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株式会社 髙島屋
Takashimaya Company, Limited
| 種類 |
株式会社 |
| 市場情報 |
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| 本社所在地 |
日本
〒542-8510
大阪府大阪市中央区難波五丁目1番5号 |
| 設立 |
1919年(大正8年)8月20日
(株式会社高島屋呉服店) |
| 業種 |
小売業 |
| 事業内容 |
百貨店業、建装事業、不動産業、
金融・リース業 他 |
| 代表者 |
鈴木弘治(代表取締役社長) |
| 資本金 |
560億2,512万5,471円
(2009年2月28日現在) |
| 発行済株式総数 |
3億3,082万7,625株
(2009年2月28日現在) |
| 売上高 |
連結:9,761億16百万円
単独:7,757億74百万円
(2009年2月期) |
| 純利益 |
連結:117億50百万円
単独:35億42百万円
(2009年2月期) |
| 純資産 |
連結:2,819億11百万円
単独:2,342億02百万円
(2009年2月28日現在) |
| 総資産 |
連結:7,509億57百万円
単独:6,163億85百万円
(2009年2月28日現在) |
| 従業員数 |
連結:9,644名
単独:6,724名
(2009年2月28日現在) |
| 決算期 |
2月末日 |
| 主要株主 |
エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社 10.00%
日本トラスティ・サービス信託銀行(株)(信託口) 8.53%
日本生命保険相互会社 5.04%
森トラスト株式会社 4.84%
日本マスタートラスト信託銀行(株)(信託口) 4.62% |
| 主要子会社 |
高島屋スペースクリエイツ(株) 100%
東神開発(株) 100%
高島屋クレジット株式会社 67% |
| 関係する人物 |
飯田新七(創業者) |
| 外部リンク |
www.takashimaya.co.jp |
| 表・話・編・歴 |
株式会社 髙島屋(たかしまや、英称:Takashimaya Company, Limited)は、大阪市中央区難波に本社を置く日本の百貨店。日本百貨店協会に加盟している。本店は大阪店。
一般には、高島屋と新字体「高」で書かれることが多い。
概要
1831年(天保2年)、京都で飯田新七が古着・木綿商を開く。海外の博覧会に豪華な刺繍を施した着物などを出品し、数々の賞を受賞したことで、その後、宮内省御用達の栄誉を冠する。1919年には改組し、株式会社 高島屋呉服店として長堀橋に店を構える。のちに1932年、現在の大阪店を竣工し、東洋一の規模を誇る大規模百貨店を開店する。また、翌年1933年には、東京・日本橋に東京店を開店させ、知名度を飛躍的に高めた。戦後に入ると、相模鉄道と合弁し、横浜高島屋を開店させるなど、主要都市の要所への大型店舗の展開を成功させ、今日の地位を築いてゆく。
日本におけるショーウィンドウを早くから導入した百貨店でもあり、1969年には、初の郊外店となる玉川高島屋SCを成功させ、その後の百貨店経営のモデルを打ち立てたことでも知られる。バラの花をイメージフラワーとして採用し、現在でも包装紙などに用いられている[1]。
売上の多い順に横浜店、東京店、大阪店、京都店と、大型店が多いのが特徴だが、横浜店と大阪店はターミナルデパートであるため、通過客が多い。だが、年商は法人・個人の外商や分店の売上などを含めれば1000億以上の店舗を複数(2008年2月期で上記4店舗[2]、関連会社のJR名古屋店も併せると5店舗)有している日本で唯一の百貨店である。また営業利益率は、単独で2.74%、百貨店連結で2.74%である。
同社は、関係の深い地方百貨店と提携しているハイランドグループという百貨店共同体の中核企業である。ただし、グループ各社との間では、業務提携関係は有するものの、資本関係を持つものではない。
また、J.フロントリテイリングや三越伊勢丹ホールディングスの発足といった業界再編が進む中、大手老舗百貨店では数少ない独立系百貨店であった。しかし、同社は2008年10月に、電鉄系百貨店の阪急百貨店、阪神百貨店を傘下に持つエイチ・ツー・オー リテイリングとの間で、2011年4月を目処に経営統合する予定であると発表した。
なお、高島屋自身は、みどり会(UFJグループ)の会員企業だが、ハイランドグループ自体は、UFJグループとは別である。
2007年に朝日新聞がとったアンケートで、「好きな百貨店」の第1位に他に大差をつけて選ばれた。
沿革
- 1831年(天保2年) - 初代の飯田新七が、京都烏丸松原で、古着・木綿商(屋号「たかしまや」)を創業。屋号は、飯田新七の養父・儀兵衛が、近江国高島郡(現在の滋賀県高島市)の出身であることによる。幕末には官軍に物資を調達した。
- 1898年(明治31年) - 心斎橋に進出。
- 1909年(明治42年) - 髙島屋飯田合名会社を設立
- 1916年(大正5年) - 貿易部門が高島屋飯田となる。[3]。
- 1919年(大正8年)8月20日 - 髙島屋飯田合名会社が組織変更し、株式会社高島屋呉服店創業。
- 1922年(大正11年) - 長堀橋に移転。南海が難波駅にターミナルデパートを開設するに当たり、現在地に大阪店を移転。東京へは日本生命の建設したビル(かつての日本生命館)を借りて日本橋の現在地に進出。
- 1930年(昭和5年)12月 - 株式会社髙島屋に商号変更。
- 1949年(昭和24年)5月 - 大阪証券取引所及び東京証券取引所に上場。
- 1952年(昭和27年) - バラの花をイメージフラワーとして採用。
- 1959年(昭和34年)の当時の皇太子明仁親王(今上天皇)の御結婚より放送を開始した毎日放送制作・TBS系全国ネットの皇室報道番組「皇室アルバム」のスポンサーを1980年代より務める(2003年(平成15年)3月で降板し、同番組のスポンサーは資生堂に変わっている)。
- 1963年(昭和38年)12月 - 東神開発株式会社を設立。
- 1973年(昭和48年)8月 - 株式会社髙島屋友の会を設立。
- 1981年(昭和56年) - ダイエーと業務提携開始。
- 1990年(平成2年)年9月 - 株式会社関東髙島屋(立川店・大宮店・柏店・高崎店運営会社)を吸収合併
- 1995年(平成7年)9月 - 株式会社横浜髙島屋(横浜店・玉川店・港南台店)、株式会社岐阜髙島屋(岐阜店)、株式会社泉北髙島屋(泉北店)、株式会社岡山髙島屋(岡山店・津山店)、株式会社米子髙島屋(米子店)の百貨店子会社5社を吸収合併。売上高は百貨店業界で日本一になる。
- 1997年(平成9年) - 株主総会対策を巡る商法違反事件が発覚。1996年までの7年間で約45億円の申告漏れを指摘される。
- 2003年(平成15年)9月 - 米子店について会社分割を行い、子会社として株式会社米子髙島屋を設立。
- 2004年(平成16年)4月 - 岡山店、岐阜店、高崎店の3店舗について会社分割を行い、子会社としてそれぞれ株式会社岡山髙島屋、株式会社岐阜髙島屋、株式会社高崎髙島屋を設立。
- 2008年(平成20年) - 大阪国税局の税務調査で、約2億9,500万円の申告漏れを指摘される。
- 2008年(平成20年) - エイチ・ツー・オー リテイリングおよび子会社の阪急阪神百貨店と3年以内の経営統合と目指すことで合意、資本・業務提携を行うと発表。
- 2009年(平成21年) - 資本提携の一環としてエイチ・ツー・オー リテイリングと高島屋が相互に株式の10%を取得した。
- 2010年(平成22年)1月29日 - 子会社の株式会社岡山髙島屋が、両備ホールディングス株式会社と資本・業務提携。4月1日、両備HDに対して、第三者割当増資(株式の33.4%)を実施。
直営店舗
大阪店
東京店(日本橋店)
新宿タカシマヤタイムズスクエア
京都店
玉川店(玉川高島屋SC)
立川店
高崎店
米子店
直営店
20店舗(分店6店舗含む)
- 大阪店(大阪市中央区)[4]:登記上の本店。南海難波駅に併設[5]。開業時は「南海タカシマヤ」と呼称。建物(南海ビルディング)は南海電気鉄道[6]が所有。久野節(久野節建築事務所)設計、大林組施工のコリント様式の近代名建築であり、日本の百貨店では初めて冷暖房を完備した。昭和初期の竣工。御堂筋の終端に位置し、名実共に難波(ミナミ)の中心地に位置する。店舗面積73,492m²。なお、後述する再開発が完了すると、現在の店舗面積と合わせ日本最大級の百貨店へと変貌することになる。
- 泉北店(堺市南区):南海から乗り入れる泉北高速鉄道の泉ヶ丘駅前で、横浜市の港南台店と同様に泉北ニュータウン駅前ショッピングセンターに併設(同ショッピングセンターを含む駅前商業施設を「パンジョ」といい、大阪府都市開発の子会社である、株式会社パンジョが管理している。株式会社パンジョにとって高島屋泉北店は核店舗である)。店舗面積23,519m²。なお、2006年現在、当店が大阪府下の百貨店としては最南端である。
- 京都店(京都市下京区):京都は高島屋発祥の地であるが、同店は本店ではない。1950年(昭和25年)10月に創業の地である烏丸高辻(現京都銀行本店)から現所在地の四条河原町に店舗を移転した。同店は地下で阪急河原町駅とつながっている。ビルの一部は阪急阪神東宝グループが所有。店舗面積55,446m²。正面玄関左横の土地の一部が買収できずに建物の外観としては凹んだ歪な様相を呈している。
- 東京店(日本橋店、中央区):日本生命が1933年(昭和8年)に建設した現本館を賃借する形で現在地へ移転。日本橋三越本店および新宿伊勢丹本店本館と並び東京都選定歴史的建造物に選定された重厚な建物で、テレビCM等に登場するなど地域のランドマーク的存在である。またその佇まいから高島屋の本店ないし日本橋三越本店と混同されることも多い。「上質生活百華店」を目指す高島屋の象徴店舗(フラッグシップストア)の1つに位置づけられ、皇族やVIPの利用も多く同社を代表する店舗である。店舗面積50,499m²。正式名称は東京店だが、ホームページや広告・パンフレットなどでは「日本橋店」もしくは「日本橋タカシマヤ」と称している。通称「日高(ニッタカ)」。一時は増床のために建て替え計画が検討されていたが、2009年6月30日付けで百貨店の建物としては初の重要文化財に指定された。
- なお余談ではあるが、東京メトロ銀座線にて、日本橋駅の案内アナウンスをする時に『次は日本橋・高島屋前』とアナウンスするのは、東京メトロ銀座線の前身・東京地下鉄道が地下鉄建設時に資金難で思う様に建設出来なく、高島屋が資金提供をして地下鉄を建設した経緯がある為で、その時の特約としてスポンサーとしてアナウンスをしている経緯があるからである。高島屋が東京メトロに広告料を払ってアナウンスしてもらっている訳ではない。
- 新宿店(渋谷区):旧国鉄の貨物操車場跡地を国鉄清算事業団による再開発により1996年(平成8年)に竣工したタカシマヤタイムズスクエアの主テナント。2006年まで家主であったレールウェイ東開発(独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構子会社)への年120億円という家賃負担が重く大幅な赤字が続いていたが、契約期間満了に伴う一部自社物件化などで賃料が大幅に減少し赤字は大幅に減少。テコ入れを図るため、100億円を投資し、2007年(平成19年)春に全面改装を行った。店舗面積53,960m²。店舗はJR新宿駅新南口と直結しているものの、京王線・小田急線の改札口からは幾分離れている。2008年に東京地下鉄副都心線新宿三丁目駅が店舗寄りの明治通り直下に開業することに伴い、地下連絡通路が設けられた。
- 立川店(立川市):元々はJR立川駅北口前(みずほ銀行立川支店の東側のモノレール線路付近)に位置していたが、バスターミナルや多摩都市モノレール立川北駅などの建設に伴う駅前再開発により、都市再開発地区のファーレ立川内に移転した。その後、高島屋旧店舗の跡地近くに移転した伊勢丹立川店との競合で、売上は地区2位に転落した。店舗面積32,007m²。
- 玉川店(世田谷区):1969年(昭和44年)に開店。玉川高島屋S.C.の核店舗。日本初の本格的な郊外型百貨店として成功し、今日でも城南地区の基幹店舗である。通称タマタカ。店舗面積24,800m²。
- 横浜店(横浜市西区):当初は相模鉄道との合弁であったため、相模鉄道の所有している駅ビルである相鉄ジョイナスに入居している。駅裏口で油槽所の跡地を同社が取得し、当時の相鉄経営陣が当初は直営百貨店を作ることを、次いで三越の誘致を検討したがいずれも成功せず、漸く高島屋の誘致に漕ぎ着けたが、それでも最初は「高島屋ストア」としての出店であった。高島屋の多店舗化は同店の好調に刺激される形で始められた。現在も売上高などで事実上の旗艦店舗。一時は売り場面積でデパートとして国内最大になったこともある。店舗面積53,950m²。なお、横浜店の売上には、港南台店の売上も含んでいる。
- 大宮店(さいたま市大宮区):JR東日本・東武・埼玉新都市交通大宮駅東口。店舗面積17,300m²。
- 柏店(柏市):JR東日本・東武柏駅西口。東武鉄道と提携してステーションデパート(柏高島屋ステーションモール)として展開。2008年10月1日に新館がオープンした。店舗面積:T館18,860m²+S館8,650m²、ステーションモール全体で50,810m²。
- 高崎店(高崎市):店舗面積19,632m²。
- 岐阜店(岐阜市):岐阜市の繁華街である柳ヶ瀬(やながせ)に立地。岐阜市内に残る唯一の百貨店。店舗面積23,916m²。当初、大垣市の百貨店・ヤナゲンとの合弁で「ヤナゲン高島屋」として計画されたが、最終的には高島屋単独で開店した。
- 岡山店(岡山市北区):JR西日本岡山駅東口。中四国最大規模の地下街、岡山一番街と直結。1973年(昭和48年)5月、山陽新幹線岡山開業後に開店。村野藤吾設計の「日本生命岡山駅前ビル」にテナントとして入居。店舗面積18,701m²。
- 米子店(米子市):日本海側唯一の店舗。店舗面積16,909m²。
関連店舗
いよてつ髙島屋(愛媛県松山市)
ジェイアール名古屋タカシマヤ
関連会社の百貨店の店舗
日本国内2店舗
日本国外2店舗
- シンガポール髙島屋百貨店 - 東南アジア一のショッピング・ストリート、オーチャード通りに面する。
- 大葉高島屋百貨店(台湾・台北市)- 故宮博物院の近く、台湾の高級住宅街の天母に立地。
百貨店業以外の店舗
日本
東神開発
海外
過去に存在した高島屋の店舗
(出店予定だった店舗を含む)
POSシステム
これからの増床・改装予定など
- 大阪店
- 大阪店では現在、店舗東側に建っている新事務館・事務別館・別館・南分館・南別館の後方施設を取り壊し、新館「TE館」を建設している。計画では、現店舗の一部のみを改装する予定だったが、計画を大幅に見直し、既存の本館と一体化をし「新本館」とする事になった。投資額は340億円。2万2000m²を増床し、2006年(平成18年)秋に着工して2009年秋に開業する計画であった。
- 工期は阪急百貨店梅田本店と同じ二期に分けて行われ、第1期の南部分(事務所棟)が2007年(平成19年)冬に竣工し、2008年1月から使用を開始した。
- 残りの第2期の部分は2009年秋に竣工した(2009年の竣工を目指している南海ターミナルビル改装工事と同時プロジェクト)。
- 現在の店舗で売り場が分散しているブランド店と洋品雑貨、レストランをそれぞれ集約・拡充し、高島屋大阪店の売り場面積は、約65,000m²であるが、これに22,000m²のTE館を加えて日本最大級規模にする予定であった。
- 当初の計画では、既存の本館は接続部分を中心に半分程度を改装する予定だったが、全てのフロアを改装する事になった[9]。これは「TE館」と現本館を「新本館」として統合し、本館部分の売場を大幅に改装する事で顧客を確保する事に加え、2009年3月に開通した阪神なんば線による此花・西淀川・尼崎・西宮・芦屋・神戸・姫路方面からの顧客獲得を狙った戦略とみられた。
- ところが2007年10月に全面開業を当初計画(2009年秋全面開業)から一年先送りし、2010年秋に変更すると発表した[10]。既存建物(本館)の改装を段階的に実施し、売り場の閉鎖など工事に伴う売り上げへの影響を最小限に抑えるのが狙いである。
- まず、増床のために新設する「TE館」を当初計画通り2009年秋に開業。TE館の売り場を活用し、売上高の落ち込みを最少に抑え込む一方、本館の改装をより効率的に進める考えで本館については全面改装と合わせ、建物を所有する南海電鉄グループと抜本的な施設改修にも取り組む。
- 2009年秋完成時には南海・難波駅のホームに直結した出入り口を本館3階に新設するほか、三菱東京UFJ銀行(旧UFJ店舗の難波支店。現在は東向かいにある旧東京三菱店の難波駅前支店にブランチインブランチ)が使用していた本館の地下一階―地上二階(銀行移転後の跡地は約1,300m²)の一部を売り場に変更。本館とTE館の行き来の利便性を確保するほか、隣接する南海難波駅や商業施設「なんばCITY」「なんばパークス」との回遊性も高める。
- 隣接する南海電気鉄道などの再開発事業「なんばパークス」の2期計画でも、高島屋は33億円を投じて、5,800m²の専門店街をつくり、2007年(平成19年)4月に開業した。
- 2010年1月13日に同社は、3月2日に増床部分・22,000㎡を第1期分として先行開業する予定であることを発表した。その後同年10月には、既存店舗を改装し第2期分としてオープン、そして翌2011年春には、増床分をあわせて計78,000㎡の大阪地区でも最大級となる規模で全館グランドオープンを予定している。
- 横浜店
- 2008年2月期に全面改装に着手する。投資額は約150億円。
丸井今井支援への動き
2009年2月19日の各報道によれば、民事再生法を申請した札幌市の百貨店「丸井今井」の支援企業として高島屋が名乗りを上げたことが判明した[11]。理由として高島屋の店舗が北海道に存在しないことが挙げられており、元々の提携先である伊勢丹(三越伊勢丹ホールディングス)の対応次第では、高島屋傘下に移行して再建を図る可能性があると見られていた(経営統合の結果直系となった三越札幌店や,伊勢丹と業務提携関係にある東急百貨店札幌店との調整を迫られる事になる)。
4月19日には、札幌の本店の他、旭川・函館・室蘭の計4店の支援を表明した高島屋が、丸井今井の支援企業となることに合意した、との報道発表があった(三越伊勢丹HDは、札幌と函館の2店舗のみの支援を表明)。しかしその後、高島屋側と丸井今井側との間で、支援額などの条件で折り合いが付かなくなり、合意は白紙撤回され、結果的に4月30日、三越伊勢丹HDが丸井今井の支援企業に決定した。
関連会社
- 株式会社アール・ティー・コーポレーション(中央区)
- 株式会社伊予鉄高島屋(松山市)
- 株式会社エー・ティ・エー(中央区)
- 株式会社グッドリブ(中央区)
- 株式会社ジェイアール東海高島屋ジェイアール名古屋タカシマヤ運営。(名古屋市中村区)
- 株式会社センチュリーアンドカンパニー(中央区)
- 高島屋クレジット株式会社(中央区)
- 高島屋スペースクリエイツ株式会社(中央区)
- 株式会社高島屋友の会(中央区)
- 高島屋ビジネスサービス株式会社(中央区)
- 高島屋ビルメンテナンス株式会社(千代田区)
- 株式会社高島屋物流(中央区)
- 高島屋保険株式会社 (中央区)
- 高島屋テレコム株式会社(中央区)
- 株式会社タップ(大阪市浪速区)
- たまがわ生活文化研究所株式会社(世田谷区)
- 東神開発株式会社(世田谷区)
- 株式会社ファッションプラザ・サンローゼ(渋谷区)
- 株式会社ロジエ(港区)
- ほか
かつての関連会社
- 相鉄ローゼン - 相模鉄道系列のスーパーマーケット。相模鉄道と高島屋が設立した合弁会社、株式会社相高の流れを汲んでいた。後に吸収合併される際に商号変更が行われたが、高島屋にちなんで『ローゼン』(バラ)の名がつけられた。高島屋はその後、同社の経営から手を引き、現在は相模鉄道が完全子会社化している。お中元、お歳暮の包装紙に高島屋のものを使用できる。
- 「高島屋ストア」(当初は丸高ストア)- 大阪南部を中心にスーパーマーケットを数店営業していた。全店舗をイズミヤに営業譲渡。「デイリーカナート」として営業中。
- 高島屋日発工業 - 当社及び子会社の「高島屋工作所」と日本発条・トヨタ自動車によって設立された、自動車内装メーカー。高島屋がトヨタに株を売却したことから経営からは撤退し、社名も「タカニチ」に変更。現在は合併によりトヨタ紡織となっている。
- トヨタカローラ高島屋 - 1980年あたりまで、都内にトヨタカローラ店を展開していた。現在の消息は不明。
提供番組
- 現在はなく、全て過去
この他、新婚さんいらっしゃい!(朝日放送[12])―ペアマッチでの出場者プレゼント(スポンサー各社からの提供分を除く)の発送を担当している。
補足
- ^ 包装紙等に使われているシンボルフラワーのバラの品種は、1980年よりモダンローズが使用されていたが、2007年4月19日からイングリッシュローズに切り替えられる。
- ^ 京都店は洛西店を含めなくても1000億を超える
- ^ 1955年(昭和30年)に丸紅と合併し丸紅飯田となった(1972年(昭和47年)、再び丸紅と改称)。丸紅はもともと同根の伊藤忠商事とともに住友銀行(現在の三井住友銀行)の融資系列下にあったが、高島屋飯田が戦後富士銀行(現在のみずほコーポレート銀行)の融資系列に移行したため、合併後の丸紅は芙蓉グループの中核企業となっている。百貨店の髙島屋は三和銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)の「三水会」に参加していたが、上記の関係でみずほグループとも関係がある
- ^ 大阪・日本橋にある高島屋別館は、旧松坂屋大阪店の建物を利用したもので、外観や階段などは松坂屋時代のままである。館内に「高島屋史料館」があり、高島屋の歴史がよく分かる。
- ^ 当時は南海難波駅も同じ建物内に入居していたが、戦後の改装時に難波駅自体が和歌山方にずらされ現在は高島屋のみ。
- ^ 南海電気鉄道の主要株主でもある。百貨店を子会社に持たない南海電鉄は高島屋と提携している。
- ^ 港北ニュ-タウン事業推進連絡協議会発行「港北ニュ-タウン」
- ^ 「横浜流通戦争」1993年苅谷昭久著、オーエス出版社 ISBN 4871903613
- ^ 既存の本館の他に南海ターミナルビル改装工事と耐震化の工事も兼ねた様子、段階的に耐震工事をしながらの改装を進める予定であった。
- ^ 読売新聞(関西)2007年10月10日「高島屋 大阪店改装の工期延長」
- ^ 高島屋が丸井今井支援へ名乗り 読売新聞、2009年2月19日
- ^ 朝日放送の発足時からの大株主であるが、2008年現在、一社提供番組は持っていない。
ギャラリー
関連項目
外部リンク
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