などを民主的に分配し、平等な社会を実現しようとする思想・運動の総称である。
社会主義は政治的には「左翼」と呼ばれ、労働組合の結成と労働条件の改善、社会保障による富の再分配、教育や医療の無償化、教会権力に対する政教分離、主要産業の国営化や計画経済による近代化、帝国主義戦争に対する反対と国際主義、などを主張する。
目次 |
「社会主義」にはさまざまな定義や潮流があるが、ここでは比較的一般的と思われる説明を記載する。
狭義では、生産手段の社会的共有・管理を目指す共産主義、特にマルクス主義とその潮流を指す。日本では歴史的経緯により、この狭義を指すことが多い。
しかし広義では、フェビアン協会の流れを汲む社会改良主義的な社会主義や民主社会主義、欧州大陸諸国などの社会民主主義、一部のアナキズム(無政府主義)、上記のマルクス主義などを含めた総称である。ヨーロッパではこの広義を指すことが多い。
歴史的には、市民革命によって市民が基本的人権など政治的(理念的)な自由と平等を獲得したが、資本主義が進むと少数の資本家(ブルジョワジー)と大多数の労働者などの貧富の差が拡大して固定化し、労働者の生活はますます悲惨になったため、労働者階級が経済的(実質的)な平等と権利を主張したものとされる。市民革命と社会主義運動は、啓蒙思想と近代化では共通であるが、初期の資本主義が経済的には自由放任主義(夜警国家)を主張したのに対し、社会主義は市場経済の規制(場合によっては廃止して計画経済化)や福祉国家を主張する。
第一次世界大戦の末期にはロシア革命が起こり、マルクス・レーニン主義を標榜する社会主義国が誕生した。第二次世界大戦後は社会主義(共産主義)陣営と資本主義(自由主義)陣営の間で冷戦や、朝鮮戦争、ベトナム戦争などの代理戦争が続いた。西側諸国内でも資本主義勢力と社会主義勢力と社民主義勢力の対立が生まれ、東側諸国でもソ連型社会主義と自主管理社会主義の対立、中ソ対立などが起こった。一方で非共産主義諸国でも、西側諸国でのニューディール政策など混合経済化が進んだ。
他方、共産党一党独裁のもとに中央集権型の官僚制が構築されたソ連型社会主義は、特にレオニード・ブレジネフ指導体制の成立後は停滞する。1989年には東欧革命が、1991年にはソ連崩壊が発生し、「社会主義」のイメージは世界的に失墜した。共産党独裁体制が続く中華人民共和国やベトナムは市場原理の導入を進め、事実上の混合経済体制を築いている。
現在、社会民主主義では市民主義、軍縮、反原発、環境問題、反グローバリゼーションなども主要なテーマとなっており(ただしこれらのテーマは本来の社民主義とは別の概念)、一部はアナキズムの潮流とも関連する。また従来の社会民主主義に新自由主義の市場原理主義を取り入れた「第三の道」路線も登場している。
一方、新自由主義に苦しめられた中南米諸国では、21世紀に入って社会主義政権の伸張が著しい。ベネズエラなどでは選挙を通じて社会主義を掲げる政権が成立し、社会主義路線を進めている。
主な潮流には以下がある。ただし各潮流の定義や範囲はさまざまな考えがあり、また時期によっても変化している。
シャルル・フーリエ、アンリ・ド・サン=シモン、ロバート・オウエンらに代表される、初期の社会主義思想。ただしこの空想的社会主義という名称は、自らを科学的社会主義と称するマルクス主義の立場からの呼称であり、中立的なものとは言えない。
社会民主主義は議会政治を通した民主的な変革を目指し、マルクス主義の暴力革命論を否定する(反共産主義)。社会改良主義、民主社会主義などや、広義にはマルクス主義から転じた修正主義、構造改革主義、ユーロコミュニズムなども含む。国際組織に社会主義インターナショナルなどがある。
アナキズム(無政府主義)は個人主義的な立場、自由主義的な立場、社会主義的な立場など多様な思想の総称だが、社会主義的な立場では権力の集中に反対して地域コミュニティや労働組合主義などを目指す。マルクス主義を権威主義と批判する。
サンディカリスム(労働組合主義)は、コーポラティズム(共同体主義)の側面を持ち、労働組合がゼネストで資本主義体制を倒し、革命後は政府ではなく集産主義的な労働組合の連合による経済や社会の運営を目指す。より急進的で革命的な思想にアナルコサンディカリスムがある。
共産主義は、産業の共有によって搾取も階級もない社会を目指す。フランス革命時のバブーフは「土地は万人のものである」として物品の配給による平等社会を目指し、「共産主義の先駆」とも呼ばれる。なおマルクス・レーニン主義では、資本主義社会から共産主義社会に発展する中間の段階を「社会主義社会」とも呼ぶ。
アラブ社会主義は、1950年代~1960年代に広まった、国有化など反植民地ナショナリズムの傾向を持つ社会主義。
宗教的社会主義は、宗教的価値観に基づく、あるいは宗教の要素を積極的に取り込んだ社会主義を言う。
国家社会主義は以下の用語の日本語訳である。
ビルマ式社会主義は正確には「社会主義へのビルマの道」と呼ばれ、社会主義とビルマ族の主要宗教である仏教を融合させたビルマ独特の社会主義体制である。マルクス主義をビルマ国民にとって有害であると否定し、ビルマ共産党とは激しく軍事衝突するなど反共主義の色彩が強く、一方、議会制民主主義はビルマに混乱をもたらせたとして国会を閉鎖して政党活動を禁止した。また、外来の文化・資本・軍事同盟を拒絶し、孤立主義をとった。1988年、全国的な民主化要求デモにより、26年間続いた社会主義政権は崩壊した[5]。
以下に挙げるものは、通常は「社会主義」とは呼ばれないが、社会主義的側面を持っているとも言われる。
「社会民主主義」、「共産主義#歴史」、および「共産主義国#歴史」も参照
社会主義の源流には、各民族のいわゆる原始共同体における、さまざまな共有や平等や相互扶助の形態が挙げられる(これらはマルクス主義では「原始共産制」とも呼ぶ)。私有財産の概念が浸透した近代以降も、入会権などの共同体による部分的な共有は認められている。またプラトンの哲人政治は、哲学者の独裁によって平和で平等な理想社会を目指し、最初の共産主義と呼ばれることもある。
近代的な形での社会主義や共産主義が登場するのは、18世紀後半から産業革命による近代化と、市場原理を掲げる自由放任型の資本主義が進展し、従来の共同体が破壊されて労働者階級となり、その階級の固定化や貧富の差の拡大、恒常的な貧困などの社会問題や社会不安が顕在化してきてからである。
18世紀後半より、後に「初期社会主義」(マルクス主義の立場からは空想的社会主義)と呼ばれる社会主義者が登場した。ロバート・オーウェンは経営者の立場から労働者の幼児教育や協同組合を実践し、更に共産主義的な共同体を目指した。サン=シモンは産業階級(経営者および労働者)による富の生産を重視し、キリスト教の人道主義による貧者の救済を説いた。シャルル・フーリエは国家の暴力と革命の暴力の双方を疑問視し、国家の支配を受けない自給自足で効率的な協同社会を提唱した。イギリスのフェビアン協会は、後の社会民主主義や労働党の源流ともなった。これらは社会改良主義とも呼ばれる。
また1798年にフランス革命が勃発すると、多くの革命思想が登場した。バブーフは「土地は万人のもの」として、国家による物品の共同管理と平等な配給や、前衛分子による武装決起と階級独裁を主張し、後に「共産主義の先駆」とも呼ばれ、その思想はブランキや後のレーニンにも受け継がれた。ヴァイトリングは欧米の諸都市で労働者結社を実践し、いわゆるメシア共産主義を説いた。モーゼス・ヘスはヘーゲル左派の出身で貨幣廃止論などを唱えた。
一方、社会主義者のうち、全ての権威を否定する立場は無政府主義(アナキズム)とも呼ばれる。フランスのプルードンは「財産とは盗奪である」として、あらゆる中央集権的組織に反対して「連合主義」を唱え、更にロシアのバクーニンやクロポトキンに受け継がれた。
カール・マルクスとエンゲルスは1848年に『共産党宣言』を執筆した。マルクス主義は、唯物史観と剰余価値説により、従来の社会主義が持っていた階級闘争や労働組合運動、政治運動についての理論に、資本主義の分析を理論的武器として提供し、ヨーロッパを始め全世界的規模で広範な影響力を持った。
1862年にはヨーロッパの労働者と社会主義者の国際組織である第一インターナショナルが設立され、労働組合の奨励や労働時間の短縮、更には土地私有の撤廃などを決議した。しかし権威となったマルクスと、無政府主義者のバクーニンなどの反対派は相互に批判と除名を行い、第一インターナショナルは崩壊した。
1871年にはパリ・コミューンにより、一時的ではあるが世界初の共産主義革命政権が誕生した。革命歌である「インターナショナル」も誕生し、「発達した資本主義国家であり階級闘争も激化しているイギリスやドイツでも革命が近い」との考えが広まった。ドイツではビスマルクが、社会主義者鎮圧法と同時に、世界最初の社会保険を創設した。これは「飴と鞭」政策と呼ばれたが、その後のドイツや各国の社会保障制度の基礎ともなった。
1889年にはマルクス主義者を中心に第二インターナショナルが結成されたが、マルクス主義の暴力革命やプロレタリア独裁を批判して、議会制民主主義による平和革命を認めるベルンシュタインなどが修正主義を主張して対立し、後にはマルクス主義のカウツキーも含めて転向し、社会民主主義を体系化した。しかし1914年には第一次世界大戦が勃発し、各国の社会主義者が自国の戦争を支持したため、第二インターナショナルは崩壊した。
日本では、1901年には日本最初の社会主義政党である社会民主党が、1906年には日本最初の合法社会主義政党(無産政党)である日本社会党が結成された。キリスト教徒からマルクス主義に転じた片山潜は普通選挙運動による「議会政策論」を説き、無政府主義やアナルコサンディカリスムの影響も受けた幸徳秋水はゼネストなどの「直接行動論」を主張したが、1910年の大逆事件(幸徳事件)などで弾圧された。
1917年には、レーニンは帝国主義論で「資本主義は延命のため、従来の自由市場経済から独占資本主義と帝国主義に移行している」として、ロシアなどの工業後進国での革命と、そのための職業革命家の党による一党独裁を主張した。また同年にはロシア革命が発生し、ボリシェヴィキによる十月革命により、世界で最初の社会主義国家であるソビエト連邦が誕生した。
しかしドイツのローザ・ルクセンブルクはマルクス主義の立場から修正主義を批判し暴力革命を認めながらも、「プロレタリア独裁は階級の独裁であり、一党一派の独裁ではない」とレーニンを批判した。
1919年には共産主義の国際組織である第三インターナショナル(コミンテルン)が結成され、主要各国には支部でもある共産党が設立された。しかし1924年のレーニンの死後、実権を握ったスターリンは、マルクス・レーニン主義を定式化しながらも、「ファシズム勢力よりも社会民主主義勢力を優先して攻撃すべき」という社会ファシズム論や、「ソ連は一国でも社会主義社会建設ができる」という一国社会主義論を主張し、更には秘密警察や粛清による恐怖政治や個人崇拝を徹底した(スターリン主義)。トロツキーは、マルクス主義の世界革命論の立場からスターリンを批判したが、除名され、海外で第四インターナショナルを結成して反資本主義・反スターリン主義の運動を続けた(トロツキズム)が、暗殺された。
これに対してマルクス・レーニン主義やソ連型社会主義に反対する社会民主主義者は、1923年に反共主義(反マルクス主義)を掲げる労働社会主義インターナショナル(社会主義インターナショナルの前身)を設立した。
日本では1922年に、コミンテルン日本支部として非合法の第一次共産党が結成された。また非日本共産党系は労農派と呼ばれ、1926年には労働農民党が結成されたが、「天皇制は絶対主義で、現状は半封建主義」と規定して二段階革命論を主張する講座派と、「明治維新はブルジョワ革命で、現状は帝国主義」と規定して一段階革命論を主張する労農派の間で、日本資本主義論争が行われた。後に、講座派の理論は日本共産党に、労農派の理論は社会党左派や新左翼各派に受け継がれた。
1929年に世界大恐慌が発生すると、失業や貧困が「個人の努力の問題」だけでは無く、資本主義に内在する矛盾である事が明白となり、各国で社会主義・共産主義勢力が増大した。イギリス・フランス・アメリカなどではブロック経済化が進み、広大な植民地を持たず独自にはブロック経済を形成できないイタリア・ドイツ・スペインなどでは、民族主義とを取り入れたファシズムなどの軍国主義が台頭し、第二次世界大戦勃発の要因ともなった。日本では1937年の人民戦線事件を契機に社会主義者への弾圧が強まり、他方では北一輝の「純正社会主義」、昭和維新を掲げる皇道派が台頭した。
また社会不安と社会主義への対抗のため、アメリカではニューディール政策、イギリスや北欧諸国では福祉国家政策などの、社会民主主義的な政策が推進された。
第二次世界大戦後は、ソ連に占領された地域を中心に、東欧や東アジアなどに次々と社会主義国家が誕生して衛星国とも呼ばれ、国際機関のコミンフォルムも創設された。ただしユーゴスラビアのチトーは、直接民主制を取り入れた独自の自主管理社会主義を採用し、ソ連型社会主義とは一定の距離を保った。また中国の毛沢東は、マルクス主義を指針としながらも、農民中心のゲリラ戦術を主張(毛沢東思想)し、1949年には国共内戦に勝利して社会主義政権を樹立した。これら社会主義陣営である東側諸国は、資本主義陣営である西側諸国と、冷戦や代理戦争を続けた
東側諸国の多くでは、ソ連と同様に重要産業の国有化や、五カ年計画などの計画経済、教育の無料化などが行われ、インフラ整備や近代化が推進され、一時は水爆開発や宇宙開発競争でも優位に立つなど「社会主義の優越性」が広く伝えられた。また「資本主義は戦争勢力、社会主義は平和勢力」、「資本主義の核兵器は侵略用、社会主義の核兵器は防衛用」などの主張も行われた(反核運動#反核運動の中立性も参照)。
しかし1953年のスターリン死去後、1956年のスターリン批判と、続くハンガリー動乱では、各国の共産党や共産主義者に大きな衝撃を与えた。西ヨーロッパの共産党では、プロレタリア独裁を放棄し複数政党制を認めるユーロコミュニズムが広がった。日本共産党では親ソ派・親中派との論争や除名や分派を繰り返し、1960年代には自主独立路線を確立したが、同時に「既成左翼」を批判する多数の新左翼が勢力を広げた。また中国はソ連のフルシチョフによる平和共存路線を「修正主義」、ソ連は中国を「教条主義」や「極左冒険主義」と批判して中ソ対立が始まり、更に中国では大規模な権力闘争である文化大革命が開始され、各国共産党にも介入した。後の印パ戦争や中越戦争は、中ソ対立の代理戦争の側面もある。
日本では戦後に再建された日本共産党は、当初は連合国軍を「解放軍」と規定し平和革命論も主張したが、コミンフォルムの意向を受けて、平和革命を批判し武装闘争を行った主流派の所感派と、対立する国際派などの対立や分裂を経由して、1955年の六全協で武装闘争を放棄し、二段階革命論[6]の自主独立路線に転換した。この転換とスターリン批判の影響で、多数の党員が新左翼各派に転じた。また非共産党系の合法社会主義勢力は日本社会党を結成したが、当初より労農派マルクス主義に基づき一段階革命論・平和革命論である日本型社会民主主義を掲げる社会党左派と、西欧型の社会民主主義を掲げた社会党右派が、対立・分裂や再統一を繰り返し、後には反共主義の西尾末広などが民主社会主義を掲げ民社党を結成し、更に構造改革主義(江田ビジョン)を主張した江田三郎が社会民主連合を結成した。また1970年の安保闘争、ベトナム反戦運動では多くの新左翼や市民団体も参加したが、新左翼各派や連合赤軍は内ゲバや武装闘争を続け孤立した。
一方、第三世界では、1959年にキューバ革命、1965年から1975年のベトナム戦争など、西側の植民地主義に反対する植民地解放戦争の側面が強い社会主義革命が発生した。またインドやアフリカ諸国の多くでは社会主義的政策を掲げる国家や政府が増加した。
1989年からの東欧革命によりソビエト社会主義共和国連邦や東欧の社会主義国家は次々に崩壊し、現在、国家として社会主義を標榜する国は中華人民共和国、ベトナム、ラオス、キューバ、北朝鮮などである。
特に中華人民共和国・ベトナム・ラオスは、政治的には共産党一党独裁を堅持しながらも、経済政策では市場経済を導入し、一種の混合経済化が進んだ。また朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は独自の「主体思想」を掲げ、鎖国的な軍事独裁体制を堅持しており、1990年代には「マルクス主義を基礎にしながらもすでにそれを超克した」とした。このため、いわゆるソ連型社会主義の国家は既に存在しない。
日本では、日本共産党は1991年のソ連共産党の解散を「大国主義・覇権主義の歴史的巨悪の党の終焉を歓迎する」とし、2000年には党規約から「前衛党」規定を削除した。また日本社会党は1996年に自社さ連立政権である村山内閣で、日米安保・自衛隊・原発などを容認に転じ、1996年には社会民主党に改称した。これらの路線転換に反対して、左派からは新社会党が独立し、右派などは民主党(旧)の結成に合流し、党勢は縮小したが、2006年の綱領ではプロレタリア独裁の字句が消え、2009年からは鳩山内閣の連立政権に参加している。
一方、中南米ではキューバの社会主義政権存続に加え、1990年代に加速された新自由主義よる市場開放により、国内産業の壊滅や貧富差の拡大もあり、ベネズエラ・エクアドル・ニカラグアなどで社会主義路線を拡大する国が続いている。
社会主義の多くの潮流は啓蒙主義(進歩主義、社会改良主義)であり、歴史や人間を社会進歩の観点で見る場合が多い。特にマルクス主義では下部構造(経済の発展段階)が上部構造(社会、政治、文化など)を決定するとする[7]。
このため社会主義は人文主義や保守主義の立場から、「善政を行った権力者や労働条件の向上を目指した資本家もいる」、「歴史は多様で、人間の幸福感も色々である以上、個々人のあり方が重要である」などと批判される。
これへの反論には「歴史の潮流と個々の出来事は別である」、「経済生活を無視したブルジョア的な見方である」、「個人の努力だけでは解決できない貧困や格差もある以上、社会的な改良は必要である」、「マルクスは哲学者・経済学者としての視点で分析したので、文化の視点とは違う」などがある。
初期資本主義では自由放任主義による過酷な労働が社会問題化したため、労働組合運動などが中心となった。当時の論点には、労働者を保護しながらも社会主義を弾圧した保守的な教会やビスマルクなどと協調すべきか対決すべきか、あるいは社会主義の路線や組織論などがあった。
マルクスは資本主義による近代化・国際化の進展を評価した上で、「発達した資本主義社会では、矛盾の拡大により必然的に共産主義革命が発生する」とした。このため各国の共産党や共産主義者を含め「仮に必然ならば、何故革命運動が必要なのか」などの論議がされたが、多くの共産党では「長期的には革命は必然だが、時期は諸条件で変わるので、革命運動で早めるべき」とされた。
次にレーニンは「資本主義は独占資本主義による帝国主義段階となり、自由経済は歪められ、植民地の富の収奪などで延命している。このため世界規模で反帝国主義革命を連帯すべきであり、各国の経済発展段階と革命の時期は必ずしも均等ではない。いずれ先進国でも必ず革命が発生するので支援すべき。」として、後進国でのロシア革命を正当化した。
更にスターリン主義は、ソ連は一国でも社会主義建設ができるという一国社会主義論を唱え、トロツキーの世界革命論と対立した。
一方、社会民主主義では市場経済の枠内での改革、あるいは社会主義を目指す場合でも平和革命が主張された。
以上のように、多数の現状認識論や路線が発生したため、各国の社会主義者や共産主義者で深刻な対立や分裂が続いた。
日本では、日本社会党の左派(社会主義協会)は主に先進国の社会主義革命の立場を採用した。日本共産党は、現在必要とされている変革は社会主義革命ではなく、対米従属と大企業の支配をうち破る民主主義革命であるとした。民社党は自由主義体制内の構造改革を唱えた。新左翼各派は日本帝国主義の復活を現状認識し、反帝国主義、トロツキズム、反スターリン主義などを主張したが、その位置づけや路線では相互に対立している。
社会主義の多くの潮流は、必ずしも明確な経済理論は持たない。しかしマルクス主義は剰余価値説により、労働力のみが価値を生むが、最低限の賃金以外は搾取されるとする。
このため「機械化(無人工場など)やコンピュータによる効率化を説明できない」、「需要と供給だけでは流行やブランドなどを説明できない」とも批判される。
これへの反論には「機械化は単なる迂回生産で、必ず元の開発者や現在の運用者がいる」、「独占資本は市場競争回避のため流行などを利用するが、単なる延命である」などがある。
なお、従来「資本主義の矛盾」とされた景気循環による定期的な不況や失業は、第二次世界大戦後は「ケインズ主義や社会保障などで緩和された」と考えられてきた。しかし新自由主義による格差社会の拡大と世界金融危機 (2007年-)の発生により、「労働者の自己責任」だけでは説明できない社会的な不況や失業の悪循環が深刻化している。このため社会主義者側だけでなく資本家などの側からも、社会や経済の安定のため、新自由主義の見直し、社会保障、セーフティネットの強化などが主張されている。
社会民主主義では議会制民主主義による改革や、平和革命を認めている。しかしマルクス主義ではこれらをブルジョア民主主義として否定する。更にマルクス・レーニン主義では各国共産党で民主集中制が採用された。続くスターリン主義では大規模な人権侵害が長期に継続し、後にスターリン批判で暴露された。これらは各国の共産党や支持者を含め議論となり、ユーロコミュニズムや日本共産党は議会制民主主義を重視する立場を示した。
このため自由主義者は「社会主義は専制独裁的な反民主主義である」と批判するが、社会民主主義者や西欧や日本の共産党は「専制独裁的な反民主主義はソ連型社会主義であり、本来の社会主義の姿ではない」としている。
また、「社会主義国では大多数の国民は安定して暮らせている。政府批判は西側に扇動された者を含めたごく少数者である。」とする主張もある。これに対しては、言論が抑圧されていた状況では本当に政府批判者が少なかったのかどうかは検証できない、あるいは少数派の言論が抑圧されている事が問題なのだ、という反論がある。
また、資本主義の側でも、ファシズム、マッカーシズム、開発独裁、反共を名目とし民主主義を蹂躙した独裁国家・軍事政権が存在し、民主主義を損なっているのは社会主義国家だけではないという反批判もある。ただしこれについては、ファシズムや開発独裁もまた、国家社会主義という社会主義体制であるという主張もある。また反共については、共産主義以外の社会主義の立場でもよく見られる傾向である。
また、ソ連型社会主義は革命直後の干渉戦争とその後の冷戦により、戦時共産主義体制が継続したものであり、ソ連が反民主主義的体制を継続した事にも一定の理由がある(ソ連と対立した資本主義国家側に責任がある)という擁護論もある。
社会主義や共産主義は多数の潮流がある。しかしマルクス主義は党派性を徹底し、職業革命家による共産党のみが前衛党であり、自派以外を「空想的社会主義」「修正主義」と批判した。またマルクス・レーニン主義の二段階革命論は、フランス革命やロシア革命などと同様に「広範な反政府勢力と連帯して政権転覆後、他派を弾圧して権力を独占する」とも警戒された。更にスターリン主義の社会ファシズム論では社会民主主義への攻撃を最優先したが、新左翼内部の内ゲバでも同じ論理が見られる。
このため「一般の労働者を党から排除している」、「独善と謀略で、非人間的である」、「内部抗争を優先して逆に権力者を利している」などと批判されている。
これらへの反論には「修正主義などは最後には権力に寝返るので、事前に潰す必要がある」、「権力と真に対決する党ほど、弾圧や分裂策動などの謀略を激しく受けるので、防衛するしかない」「人権などのブルジョワ民主主義より革命の実現が優先される(目的は手段を正当化する)」などがある。
社会主義の潮流には、トマス・モアや解放の神学、仏教社会主義、イスラム教社会主義など、宗教を母体とした社会正義の追求も多い。しかしまた潮流の多くは近代主義でもあり、自由主義と同様に無神論(神を認める場合でも自助を説く)が多い。特にマルクスは唯物論を唱え、「宗教は(中略)阿片である」と主張し(反宗教主義)、実際に多くのソ連型社会主義諸国では宗教は抑圧された。
このため「信教の自由は人権である」、「人間は物質だけでは幸福になれない」、「マルクス主義も一宗教である」などの批判がある。
これへの反論には「宗教は人間を隷属させ、科学に反する」、「当時は教会が特権階級・反動勢力で社会主義を弾圧した」、「最低限の物質(生存)は、精神(宗教)の前提である」、「社会主義諸国でも信仰の自由は(表面的には)保障されている」などがある。
なおマルクス主義とキリスト教の歴史観は、終末論の面で類似性が指摘されている。「最初は原始共産社会だったが、私有財産の発生で階級闘争が生まれ、矛盾が限界に達すると革命が発生して、理想的な共産社会が到来する」と、旧約聖書でのアダムとイヴ、原罪の発生、失楽園などと、ヨハネの黙示録での善と悪の対立、最後の審判、千年王国などである。なおマルクスは福音書の積極的な解釈を認める青年ヘーゲル派の出身である。
ただしマルクスの時代では阿片は禁止されておらず、痛み止めの薬剤としてヨーロッパで使用されており、「宗教は阿片である」という発言は、阿片が禁止された時代の後世の人間から過剰に解釈されている面もある。
マルクス主義は「共産主義社会では階級闘争が消滅するため、暴力装置である国家や戦争も消滅する」とした。しかしマルクス・レーニン主義を標榜したソ連型社会主義諸国は「現在は社会主義の段階であり、反動勢力から社会主義祖国を防衛するため」として党または国家の軍備を増強した。ソ連が核兵器を保有した時には「西側の核兵器は侵略用、東側の核兵器は平和な核兵器」とも主張され、日本での原水爆禁止運動の分裂にも影響を与えた。
これらは「二重基準、ご都合主義」、「どちらも軍国主義」、「核戦争や代理戦争で喜ぶのは死の商人、犠牲になる大多数は当事者以外」などと批判された。
これへの反論としては「ロシア革命後は、列強の干渉によるロシア内戦やシベリア出兵や冷戦が続き、軍事力を強化しなければ実際に侵略される恐れがあった」「アメリカ合衆国が最初に核兵器を所有したため対抗・防衛するために止むを得なかった」「結果的にせよ冷戦中は恐怖の均衡によって核戦争につながる大規模な戦争は未然に阻止できた」などがある。
なお日本では、日本社会党は非武装中立論であったが、自社さ連立政権時に容認に転じ、現在の社会民主党では「非武装の日本を目指す」に戻った。日本共産党は、従来は「中立自衛」、現在は日米安保条約は廃棄してアメリカと対等平等の友好条約を結び、自衛隊は国民の合意を得て段階的に解消するとしている。民社党は日米安保と自衛隊に積極的に賛成であった。
一部のアナキズムは権力の集中に反対して地域の自治などを主張するが、多くの社会主義潮流は進歩主義であり近代化を推進する。特に計画経済による工業化、政教分離、義務教育、女性の社会進出などである。しかし現在では、近代主義の負の側面である人間中心主義(生態系や環境問題の軽視)、効率主義(中央集権、画一化)なども批判されている。
現在では社会主義・資本主義を問わず、環境問題、反グローバリズム、スローライフなども再評価されている。
社会主義に対する評価は多数のものがある。
資本主義を擁護する立場から一般的と思われるのは「人類の理想を追求した壮大な実験であったが機能せず、戦争や独裁、粛清など悲惨な結果をもたらし、ソ連崩壊によりほぼ消滅した」というものである。
さらに徹底した市場主義を掲げる新自由主義の立場からは「資本主義の優位と勝利が歴史的に確定したため、更に市場原理の徹底を図るべし」とされる。また宗教的な立場から「社会主義(共産主義)も1つの宗教であった」ともされる。
社会民主主義や構造改革などの立場からは「かねて批判してきたソ連型の社会主義(独裁、官僚主導、覇権主義など)は元々間違いであり、資本主義体制でも混合経済や福祉国家など社会主義的政策を部分的に取り入れることはセーフティネットとして今後も必要」とする。
社会主義を掲げる勢力では、旧ソ連などを敵視してきた日本共産党や新左翼の立場からは「ソ連崩壊は歴史の必然であり、本来の社会主義(共産主義)とは全く無縁」とする。
また新自由主義による貧富の差の拡大に際し、旧ソ連や東ドイツ、現在のキューバなどで、政治的自由の制限などはあるものの、貧富に拘わらず一定の医療・教育は保障されていた(いる)側面を再評価する立場もある。
なおソ連などの社会主義が実際には近代化の遅れた地域で発生し、近代化を国家規模で強制的に推進した側面に注目して「(一見すると正反対の存在である)ファシズムや開発独裁と同様に、20世紀に本格化した近代化(産業優先、人類優先、画一化)の潮流の1つであった」ともされる。この側面は、近代化を進展させたとして評価される場合もあり、逆にエコロジーや反グローバリゼーションの立場から、資本主義と並んで批判される場合もある。
社会主義への評価が多数ある背景には、「社会主義」と呼ぶ場合に、旧ソ連型の国家群を典型として語るか、いわゆる社会主義全般(社会民主主義、社会保障など)を含めて語るかによる違いが大きいと思われる。
両者を比べる例え話として、次のようなものがある。
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![]() 09:41 | 『ブレインストーミング』 #5 4/6シアター・テレビジョン |
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![]() 02:37 | Triumphmarsch der NSDAP 国家社会主義ドイツ労働者党 凱旋行進曲 |
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![]() 10:29 | 社会主義協会 |
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![]() 04:24 | 社会主義の総括 |
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![]() 09:46 | 社会主義がダメって本当? 経済5後半 |
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