| 舟木一夫 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出生名 | 上田成幸 |
| 出生 | 1944年12月12日(65歳) |
| 血液型 | O型 |
| 学歴 | 自由ヶ丘学園高等学校 |
| 出身地 | 日本, 愛知県一宮市 |
| ジャンル | 演歌、歌謡曲 |
| 職業 | 歌手、タレント |
| 担当楽器 | 歌 |
| 活動期間 | 1961年 - |
| レーベル | コロムビアミュージックエンタテインメント |
| 事務所 | ホリプロ 株式会社アイエス |
| 公式サイト | 舟木一夫情報局 |
舟木 一夫(ふなき かずお、本名:上田 成幸、1944年12月12日 - )は、愛知県一宮市出身の歌手、タレント。橋幸夫、西郷輝彦とともに“御三家”と呼ばれている。学生服と八重歯がトレードマークで、デビュー当時は、学園ソングとよばれる、高校生活をテーマにした歌が多かった。血液型はO型。
目次 |
初期の所属事務所はホリプロダクション、現在のホリプロであった。
当初は舟木和夫という芸名になる予定だったが、舟木自身の希望で一夫になった[1]。のびやかな美声で1960年代を中心にヒットを飛ばし、同じ時期にデビューした西郷輝彦、橋幸夫とともに「御三家」として人気を集める。青春ソングの定番「高校三年生」に代表されるように、学生時代を題材にした歌謡曲のほか、『銭形平次』のテーマソングのように、時代モノも数多く歌っている。また舞台などにも出演し、多彩な活動をしている。
1961年夏、名古屋で行われた「松島アキラショー」で、ステージ上の松島アキラが『湖愁』を誰か一緒に歌わないかと客席に声を掛けた所、前列に居た高校生が勢いよく手を上げた。少年は隣に居た同級生に手首を掴まれての事であった。狐に摘まれた表情で舞台に上がった少年は、見事松島と共に「湖愁」を歌いきった。この少年こそ、後の舟木一夫である。 偶然そこに取材に来ていた「週刊明星」の記者恒村嗣郎が目を付け、上田少年に氏名と住所を聞き、東京に帰ると、早速ホリプロの会長だった堀威夫に名古屋での出来事を話し、興味を持った堀は、電話で上田少年に歌のテープを送ることを依頼。そのテープを聴いた堀は、翌年5月上田少年を上京させ、日本コロムビアのディレクターだった斎藤昇に紹介。斎藤は作曲家遠藤実にレッスンを受けさせることにし、上田少年は、東京の自由ヶ丘学園高等学校へ通いながら、遠藤実のレッスンを受けることとなった。 上田少年は芸名を舟木一夫とし、ホリプロに所属することになった。社長の堀は、当時デビュー2年目で全盛期を迎え、舞台で時々学生服を着て歌っていた橋幸夫の対抗馬として、当時現役高校生だった舟木を学生服デビューさせると決定した。
1963年6月5日、デビュー曲は恩師遠藤実作曲、日本コロムビア専属だった丘灯至夫作詞の「高校三年生」と決定した。4月で高校を卒業していた舟木だったが、「学生服で行け」という遠藤実の指示で、歌謡界異例の学生服デビューとなった。 「高校三年生」は、発売1年で100万枚の大ヒットを飛ばし、舟木は第5回日本レコード大賞新人賞を、丘は作詞賞を受賞した。デビューから2ヵ月後、本人が主演した同名映画も大ヒットし、舟木は一躍スター歌手になった。それに続き、学園三部作と言われた「学園広場」「修学旅行」もヒットした。
1970年前後には、こうした青春ソング以外にも時代モノ、民謡調などの歌にも独特の持ち味で数々のヒットを飛ばした。テレビ時代劇『銭形平次』のテーマソングも、番組のロングランもあって舟木の歌としてよく知られるところとなった。
また特に詩歌、文学をモチーフにした叙情歌謡と呼ばれるジャンルでは持ち前の歌唱を活かして第一人者的存在となり、「絶唱」「夕笛」「初恋」などがヒットし、1966年には「絶唱」で第8回日本レコード大賞歌唱賞を受賞した。このジャンルとしてはその集大成ともいうべきアルバム『その人は昔』がある。これは作家松山善三の長編抒情詩を正味1時間すべて舟木の歌唱で埋めるという、前代未聞の作品であり 舟木の歌唱力が最大限に発揮されている。更にこの作品はLPとしては当時記録的な売上となり、後に舟木と内藤洋子の主演により映画化もされた。そしてこのLPおよび映画が劇画作家ながやす巧に大いなる影響を与え、その代表作『愛と誠』を生むきっかけとなった、という事実は、コミック界では有名なエピソードである。
1969年までは名実共に高い人気を保持していたものの1970年に入ると、かねてより多数出演していた歌謡映画が廃れ、TVドラマへの需要が無くなり、それに追い討ちを掛けるが如く歌謡界の変化に伴い表立った仕事は激減し舞台と地方公演が主な活動の場となってゆく。
1972年、心身不調により自殺を図るが未遂に終わる(尚、1970年と1971年にも自殺未遂を起こしている)。1973年、再び心身の不調のため翌年まで10ヶ月間静養。しかし1974年、NHKテレビ『思い出のメロディー』で復帰。
その後十数年に渡り不遇時代が続いたが、デビュー30周年プレ公演を機に、主に中高年女性のアイドルとして人気再燃、そのなかで「同じ青春を過ごした仲間にしか通用しない歌い手でいい」と述べている。そして1999年には中日ドラゴンズの応援歌「燃えよドラゴンズ!'99」を歌い(舟木自身も大のドラゴンズファンである)、25年ぶりにオリコン40位ランクインを記録。
現在も、歌手としてテレビやコンサートで精力的に活躍している他、舞台俳優としても毎年座長公演をこなし、幅広い層から根強いファンを集めていることで知られている。
2007年にはデビュー45周年を迎え記念コンサートを行う。そして「単なる流行歌でない。何も変える必要はない。これでいい」と述べている。
NHK大河ドラマにも多く出演。時代劇俳優としての礎を築く。
~石坂洋次郎 青春シリーズ~
当時の映画業界ではいわゆる「五社協定」なる掟が存在し 一人の俳優が複数の会社の映画に出演することが許されなかった。しかし舟木は歌手ということで この協定は適用されず、日本の当時の大手すべての映画会社の作品に出演した。舟木の他にこのような動きをしたタレントは美空ひばりを除いて稀有である。
作品一覧
2009年5月12日、舟木一夫のファンクラブを経営している会社「舟木一夫友音事務所」が、ファンからの支援金など約1億6000万円を隠し、3年間で約5000万円を脱税したとして、同社と藤谷和子社長が法人税法違反罪で告発されていたことが発覚。同社は「カンパは預かり金で、売り上げではない」と主張したが、修正申告を行った。藤谷社長は、支援金は「将来、コンサート会場に空席が目立つようになってしまったら舟木さんが悲しむ。そのときの動員に使ってほしい」などと会員から寄せられたものであると説明した[3]。
![]() 03:25 | 舟木一夫「夕笛」 |
再生回数:77,027回評価: 提供:You Tube | |
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![]() 03:52 | 舟木一夫「初恋」 |
再生回数:27,966回評価: 提供:You Tube | |
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![]() 02:54 | 舟木一夫 「仲間たち」 |
再生回数:58,005回評価: 提供:You Tube | |
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![]() 02:55 | 君たちがいて僕がいた-本間千代子と舟木一夫のデュエットバージョン |
再生回数:131,756回評価: 提供:You Tube | |
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![]() 03:45 | 舟木一夫 「北国の街」 |
再生回数:55,300回評価: 提供:You Tube | |
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