茶(ちゃ、英語[1]:tea -n.1,2,4)とは、チャノキの葉や茎[2]を加工して作られる飲み物である。 また、これに加えて、チャノキ以外の植物の部位(葉、茎、果実、花びら、等)や真菌類・動物に由来する加工物から作られる飲み物(「#茶ではない「茶」」の節を参照のこと)にも「茶」もしくは「○○茶」と称するものが数多くあり、広義ではそれらは全て「茶」に分類される。
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漢字の「茶」は中唐以後に成立した字で、それまでは「荼(ト)」で代用されていた。「荼」は草本植物を表す草冠と、「苦い」ことを意味する「余」からなり、本来は苦い味のする植物であるニガナを指す字である。原産地の雲南方面から四川・江南へと長江流域に茶が広まるにつれ、デャあるいはテャのような発音(反切で澄麻の切)に荼字を当てて使うようになったと推定されている。陸羽が『茶経』を著して、「荼」を1画減らして区別することが広まったと言われる。『茶経』には「茶」「檟(カ)」「蔎(セツ)」「茗(メイ)」「荈(セン)」の5種の名が揚げられているが、他に当て字もあって、それらも合わせると10種以上の字が使われていた。「茗」に関しては、現代中国語でも茶を総称する「茗茶」という言い方が残っている
最下段のウィクショナリー(* )には、漢字の画像などあり。
世界で茶を意味する語の起源は、「チャ」系統のものと「テー」系統のものがある[3]。「チャ」は主に陸路で伝わったが、大航海時代以降の伝播では中国語のうち、広東語での呼び名であるチャ(ch'a または ts'a 。チャーまたはツァー)に由来するものと、福建省厦門(アモイ)地方の方言(ミン南語)での呼び名のテー(te または tei 。発音はどちらもテー)に由来すると考えられる。ポルトガルが広東省のマカオから茶を運んだため、ポルトガル語でも「チャ」の発音が見られる(ただし、chá の発音は「シャ」)。また、オランダがアモイから茶を運んだため、オランダから茶を輸入した国では「テ」の発音が定着し、テは海路で伝わったと言われる。茶を意味する単語をもつ言語でこの両者の系統に属さないものは極めて珍しい。
日本語の茶の字音は呉音「ダ」、漢音「タ」、唐音「サ」である。「チャ」という音は院政時代の『色葉字類抄』から見られ、漢音と唐音の間の時期に流入したと考えられる。また、朝鮮語漢字音も「タ」と「チャ」があるが、植物・飲料の茶だけを指す場合、「チャ」を用いる。
上二語は、元来「ハーブ飲料」が語源となって、茶飲料に転用された表現である。
書籍に現れるものとしては、紀元前2世紀(後漢)の『爾雅』に見られる「檟」、または、司馬相如の『凡将篇』に見られる「荈詫(セツタ)」が最初とされる。漢代の『神農本草経』果菜部上品には次のような記述がある。
苦菜。一名荼草。一名選。味苦寒。生川谷。治五蔵邪気。厭穀。胃痹。久服安心益気。聡察少臥。軽身耐老。
陶弘景は注釈書『本草集注』の中でこれを茶のことと解した。これに対して顔師古は茶に疾病を治癒する薬効は認められないとしてこれを批判し、さらに唐代に編纂された『新修本草』も茶は木類であって菜類ではないと陶弘景の説を否定して苦菜を菊の仲間とした。このため、以後、苦菜をキク科やナス科の植物と考えて茶とは別物とする説が通説である。しかし、その一方で宋代の『紹興本草』などでは、苦菜(と考えられたキク科やナス科の植物)に『神農本草経』の記す薬効がないと指摘されている。このため、陶弘景の説を肯定する見解もある[5]。
現在の茶は、後漢「僮約」に初めて述べられており、当時の四川省では茶で客をもてなしたことや、流通があったことが推測されている(この考察は顧炎武による)。
四川省は茶のルーツとされる雲南省にほど近く、漢人はそことの接触により茶の存在を知ったと考えられる。ただし、雲南においては茶は多くの場合に草として調理され食べられるものであり、それを湯に入れてだし汁を飲むように改良したのは、煎じ薬の伝統を持つ漢人であろう。
喫茶文化は、四川から長江を下って次第に広がり、魏晋南北朝時代には長江流域で楽しまれたとされる。さらに唐代では長江流域が大規模に開発され、その物資が大運河を通って華北にももたらされたことから、茶の栽培が盛んとなり、庶民の間にも広まった。長安・洛陽では喫茶店が立ち並んでいたという(比屋之飲)。あまりに広く流通したため、唐後期になると茶は政府の専売とされ、その税収は唐王朝を支えた。
その中にあって、初めて体系的に喫茶の技術や思想を記そうという試みが現れ、陸羽(? - 804年)の書いた『茶経』が著された。遣唐使などを通じて日本にも茶がもたらされたが、この時代の茶は団茶といって醗酵が不十分で硬くつき固めた茶であった(もっとも、庶民は安価な葉茶を楽しんだと思われる)。
団茶は五代から宋代にかけて、墨の発展を受けて、墨のように香料を錬りこみ、金模様を施した研膏茶に発達した。研膏茶は手間暇がかかることから高級茶とされ、皇帝にも献上された。そして、茶を試飲して産地や銘柄を当てる茶会の闘茶が開催された。また、国内においては専売を布き、国外においては大量の輸出を行って北宋以後の王朝の財政収入に貢献したとされる。
寺院、特に禅寺では修行中の眠気を払う目的から、茶が自家栽培され、栄西らがそれを日本に持ち帰り、日本の緑茶文化を始めたことは有名である。
また、宋代では陶磁器が発達したことから、茶器もまた発達を見た。僧院が集中していた天目山で使われていた茶器は「天目茶碗」として日本ではプレミアがついて取引されたが、中国ではそのような茶碗は泥臭いとされ、より繊細な青味がかった磁器が好まれた。
明代になると、洪武帝は民に負担のかかる研膏茶の献上を廃止したため、研膏茶は廃れ、代って手間のかからない散茶が盛んになった。葉を揉んで葉緑素を破壊して茶の出を良くし、蒸して酸化醗酵を止める製法が使われたが、その製法は江戸期に日本に伝えられ、抹茶に代わって日本茶の主流となった(その後、中国では釜で煎って酸化を止める製法が主になる)。
清代も後期になると、烏龍茶や紅茶のような半醗酵・全醗酵の茶が開発され、福建省を中心に生産された。そしてそこからイギリスなどに向けて輸出されたため、茶を表す福建語の「テェ」が英語に取り入れられ、teaとなった。そしてこの時代に「工夫茶」と呼ばれる中国喫茶文化が形作られて行った。
茶は北方や西方の周辺遊牧民族においても大いに需要があった。もとより当時は近代栄養学の知識はなかったが、特別に加工された種類の茶は、野菜をほとんど摂取しない当時の遊牧民にとって限られたビタミンCの補給源であった。これらの地では茶の生産が不可能であるため、中国との交易に依存していた。現在でもチベットやモンゴルの伝統的食生活では茶は欠かせないものである。
茶がいつ日本に伝わったのかははっきりしていない。茶は薬用として禅宗の修行に用いられていることから僧侶が関わっているとみられる。かつては栄西によってもたらされたのが最初と考えられていたが、最近の研究によればすでに奈良朝の頃伝来していた可能性が強い。ただし、古代に伝わった茶は纏茶(てんちゃ)であったと考えられる。『日本後紀』では、弘仁6年(815年)の嵯峨天皇の近江行幸の際、唐から帰朝した梵釈寺(滋賀県大津市)の僧永忠が茶を煎じて献上したと記されている。だが、平安時代に入って文化が、純和風に変わりつつあったと同時に、茶も次第に廃れていった。茶の栽培は栄西が中国から茶の苗木を持ち帰ったのが最初と考えられていたが(そこから日本に喫茶の習慣を広めたとされた)、空海(806年に唐から種子を持ち帰り製法を伝えた)や最澄も持ち帰り栽培したという記録がある。当初は薬としての用法が主であった(戦場で、現在の何倍も濃い濃度の抹茶を飲んで眠気を覚ましていた、等)が、栽培が普及すると共に嗜好品として、再び飲まれるようになった。一時(貴族社会の平安時代の遊びとして)中国のように闘茶が行われることもあったが、日本茶道の祖・南浦紹明により、中国より茶道具などど共に当時、径山寺などで盛んに行われていた茶会などの作法が伝わり、次第に場の華やかさより主人と客の精神的交流を重視した独自の茶の湯へと発展した。当初は武士など支配階級で行われた茶の湯だが、江戸時代に入ると庶民にも広がりをみせるようになる。煎茶が広く飲まれるようになったのもこの時期である。茶の湯は明治時代に茶道と改称され、ついには女性の礼儀作法の嗜みとなるまでに一般化した。
茶は江戸時代前期では贅沢品として、慶安御触書でも戒められていたが、やがて有利な現金作物として生産が増えて大いに普及した。生産者にとっては現金収入となる一方で、金肥といわれた干鰯や油粕のような高窒素肥料を購入しなければならなかったので、生産地では農村への貨幣経済浸透を促した。
明治時代になって西洋文明が入ってくると、コーヒーと共に紅茶が持込まれて徐々に普及していくこととなる。昭和期に芸能マスコミの話題(ピンク・レディーが「減量のためにウーロン茶を飲んでいる」と言ったこと)からウーロン茶が注目を集め、缶入りウーロン茶が発売されると一般的な飲み物として定着した。また、この流行のため中国では半発酵茶が主であるかのようなイメージが広がった。缶入りウーロン茶の好評を受けて飲料メーカーは缶・ペットボトル入りの紅茶・日本茶を開発し、ひとつの市場を形成するに至った。その一方で堅苦しい礼儀作法が敬遠される傾向が強まり、茶道は一般的な嗜みから、趣味人の芸道としての存在に回帰しつつある。
朝鮮半島には首露王の妃である許黃玉がインドで茶の種子を持ってきたという伝説があるが、新羅興徳王3年(828年)12月に大廉が茶の種子を唐から持って来て智異山に植えたという記録が最初である(『三国史記』)。しかし、緯度が高く気候が茶の栽培には適さず、生産量は限られたものであった。また、その品質も悪く、後述の『高麗図経』では「土産茶、味似苦渋不可入口(高麗産の茶は苦くかつ渋いので口にしてはいけない)」と記されている。『三国史記』や『三国遺事』に現れる茶に関する記述は、大部分が僧侶にまつわる話であって、当時寺院を中心に喫茶が儀礼と関係して用いられていた様子が窺われる。さらに、中国宋王朝の使節である徐兢の記録『高麗図経』(正確には『宣和奉使高麗図経』)からは高麗の喫茶法が確認されるが、その記述が不十分なことから、当時の喫茶法については明確でない。熊倉功夫氏などは抹茶法であったと推測しているが[6]、宋時代の抹茶法では用いない「湯鼎」を使う、あるいは、明時代の茶書『製茶新譜』で団茶法(鼎や鍋で茶葉を煮出す方法)に対して用いられている動詞「烹」を使うなど、疑問点が多い(抹茶の場合は通常「点」を用いる)。
李氏朝鮮時代には崇儒廃仏によって仏教的な文物の多くは破棄されており、この時期に喫茶の風習も途絶えていたとみなされる場合が多い。しかし、慶尚道慶州府、全羅道羅州牧、南原都護府などで茶が生産されており、王宮では贈答用の「天池団茶」という固形茶も製造されていた(さらに「青苔銭」と呼ばれる固形茶もあったようである)。なお、日本による併合後に持ち込まれた茶の品種に対して、DNAの形質から区別される在来種を「韓国野生茶」と呼んでいる。このように李朝においても製茶自体は存続していたが、しばしば記録に登場する高級茶は中国からの輸入品であったようである。
李氏朝鮮の喫茶法は古い喫茶道具や文献資料の不足から不明な点が多いが、『朝鮮王朝実録』の記録からは中国明王朝の使節を迎える際に、茶を用いた儀礼(茶禮)が行われていた様子が確認、文禄・慶長の役の時に明の宋応昌が南原の茶は高品質と言った記録もある。また、清への朝貢物品の中で1637年から1645年まで茶千包が含まれていた。とは言え、前述のように茶葉の産出量が少なかったことから、使用される茶葉は北京からの輸入品が主であった。
このように、茶の国内への供給量がごく限られたものであったことから、茶葉を用いた喫茶の習慣は上流階級や一部の寺院のみのものであった。このため、朝鮮半島で「茶」と言う場合は、中国・日本などで言われる「茶」ではなく、木の根などを煎じた薬湯や、果実を湯に浸した物(柚子茶)等を指す場合が多い(韓国伝統茶)。また、茶の代用として炒米に湯を注ぐ「こがし」も日本同様に行われていた。なお、李氏朝鮮時代の文献『朝鮮歳時記』には、中国で茶の新芽を意味する「雀舌」が、杉など他の植物の新芽を指している例も見られる。
李氏朝鮮の末期には大興寺の禅僧草衣が現れ、『東茶頌』『茶神伝』などの著書を遺しているが、同書の章立は宋・明の茶書に近いものがある。
明治9年(1876年)7月に、日本政府が日朝修好条規に基づき、条規付録や通商章程を協議決定するため宮本小一外務大丞を京城へ派遣した際の記録で、宮中での食事、建物、一般情勢の記録には茶について「茶(緑茶)は無い。干した生姜の粉と陳皮(蜜柑の皮を干したもの)を砕いたのを煎じたものを「茶」としている。貴人はこれに人参(朝鮮人参)を入れて人参湯と称する。つまり、煎じ薬を飲むにも似ている」とある。
なお、文献資料からは朝鮮半島において例外的なものを除いて「茶道」という言葉が使われておらず(確認される限り『茶神伝』の1箇所だけである)、儀式としての「茶禮」(タレ)に重点が置かれていた。朝鮮半島における「道」の語は通常道教(道家思想)を意味するものであり、芸道修行意図で用いられている日本の「茶道」とは無関係であり、朝鮮で抹茶(点茶法)が飲まれていた資料も無い。
韓国の喫茶文化組織としては以下の団体が挙げられる。
ヨーロッパに茶が伝わったのは16- 17世紀。当初は緑茶が主流で抹茶も飲まれていた。18世紀には紅茶が広く愛用され、イギリスでは午後の喫茶の習慣が起こった。初期には熱すぎて飲めないということでカップの茶をソーサーに移し、冷ましてから飲むという習慣ができた。その後、大陸部ではコーヒーが入り、ヨーロッパ大陸の水が硬水でコーヒー向きだったことからイギリス以外では茶はコーヒーに取って代わられた。
イギリスに茶が入ってきた頃は、砂糖や新鮮な柑橘類は貴重品で、砂糖は薬とみなされていた。そのため、貴族や金持ちは財力を見せびらかすため、茶に砂糖を入れて飲んでいた。また、航海の最中には、船長などごく限られた人がレモンなどの柑橘類の果汁を入れた茶を飲み権威を示していた。一方、肉体労働者は、疲労回復のために茶にミルクを入れて飲んでいた。
紅茶が伝わった頃はイギリスでは一般庶民も貴族や上流階級の人々も1日2食が普通であった。また上流社会では夕食時間も夜7時から8時頃が主流であったため、当然正午過ぎから午後2時、3時頃に空腹を紛らわすために茶と簡単な軽食を摂るようになった。これがアフタヌーン・ティーの始まりとされる。
また、イギリスから植民地のアメリカに輸出された紅茶には高い植民地税が課せられており、これを不満とする市民が起こしたボストン茶会事件が原因でアメリカ独立戦争が起きてアメリカ合衆国誕生のきっかけとなり、加えて、アメリカ全土で紅茶ではなくコーヒーが愛飲される原因ともなった。
チャは栄養生長部である葉を収穫するため、栄養に富み湿度の高い所で栽培すると良いものが作れる。これはミカンのような生殖生長部を収穫するものとは逆の環境である。
土壌が酸性であることを好み、最適pHは5である。お茶の品質は一般に窒素を多くするほど向上する(ある程度以上では効果は薄い)。そのため多施肥化が進み、日本などでは硝酸態窒素による地下水汚染が問題になっている[7]。
チャは古くから種子を蒔いて増やしていたが、1955年(昭和30年)頃に挿し木技術が確立された[8]。種子から育てたチャは、親木の性質をそのまま受け継ぐことがほとんどなく、葉の色、形、芽の伸び始める時期などが様々で不均一である。一方、挿し木で増やしたチャは性質が同じで、よく揃って芽が伸びるので都合が良い。また、挿し木技術の確立と前後して、茶業研究機関によってチャに自家不和合性があることが明らかにされた。その結果、茶園への栽培品種の導入が促進されることになった。今日ある茶園の多くでは、挿し木によって増殖された同一品種が栽培されるようになっている。
日本では静岡県(牧之原台地を筆頭に県下全域)で最も多く栽培されている。
※出典:農林水産統計・2004年(平成16年)産茶生産量[1]
最大の産地である静岡県に次ぐ第2位の鹿児島県は、一般にはあまり知られていない。宇治茶や狭山茶のような産地銘柄を表示する際には、当該府県産原料が50%以上含まれていればよいため、これらの茶のブレンド用、あるいは緑茶飲料用に消費されているものと思われる。
現在、日本全国で栽培されている茶樹の9割をやぶきた一品種が占めている。 最近では、おくみどり、さえみどり、つゆひかりなどの新しい品種の栽培に積極的な茶農家も増えてきている。
霜害を防ぐため、畑には県などの補助金により防霜ファン(電柱の天辺に下へ向けた扇風機が取り付けてある)が設置されている。
2008年(平成20年)度税制改正において、法人税等の「減価償却資産の耐用年数等に関する省令」が改正され、別表第四「生物の耐用年数表」によれば2008年(平成20年)4月1日以後開始する事業年度にかかる茶樹の法定耐用年数は34年となった。
茶葉は、主に中国・インドとその周辺のアジア地域で生産されているが、アフリカ・中南米・ヨーロッパでも生産されている。
全生産量 3,640,191トン (上記外の生産国のシェア 6.7%)
茶の木の葉には酸化酵素が含まれている。葉を摘んで揉むと、葉の組織が壊れて細胞の内容物が混ざり合い、酸化酵素による酸化発酵が進んでいく。この発酵をどのようにコントロールするかにより、いくつかの種類に分けることができる。
このほかに、ある種の蛾の幼虫に茶葉を食べさせて、不完全な消化状態の、ある程度発酵した糞を利用する「虫屎茶」というものもある。
茶には各種有効成分が知られており、昔は薬用を目的に飲用されてきた。
また、これら以外にも、茶葉を使った料理は日本や中国を中心に様々なものがある(参考:AllAbout お茶を使った料理たち)。
茶葉を使用しない嗜好性飲料も総じて「茶」と呼ばれることがある。こういった茶ではない「茶」の多くはチャノキ以外の植物に由来するものであり、葉や茎、果実、花びらなどを乾燥させたものを煎じて使用する。 また、それら茶ではない「茶」のうちで中国茶に含まれるものを中国語では「茶外茶」(cf.)と呼び、本来の茶を「茶葉茶」と呼んで区別することも行われている。
ほかにも、真菌類・動物に由来するものがわずかながら存在し、さらに中国の華中地区では、白湯(さゆ)さえも「茶」と呼ぶことが少なくない。
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茶に由来する色名は多数にのぼるが、ここでは基本的かつ代表的なもののみを記す。
その他、茶製造に関する労働歌、民謡として「茶摘み歌」「茶揉み歌」などが各地にある。またこれらに、茶に関する童謡や歌謡曲を含めて「茶歌」と言われることがある。
![]() 07:40 | 茶とけんの歌舞伎コント |
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![]() 00:41 | 空耳:謎の男 vs 茶虎刑事 |
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![]() 09:01 | 割れ目でポン 加藤茶の大三元 |
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![]() 02:09 | 「茶の味」予告編 |
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![]() 08:22 | ドリフ大爆笑 志村けん&加藤茶 の いねむり |
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