| 鳩山 由紀夫 (はとやま ゆきお) |
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第93代
日本国 内閣総理大臣 |
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| 在任期間 | 2009年9月16日 - (現職) |
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| 生年月日 | 1947年2月11日(62歳) | |
| 出生地 | 日本 東京都文京区 | |
| 出身校 | 東京大学工学部卒業 スタンフォード大学 大学院修了 |
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| 学位・資格・称号 | Ph.D.(スタンフォード大学) | |
| 前職 | 専修大学経営学部助教授 | |
| 世襲の有無 | 4世 曽祖父 : 鳩山和夫 祖父 : 鳩山一郎 父 : 鳩山威一郎 |
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| 選挙区 | (旧北海道第4区→) 北海道第9区 |
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| 当選回数 | 衆8回 | |
| 党派 | 民主党
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鳩山 由紀夫(はとやま ゆきお、1947年(昭和22年)2月11日 - )は日本の政治家。学位はPh.D.(スタンフォード大学)。内閣総理大臣(第93代)、衆議院議員(8期)、民主党代表(第7代)。
内閣官房副長官、(旧)民主党代表、民主党代表(第2代)などを歴任した。第52・53・54代内閣総理大臣・鳩山一郎は父方、ブリヂストン創業者の石橋正二郎は母方の祖父。第10代総務大臣の鳩山邦夫は弟。
血液型はO型。尊敬する歴史上の人物としてジョン・F・ケネディを挙げている[1]。
目次 |
東京都文京区に大蔵官僚だった父・鳩山威一郎、母・安子の長男として生まれる。学習院初等科、学習院中等科、東京都立小石川高等学校を経て、東京大学工学部応用物理・計数工学科を卒業。その後、スタンフォード大学の博士課程でオペレーションズ・リサーチを専攻しPh.D.を取得(1970-1976年)。東京工業大学助手(1976-1981年)を経て、専修大学経営学部助教授(1981-1986年)[2]。
政治家を志したきっかけは中川一郎の存在だったという[3]。1986年、第38回衆議院議員総選挙で、自民党の公認を得た田中派新人として、鳩山家が牧場を所有し鳩山神社という神社がある祖父の代からの地盤北海道から[4]、出馬した。鳩山事務所側は、「立候補の直接のきっかけは三枝三郎衆議院議員の引退がきっかけ」と主張している[5]。初の選挙スローガンは科学者を志望していた自身の経歴をアピールした「政治を科学する」であった[6]。得票数では同じ自民党の高橋辰夫に次いで2番目の得票数で当選した。小選挙区になった1996年以降は、鳩山家が開拓した地域は鳩山の選挙区から外れた[7]。なお、地方区分の選挙区自体は祖父と重複していないため、祖父の地盤を世襲していないと扱われている[8]。
当時39歳、弟邦夫に遅れること10年と、決して早いとはいえない政界入りだったが、豊富な資金力[9]に加え、祖父以来の人脈を背景に[10]、短期間で頭角を現し、1990年代の政界再編期に、一躍、中心的存在となっていく。
1988年には86年当選組を中心とした派閥横断的な政策集団として、後の新党さきがけの母体となる「ユートピア政治研究会」を結成、リクルート疑惑に揺れる党内にあって、自民党の巨額の政治資金の実態を明らかにして反響を呼び、1990年代の「政治改革」運動の萌芽となった。
1993年、政治改革を巡り自民党を離党。武村正義らと新党さきがけを結成参加。総選挙後、非自民・非共産連立政権で成立した細川護煕内閣では内閣官房副長官(政務)に就任し、新党さきがけ代表の武村官房長官、代表代行の田中秀征首相特別補佐、日本新党代表幹事で、後に、新党さきがけに移籍する荒井聡と共に細川内閣を支えた。
日本社会党委員長村山富市を首班とする自社さ連立政権では、さきがけ初代代表幹事園田博之の官房副長官就任に伴い、後任の幹事長として政権を支えた。
1994年秋、翌春の北海道知事選に出馬が取り沙汰され本人も乗り気だったが、村山と武村と井出正一の説得で断念[11]。自民党と自由連合の共同推薦候補伊東秀子を支持したが、横路孝弘後継で新進党と日本社会党の推薦候補堀達也に敗北した。
1995年7月、第17回参議院議員通常選挙で新党さきがけ代表幹事として山中あき子を北海道選挙区で擁立画策したが山中は辞退。
1996年春頃から新党さきがけの党名を発案した簗瀬進や簗瀬と同じ選挙区の新進党幹部船田元と新党構想を打ち上げる。船田との新党作りは挫折したが、横路、簗瀬、菅直人、弟の邦夫と共に旧民主党を結党。「排除の論理」で武村と袂を分かつ[12]。
民主党では幹事長代理を経て、1999年9月の民主党代表選挙に勝利。公約として正面から憲法改正を掲げて話題となった。2000年6月の衆院選、2001年7月の参院選など、国政選挙の度に党勢を拡大させたが、2002年12月統一補選での惨敗と自由党との統一会派騒動をめぐる党内混乱の責任を取る形で代表を辞任。
その後も、民主党内で最大派閥(民主党は「派閥」とは表現せず「グループ」としている)「鳩山グループ」(政権公約を実現する会)を率いて憲法問題や北朝鮮による日本人拉致問題などについて積極的に発言するなど一定の影響力を維持している。
2005年9月11日投開票の第44回衆議院議員総選挙で民主党が敗北したことを受けての代表選挙では、当初、小沢一郎、菅直人らと後継代表の一本化を図るが、中堅・若手の代表格である前原誠司が立候補を表明したため水泡に帰した。9月17日発足の前原執行部で幹事長に就任。
2006年2月に発生した堀江メール問題では、当時幹事長にも関わらず、ことの発端となったメールに関し、永田・前原両議員から事前にほとんど何の相談も受けていなかったとされる。3月、前原執行部が総辞職すると幹事長を引責辞任することを表明するが、同年4月7日に行なわれた前原誠司民主党代表辞任に伴う代表選で小沢一郎が当選すると、幹事長に留任した。新潟県中越沖地震発生当時、新潟市内での演説を予定していたが、高崎駅で下車して、自動車で柏崎市入りした。党新潟県中越沖地震対策本部長に就任。
2007年7月の参議院選挙大勝を受けての党役員人事で引き続き、党幹事長に留任。
2009年5月、小沢一郎代表の辞任を受け、かねてからの主張どおり党幹事長を辞職。その後の党代表選挙で岡田克也を破り、代表に就任。
2009年8月30日投開票の第45回衆議院議員総選挙にて、民主党は単独政党としては史上最多の308議席を獲得。
2009年9月16日、衆参両院の首班指名選挙を経て、第93代内閣総理大臣に就任。
「リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー#友愛の政治思想」も参照
「リベラルは愛であり、この愛は友愛である」と、祖父鳩山一郎が好んで用いた友愛という言葉をリベラルの根底においている[13]。
鳩山由紀夫の祖父、鳩山一郎は、第二次世界大戦終結後、戦前の統帥権干犯問題の責任を問われて公職追放され、追放解除目前の1951年には脳梗塞で倒れ、不運な状態が続いたことから世間の同情を集めていたが、リヒャルト・ニコラウス・栄次郎・クーデンホーフ=カレルギー伯爵と出会い、その友愛思想に感銘を受けて、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯のドイツ語の著作『Totaler Staat, totaler Mensch』(1937年) の英訳書『The Totalitarian State Against Man』(1938年) を『自由と人生』(1952年)と題して自ら翻訳出版した[14]。翌年、友愛青年同志会(現財団法人日本友愛青年協会)を結成する。
鳩山も自身の祖父の友愛思想とクーデンホーフ=カレルギーの友愛思想を政治活動の基本とし[13]、鳩山友愛塾など友愛の名前がついた組織、団体などを設立している。
鳩山は1996年に『論座』へ寄稿した論文「わがリベラル友愛革命」で、自己の尊厳を高めることに最大の努力を払う、自己を高めて初めて他者に優しく振る舞うことができる、自愛が利他を生む、意見を異にしてもそれを許容し、品格を信頼し友情を結ぶことができるという自己の尊厳の尊重が友愛精神の本質だと説いている[15]。そして、個を基本にし、党議拘束から解放された個の自由による連合、リベラルを友愛、すなわち、自己の尊厳の尊重と解した「リベラル合同」を成し遂げると主張している[16]。
マニフェスト(政権公約)については、「いつまでに何をやるという工程表をマニフェスト(政権公約)で示すつもりはない。揚げ足を取られる危険性がある」と述べており、政権公約に政策実現の目標期日を設定することに否定的である[17]。
新憲法制定議員同盟顧問を務め、憲法改正を推進している。2000年には「2年で改正試案を各党が出して、速やかに憲法改正の結論をつけよう」と呼びかけ[18]、自らも憲法試案を作成した。この改正案は鳩山の公式サイトで公開している[19]。
鳩山版の憲法改正案の特徴としては、日本の主権の一部を国際機構に移譲する、女性天皇を容認する、などがある。主権の移譲については、ヨーロッパと異なり実現は困難だが、アジア経済共同体が実現した暁には、通貨の発行権やその他を、さらに、日本の軍事組織の指揮権を国際機構に委ねることを明記している。しかし、アジア経済共同体の定義はない。天皇については元首と位置づけ、女性天皇を認めている。
『月刊現代』2004年7月号に、「私の憲法改正試案いまこそ『女帝』容認のとき」を寄稿した。同年5月4日の長野県の講演では、「皇位、皇統に属する男子又は女子が継承する」との条文を新たに盛り込むべきだと述べた。また、2005年11月18日の記者会見で、政府の「皇室典範に関する有識者会議」が出した女系天皇容認方針に寛仁親王が異論を唱える見解を示したことについて、「女系天皇に慎重な立場ということは似ている」と同調する考えを表明した。「女性天皇は当然、あってしかるべきだし、歴史的にもあるが、女系天皇まで容認すれば、日本の歴史、伝統からみると大変大きな変化であり、慎重に議論することが重要だ」と述べた。
詳細は「天皇特例会見」を参照
2009年11月26日、外務省は12月15日を予定とする天皇と習近平中華人民共和国副主席との会見を宮内庁に申請した。宮内庁側は、外務省に対し、(天皇の体調への負担と相手国への公平性の観点から)天皇と外国要人との会見は1ヶ月前に申請する(「1ヶ月ルール」)ことを求めており、実際の申請が1ヶ月を切っていたためこれを断った[21]が、鳩山由紀夫内閣の平野博文内閣官房長官は、12月7日・12月10日の両日「首相の指示。日中関係の重要性にかんがみて」と繰り返し要請した[21]。12月11日、羽毛田信吾宮内庁長官は記者会見で、「政治的利用じゃないかといわれれば、そうかなという気もする」、「現憲法下の天皇のお務めのあり方や役割といった基本的なことがらにかかわることだ」、「政治的重要性などに関わらず、平等に外国と向き合うのが陛下のなさり方」、「悲しいこと。今後二度とあってほしくないというのが私の切なる願いだ」と述べた[21]。同日、鳩山は、記者団に対して、「1ヶ月を数日間切ればしゃくし定規でダメだということで、果たして本当に諸外国との国際的な親善の意味で正しいのか」、「政治利用にはあたらない」と述べた[22][21]。
「友愛外交」も参照
1997年、北朝鮮による日本人拉致問題について、「困っているときに、拉致事件などの問題が解決しないと援助できないというのでは、彼ら(北朝鮮)の気持ちは和らげることができないのではないか」と前橋市で演説し、北朝鮮への食糧支援を訴えた。
2006年2月、拉致問題を解決するためという名目で、独立の生計を営むことができなう脱北者に対して特別永住権を与え、その定住を支援するため、居住の安定の確保、就業の支援、日本語教育等に関し必要な施策を講ずるという内容の北朝鮮人権法案を提出した[29]。
2007年4月、韓国で開催された「平和と共存のための北東アジア指導者会議」で、韓国の識者から「6カ国協議では、拉致問題と北朝鮮の核開発問題を切り離してほしい」という要望に同意するが、拉致問題に関して日本人は理屈より感情が先んじている現実があるので、ナショナリズムを抑えるために韓国の協力が必要であるとスピーチした[30]。
産経新聞によると、在日米軍再編交渉の責任者を務めていたリチャード・ローレス元国防副次官が安倍晋三元首相に対し、「アメリカ政府高官の間では鳩山を“日本の盧武鉉”と評している」と述べた(安倍によれば、ローレスは理由として同盟国の指導者としては扱えない・戦略的な話をすることが出来ない・情報を共有することができないの3点を挙げたという)[36]。同記事を執筆した阿比留瑠比は「基地問題などの対米関係の見直しを主張した韓国の盧武鉉前大統領と言動が重なる」と述べている[36]。韓国中央日報でも盧武鉉政権の初期に酷似しているとして「鳩山政権の盧武鉉式政治実験の成敗が注目される」と報じている[37]。
鳩山は『Voice』(2009年9月号)に寄稿した論文のなかで、アメリカの経済政策や日米関係の現状を批判した[38][39][37]。『ニューヨーク・タイムズ』が8月27日に論文の抄訳を掲載した[38]ところ、アメリカや台湾で「反米的」と報じられた[40][41][42][43][44][38]。
『産経新聞』はアメリカ国内の反応について、「専門家の間では論文に対して強い失望と警戒感をいだいている」と報じた[45]。鳩山は後日、「反米ではない」と述べている[46]。
鳩山の歴史認識は、韓国や中国の高官たちからは適切な歴史認識と評価されている。
2002年3月14日に発行された民主党メールマガジン「DP-MAIL」の中で、当時、自民党に所属していた鈴木宗男衆議院議員がいわゆるムネオハウス問題で離党したことに関連し、「比例代表選出議員は離党したら議員を辞職すべき」との考えを示した[75]。
政治献金に対しては、企業献金を禁止し、個人献金を推進するとした立場をとっている。
環境問題に積極的に取り組んでおり、日本の2020年までの温室効果ガスの削減目標(中期目標)について、「1990年比25%削減を目指す」ことを国際社会に約束した。この構想を鳩山は「鳩山イニシアチブ」と名づけている。
「外国人参政権#鳩山内閣総理大臣の見解」も参照
公式サイトで、「私などは、定住外国人に国政参政権を与えることをも真剣に考えてもよいのではないかと思っている」との考えを表明している[76]。
2000年1月、朝鮮総連の徐萬述(ソ・マンスル)第1副議長から「地方参政権法案」に対し、民主党が慎重に対処するよう要請されると、党独自に訪朝団を派遣意向を示すなど日朝関係改善に努力するとともに、「参政権」問題に対する朝鮮政府と総聯の立場を検討し、在日朝鮮人の権利問題解決へ方途を模索していくと答えた[77]。
2001年の第151回国会における首相施政方針演説に対する代表質問で、21世紀は「共生の世紀」、「人権の世紀」であり、そのために、永住外国人に地方参政権を与えるべきであると訴えた[78]。
2004年4月14日、在日本大韓民国民団から「永住外国人への地方選挙権付与法案」の早期成立を求める陳情を受けると、「地方参政権付与は当然だと承知している」と表明した[79]。
2008年の第169回国会における首相施政方針演説に対する代表質問で、代表質問で「永住外国人の地方参政権はすでに韓国に先を越されたではないか」と述べ、日本も早く実現すべきとの姿勢を強調した。これに対して、福田康夫首相は「永住外国人に対する地方参政権付与の問題について、韓国の状況は承知しておりますが、この問題は、我が国制度の根幹にかかわる重要な問題でもございまして、各党各会派において議論を進めていただきたいと考えております」と返答した[80]。
2009年1月9日、在日本大韓民国民団の新年会にて、在日韓国人への参政権について「もっと真剣に取り組む1年に」と約束した。
2009年4月17日、「日本列島は日本人だけの所有物じゃない[81][82]」「出生率の問題を考えてみても、もっと海外に心を開くということを行わないと、世界に向けても尊敬される日本にならないし、日本の国土を守ることもできなくなる。ですから、私は定住外国人の参政権は、当然付与されるべきだと、そう思っています」などとニコニコ動画で発言する[82]。4月24日の民主党本部での記者会見では改めて「愛のテーマだ。地方での参政権は付与されてしかるべきではないか」と述べている[83]。
2009年4月18日、ニコニコ動画の「ニコニコ討論会」に出演し、「日本列島は日本人だけの所有物じゃないんですから、もっと多くの方々に参加をしてもらえるような、喜んでもらえるような、そんな土壌にしなきゃダメですよ」「日本人が世界の中で一番自信を持ってるはずなのに、なんで他国の人たちが地方参政権ひとつ持つことを許せないのかと。少なく とも韓国はもう認めている訳ですよね。彼らが認めていて我々が認めないというのは、非常 恥ずかしいと思いますね、私は」「私は定住外国人の参政権ぐらい当然付与されるべきだと、そう思っています」と発言している[84][83]。
2009年5月31日、それまで政権公約に明記していた在日外国人への地方参政権付与について、「個人的には前向きに考えるべきだと思うが、党内で結論が出ている状況ではない」と述べ、次期衆院選を控え、党内の対立を深めることは得策ではないと判断、党内の異論を踏まえマニフェスト記載を見送る考えを示した。これにより、同党のこの問題に関するマニフェスト記載が党内で結論として出されたものではなかったことを明らかにした[85]。
公式サイトで、「日本は他の国々に比べて外国人の比率がかなり低いこと自体が大いに問題である。これは外国人にとって、日本は住みにくい国であることを物語っている」と指摘している[76]。
2009年5月15日、日本記者クラブ討論会で、「友愛」のイメージがつかめないという質問に対して、「友愛という言葉が死語になっているところが日本の最大の問題ではないか。そのように、私は真剣にそう思います」と返答した[86]。
民主党幹事長時代の2008年6月26日、オーストラリア外相・スティーヴン・スミス(en)との会談で、「実はけさ、家内の手料理にクジラが出た。私はクジラを食べない主義なので拒否したが、日本の食卓ではクジラは好かれている現実がある」と述べた[87]。首相就任後の2009年10月26日におこなわれたオランダ首相・ヤン・ペーター・バルケネンデとの会談では、「私はクジラ肉は大嫌いだ」と明言している[88]。一方で、日本の調査捕鯨に対する環境団体の妨害行為を批判し[87]、捕鯨反対国に対し、妨害活動を行っている活動家について対処するよう要請している[88]。
2007年11月8日、「次の衆院選で政権を取ることがかなわなかったら、自民党との大連立の話が復活する可能性は出てくる」と述べ、次期衆院選に敗北した場合にも民主党が政権に参加する可能性があることを表明した。さらに、11月13日の記者会見では、「次期衆院選で民主党が第一党になった場合、自民党の一部を取り込んだ形で連立政権を組む」と表明し、総選挙に勝利した場合に自民党と連立することを明らかにした。
2007年12月14日、大阪府知事選について、民主党が阪大大学院工学研究科教授の熊谷貞俊の擁立を決定したことに関連して、「一番反対していた奥さまが“あの相手にだけは大阪を任せられない。ここで出なければ男じゃない”と最後は強く推したと聞いている」と述べた。しかし、当の夫人は「そんなこといってません。めっそうもない」と否定している[89]。
2008年1月13日、小沢一郎が11日の衆議院本会議を退席し、補給支援特措法の採決を棄権したことに対し、当初、「小沢氏は大阪府知事選の応援に向かった。(再可決という)暴挙に対して、公務として大阪府民に訴えかけている」と釈明したが、当の小沢は大阪府知事選では再可決について全く触れなかった。また、「国会議員としての責務を果たすべきだった」と批判したが、当の小沢には「国民にも民主党にも大事ではない」と切って捨てられた形になっている。大阪府知事選後に、推薦候補が敗北した原因の一つとして小沢の欠席を指摘するも、小沢からは、「幹事長が何をいったか知らないが、府知事選に影響したとは思っていない」と反論され、党首脳部で意思疎通が欠如しているとの印象を与えた。
2008年2月10日、民主党非主流派の仙谷由人、枝野幸男、野田佳彦、蓮舫、小沢鋭仁、土肥隆一や自民党の山崎拓、加藤紘一ら反小沢色の強い議員と訪韓した。訪韓前の8日、(反小沢との批判に対し)「全く気にすることのない行動だ」と否定するとともに、「小沢代表のもとで政権交代を担う」と述べたが、9月の代表選までに政権交代できなかった場合、「代表選では選挙を行って次のステップに進むのも必要なプロセスだと考えている」と反小沢の対抗馬として出馬する可能性があることを示唆した。
2008年8月26日、ラジオ番組で小沢の無投票再選を評し、「小沢代表の顔を見たら怖い、相手になった場合、何をされるか分からないと感じてしまう方が多いかもしれない」のように述べた[90]。
2009年3月3日、小沢の公設秘書の逮捕をうけて、「小沢氏は、すべてのお金の出し入れを明らかにしている。問題はない。陰謀だ」と政府、与党、検察サイドによる陰謀であるとした。3月8日に福島で開催された集会でも(支出を原則公開していることから)「小沢代表は最もクリーンな政治家」と強調した。
2009年3月29日、小沢の進退に関連し、「小沢氏の下での幹事長だ。殉じるときは殉じる」と述べ、小沢辞任の場合は自らも連帯責任を取って幹事長を退く考えを示した。また、後任として自らが代表に就く可能性については「そんなふうにはいかない」と否定した。が、同年5月に代表就任している[91]。
2009年3月18日、東京都内での講演で、「世襲禁止は大きなテーマ。マニフェストに採り入れたい」と語る。
2009年6月6日、日本郵政の人事問題に関連して、実弟の鳩山邦夫総務相(当時)に対して、「民主党に協力して加わるなら、早く閣僚を辞めて新しい道を進めたらいかがか」と述べ、自民党離党と民主党への合流を呼びかけた[92]。邦夫がこの問題で事実上更迭され、離党を含めた去就が注目されるようになった6月11日、「西南戦争に決起し、政府に反旗を翻した時の西郷隆盛の言葉を引用した。弟はその覚悟を持っていると当然理解している」と述べ、理解を示した一方で、連携について、「私どもは政権交代を目指している。念頭に置いてはいない」と否定した[93]。
祖父・鳩山一郎が首相のときの日ソ共同宣言から積み残した問題であるゆえ、弟の鳩山邦夫と共に熱心に取り組んでいる。一部からは、発言をした時期によって矛盾がみられ、鳩山の立場は明らかではないともみられている[111]。
鳩山は「政治家と秘書は同罪であり、政治家は金銭に絡む疑惑事件が発生すると、しばしば「あれは秘書のやったこと」と嘯いて、自らの責任を逃れようとしますが、とんでもないこと。政治家は基本的に金銭に関わる部分は秘書に任せており、秘書が犯した罪は政治家が罰を受けるべきなのです。」と公言しており、野党時代は自民党の政治とカネの問題を厳しく非難していた[116]。
2009年6月、鳩山の政治資金管理団体「友愛政経懇話会」の政治資金収支報告書に、故人からの献金が記載されていることが発覚。少なくとも5人の「故人」が延べ10回、5年に渡っておよそ120万円を献金したことになっていた[117]。同月、実際には鳩山に献金していないのにもかかわらず、「友愛政経懇話会」へ個人献金したとして収支報告書に記載されている人が複数いることが発覚した[118]。また、記載されたリストの中には住所自体が存在せず、実際には存在していない人物も含まれていたことが発覚した[119]。鳩山はこの問題が報道されたことを受けて、五百蔵洋一弁護士に調査を依頼、2009年6月30日に記者会見で調査内容を公表した[120]。それによれば、実体のない、問題のある寄付は少なくとも2005年からの4年間で延べ193人分、総額2,177万円に上る[121]。鳩山はこれらの虚偽記載について、会計実務担当の公設秘書が独断でやったとし、この公設秘書を解任・解雇した[122]。なお、調査は現在も続行中である。
この問題の調査の過程で、「友愛政経懇話会」の政治資金収支報告書のなかで、5万円以下などの条件を満たす匿名の個人献金の総額が2003年から2007年の5年間で計2億3千万円に上り、国会議員のなかで突出して多いことがわかった。鳩山の個人献金のうち、5万円以下のために献金者の匿名が認められる小口献金の2003年から2007年の5年間の年平均額は約4,600万円となっており、ここ5代の自民党総裁、民主党代表経験者の年平均額の約140万円を大きく上回っており、2003年には1,500人以上の匿名者からの小口献金があったとしている[123]。
自民党プロジェクトチームによるこの問題の調査の過程で、鳩山の地元・北海道9区の道議、市議、町議ら42人が、鳩山が代表を務める「民主党北海道9区総支部」に対して、毎年12月25日のクリスマスに、数十万円、5年間で1,650万円にのぼる献金を行っていたことが明らかになった。特に、2005年のクリスマスの献金に関して、当日は日曜日であり、一般銀行の多くが振り込みはできないはずだが、例年通り、巨額の献金が計上されていた。これに関して、「地方議員が国会議員に献金するなんて聞いたことない。ましてや政界有数のお金持ちに上納する必要なんてあるのか」、「クリスマスの日曜日に1人1人から集金して回ったのか」と疑問が呈されている[124]。この件に関して、9区総支部の会計責任者は「毎月受け取った寄付金は年末に一括計上している」としたが、他の町議などから、「総支部には年1回一定額を寄付している。党費は別に払っている」、「支部から送られてきた振込用紙に金額を記入し、前期、後期に分けて振り込んでいる」と異なる説明がなされる一方、複数の道議や市議が、「鳩山代表が各市町村議員に渡して払わせているという一部報道は事実に反する」と否定。また、同支部の政治資金収支報告書には会計責任者の現職道議の記載がないなど不透明な部分も明らかになった[125]。
この問題を受けて、7月3日には、東京都内の市民団体「鳩山由紀夫を告発する会」から政治資金規正法違反の疑いで告発を受けた。なお、「鳩山由紀夫を告発する会」は、代表者、メンバー共に詳細が明らかにされていない謎の団体である。
鳩山は、これらの問題について6月30日に、「私の個人献金額があまりにも少ないので、秘書が心配してやってくれたのだと思う」と発言。この発言内容に対して与野党から異論が噴出したため、7月3日には、「企業・団体献金が『鳩山はカネを持っているから』ということで、なかなか集まらない。その焦りもあったと思う[126]」、翌4日の会見では、「もともと8000万円ほど貸し付けている。これ以上増やすのは、秘書にとってつらい話になったのではないか」、「本人に聞いたわけではなく推測だ」と述べるなど[127]、再三発言を修正している[128]。
岡田克也民主党幹事長は、自民党がこの問題を批判していることについて、「記者会見すら拒否している人がほとんどの自民党が、説明責任が足りないといって騒ぎ立てている」と批判し、鳩山の対応を「自民党にも様々な疑惑があるが、自ら非を認めて謝罪をしたのは鳩山氏だけだ」と評価した。当初は説明責任を果たしたとしていたが、『読売新聞』の世論調査で、「鳩山氏が説明責任を果たしていない」が約8割を占めたことを受け、「与党が攻め立てているので、国民が『十分説明を果たしていない』と考えたのではないか。我々も、もっと伝える努力をしなければならない」と述べた。なお、同世論調査では、「鳩山氏が説明責任を果たしていない」が約8割を占める一方で、鳩山が代表を辞任すべきかについては、「辞任する必要はない」57%で、「辞任すべきだ」30%を上回った[129]。
小沢鋭仁民主党国民運動委員長は、「(献金の原資が)鳩山さん個人の金であることは間違いない。脱税の疑いなどはまずない。ただ、監督責任はあると思っている」と述べ、複数の道議や市議が主張した「鳩山代表が各市町村議員に渡して払わせているという一部報道は事実に反する」との発言を否定している[130]。
鳩山は、過去に、「資金管理団体、政党支部の代表者は政治家本人。事務的なミスではない」との発言をおこなっている[131]。
2009年9月、第45回衆議院議員総選挙が終わったことに伴い、東京地検特捜部が寄付者から参考人聴取を行うなど捜査を開始。鳩山も地検の要請に応じて、会計帳簿を任意で提出した。
2008年度分の収支報告書によると、寄付者70人中、8割近い55人が虚偽記載の寄付者であったことが明らかにされた[132]。
2009年10月、鳩山側の調査で虚偽寄付者として政治資金収支報告書から削除した「寄付者」のうちの10人が、実際には「献金している」と証言していることが判明し、鳩山側の調査がずさんであったことが指摘された[133]。
個人が政治献金をすると所得税控除がされるが、「友愛政経懇話会」は総務省へ虚偽の寄付者についての所得税控除のための申請をし証明を受けていた。2005年から2007年分だけで113人分があり、総務省は少なくとも66人分については不適切な申請であったとしており、取得した証明書の返還を要請していたが、「友愛政経懇話会」はそれに応じず返還をしていないことが伝えられた[134]。
また、母親から9億円もの違法な政治献金をうけている。
この問題で、会計事務担当だった勝場啓二元公設第1秘書が政治資金規正法違反の「虚偽記載」で在宅起訴、会計責任者だった芳賀大輔元政策秘書(現私設秘書)が政治資金規正法違反の「重大な過失」で略式起訴され、鳩山本人は、容疑不十分で不起訴となった[135]。
鳩山の永田町にある個人事務所の賃料を政治資金収支報告書に記載していなかったことが2009年10月24日に明らかにされた[136]。問題とされている個人事務所の賃料は、政治家個人が資金管理団体に献金できる限度額(年間1000万円)を超えていると試算されている[136][137]が、個人事務所側は2005年から2008年にかけて事務所費として収支報告書に「年間約120万から約380万円」と記載し、賃料については鳩山個人が支払っているとして記載していないという[137]。鳩山は、「個人事務所として使っているのでいちいち記載する義務はないと理解している。法的に問題はないという認識だ」と述べた[138]。
また、鳩山の母親が所有する北海道室蘭市内のビルを、相場の5分の1以下となる月10万円の賃料で借りていたことが2009年10月1日に明らかにされた。相場との差額は寄付として政治資金収支報告書に記載する必要があり、年間で600万円以上の差額が生じているが政治資金報告書には記載していない[139]。
結婚の経緯の詳細は鳩山幸#結婚を参照
田園調布に自宅、軽井沢に別荘所有など、2006年2月に公開された議員資産報告書によると、鳩山由紀夫の資産は、これら不動産の他、預貯金が約12.8億円、所有株式はブリヂストン株350万株(2006年8月末換算で約59.5億円)を中心に15銘柄を所有。これら資産総額では90億円を下回ることはないとみられている程の政界きっての大資産家である[149][9]。
東京・音羽の鳩山会館で大規模な社交パーティを開くなど政界きっての資産家としても有名だが、本人は「庶民的な感覚を持ち合わせる」と自称している。2006年4月16日、衆院千葉7区補選で太田和美候補(当時)の選挙応援の際には、同候補の「負け組ゼロへ」をキャッチコピーに選挙カーにはほとんど乗らず、他の民主党幹部と共に自転車で選挙区内を回り地元出身をアピールする戦術に同調、同選挙のために太田陣営が6800円で購入した「新車」による自転車遊説行脚を敢行し「私も自転車に乗れるんです」と庶民感覚を演出した。なお、本人は自転車に乗るのは「2、3年ぶり」とも発言をしていた[150]。
2005年12月28日に出版された、ビブロス社刊『オタクエリート No.1』の表紙モデルを務めた。同誌には、「民主党幹事長・鳩山由紀夫が語るニッポンの漫画・アニメ 〜文化・産業としてのオタクコンテンツ~」と題されたロングインタビューが掲載され、その中で鳩山は『三国志』を取り上げ、漫画の効用を説いた。また、大学時代には『週刊少年マガジン』や『週刊少年サンデー』だけでなく、ガロまで読んでいたことを語っている。好きな漫画は前谷惟光の『ロボット三等兵』と桂正和の恋愛漫画『I"s』をあげている。『ロボット三等兵』を「名著なんだよ、名著」と褒め称え、『I"s』については毎週愛読していたといい、「淡いロマンがよくってね」と恋愛観も明かしていた[151]
2001年ころに開設したYahoo!チャットにおけるプロフィールで、ネット上の好きなサイトの一つに2ちゃんねるをあげており、自身も2ちゃんねらーであることを公言している[152]。しかも、時期的に、2ちゃんねる初期からの筋金入りのユーザーではないかと指摘されている。2ちゃんねるでは、2009年9月29日ころから、「鳩山首相、『好きなサイト』に『2ちゃんねる』挙げていた」と題するスレッドが複数立ち、「祭り」に発展。そこには、「鳩山さんいるんでしょ、出てきなよ」、「どうせ宇宙人と交信しようとか、そういうオカルトの板に住んでるんだろ」と書き込まれているという[153]。
鈴木喜三郎 ┃ ┏カヅ ┃ 井上多門 ┃石橋正二郎━━安子 ┃ ┃ ┃ ┏和子 ┃ ┃ ┃ 鳩山十右衛門博房━━鳩山和夫 ┃ ┣━━━╋鳩山由紀夫 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣━━━鳩山紀一郎 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 幸 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣━━╋鳩山一郎 ┃ ┗鳩山邦夫 ┃ ┃ ┃ ┃ 春子 ┃ ┣━┳鳩山威一郎 ┃ ┃ ┃ ┃ 薫 ┃ ┃ ┃渡邉曉雄 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣━━━┳渡邉康雄 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣━━信子 ┗渡邉規久雄 ┃ ┃ ┃ ┗━━玲子 ┗鳩山秀夫 ┃ ┃ ┃ ┣━━鳩山道夫 ┃ 菊池大麓━━━千代子
┏木戸孝允 ┃ ┗治子 児玉源太郎━━━━━ツル ┃ ┃ ┣━━━木戸孝正 ┃ ┃ ┃ ┏木戸幸一 来原良蔵 ┣━━━━━━┫ ┃ ┗和田小六 ┏寿栄 ┃ 山尾庸三━━━╋山尾三郎 ┃ ┗千代 ┃ ┣━━━━━┳広沢真吾 ┃ ┃ 広沢真臣━━━広沢金次郎 ┗直子 ┃ ┃ 池田吾一郎━━━池田勇人 ┏直子 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣━━━━━╋紀子 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃池田行彦 満枝 ┃ ┃ ┗祥子 ┃ ┏石橋進一━━━━石橋慶一 ┃ ┃ ┃ 鳩山一郎━鳩山威一郎 石橋徳次郎━━━┫ ┃ ┏鳩山由紀夫 ┃ ┣━━━━━━┫ ┃ ┃ ┗鳩山邦夫 ┃ ┏安子 ┗石橋正二郎━┫ ┗啓子 ┃ ┣━━━━━━━悦子 ┃ ┃ 郷裕弘 ┃ ┃ 伊地知純正━━庸子 ┃ ┃ ┏宮澤裕夫 ┣━━━━━┫ ┃ ┗啓子 ┏宮澤喜一 ┃ ┃ ┃ 宮澤鹿吉━━━━━宮澤裕 ┃ クリストファー・ラフルア ┃ ┃ ┃ ┃ ┣━━━━╋宮澤弘━━━━━宮澤洋一 ┃ ┃ ┃ ┃ 小川平吉━━━━━こと ┃ ┃ ┗宮澤泰 ┃ ┏その ┣━━━━━┫ ┃ ┗ゆり 児島喜久雄━━汪子 ┃ ┃ ┏吉國二郎━━吉國真一 吉國兼三━┫ ┗吉國一郎
1988年、シングルレコード「Take HEART〜翔びたて平和の鳩よ〜」をテイチクレコードに製造を委託した自主製作盤として発表した。レコードB面は同じ曲のコーラス版。2009年10月30日にCDとして再発売された[163]。現在ではカラオケ(UGA)でも配信されている。
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: 麻生太郎 |
内閣総理大臣 第93代:2009年 - |
次代: 現職 |
| 先代: 近藤元次 |
内閣官房副長官(政務担当) |
次代: 北村直人 |
| 党職 | ||
| 先代: 菅直人 小沢一郎 |
民主党代表 第2代 : 1999年 - 2002年 第7代 : 2009年 - |
次代: 菅直人 現職 |
| 先代: 川端達夫 |
民主党幹事長 第7代:2005年 - 2009年 |
次代: 岡田克也 |
| 先代: 結成 |
(旧)民主党代表 初代 : 1996年 - 1997年 菅直人との共同代表制 |
次代: 菅直人 |
| 先代: 新設 |
(旧)民主党幹事長 初代 : 1997年 - 1998年 |
次代: 民主党へ |
| 先代: 園田博之 |
新党さきがけ代表幹事 第2代 : 1994年 - 1996年 |
次代: 園田博之 |
| 歴代内閣総理大臣 | ||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 第92代 麻生太郎 |
第93代 2009年 - |
- - |
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![]() 09:55 | ④平成22年2月5日 棚橋泰文vs鳩山由紀夫総理 衆議院予算委員会 |
再生回数:1,832回評価: 提供:You Tube | |
![]() |
![]() 06:48 | ⑤平成22年2月5日 棚橋泰文vs鳩山由紀夫総理 衆議院予算委員会 |
再生回数:1,291回評価: 提供:You Tube | |
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![]() 03:39 | 鳩山由紀夫vs 鳩山由紀夫 自らの献金問題を厳しく追及!! |
再生回数:248,776回評価: 提供:You Tube | |
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![]() 07:45 | 鳩山由紀夫vs.鳩山由紀夫Ⅱ クローンの攻撃 |
再生回数:122,667回評価: 提供:You Tube | |
![]() |
![]() 09:57 | 民主党代表候補・鳩山由紀夫氏がZEROに生出演 1/3 |
再生回数:22,266回評価: 提供:You Tube | |
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